「相沢静です。よろしくお願いします」
どうやら自己紹介をしたらしかった。みんなのほうを振り返りもせずに、それだけ言ってまた座る。
(セイ……っていうんだ。なんだ)
そのまま『シズカ』とか読むんだと思ってた。でも、なんか奴らしい名前だな。
「次、青木」
ぼんやりと、手を伸ばせば触れる位置にいる相沢を見ていたら、いきなり呼ばれた。その声にびくっと体を震わせて顔を上げた俺。マジでびっくりしたっ。
「はっ!?」
「自己紹介だ。おまえの番だぞ」
新しく担任になったらしい宮島にそう言われ、俺はあわてて立ち上がった。
「あっ、青木航平っス。よろしく」
……ちっ、声がうわずっちまった。第一印象はビシッと決めたかったのに。
(おめーのせいだぞ、おめーの!!)
俗に言う『逆恨み』。俺が勝手に相沢に見入ってたってだけだもんな。──けど、何となく八つ当たりしたかったのかも。
いいかげん振り向こうともしない相沢にイライラしてきて、俺は一瞬だけ相沢をにらみつけた。
そのとき、思わぬことが起きたんだ。
立ったまま見下ろしてた俺を、相沢がチラッと振り返ったんだ!!
いや、振り返ったわけじゃなかったんだけど……確かに首を動かしたのが見えたんだ。
俺がイスに座ったあとも奴の後ろ姿を見ていたのは、もしかしたら相沢が、俺の視線に気づいて振り返るかもしれないと思ったから。──だけど結局、相沢は一度も後ろを見ようとしなかった。
全員の自己紹介が終わり、時間割やら選択授業の説明やらが済んでようやくホームルームが終わった。
「今日はこれで終わりだ。明日から授業が始まるから、各自しっかり準備してくるように。以上」
宮島の声を合図に、それぞれが帰り支度を始める。
相沢は机の横にかけてあったカバンを持つと、さっさと教室を出ていってしまった。あまりの素早さに、今度こそ声をかけようと思ってた俺は、後ろ姿を見送ることしかできなかった。
「なんだよ、ちきしょ……」
完璧にフラれた気分だった。俺、あいつの顔もろくに見てないぞ? ……どんな顔をしてるのか、ぜひとも見たかったのに。
(もう少しくらい愛想よくたっていいじゃねぇか。こっちが話しかけようとしてんのも気づいてたんだしよぉ)
心の中でぶつくさ言ってると、「青木」と名前を呼ばれて。声のしたほうを見ると、宮島が手招きしてた。『こっちへ来い』ってことか?
めんどくせぇと思いながら仕方なくそっちへ行った。もしかして俺、今ものすごくブルー入ってるかも。
「なんだ、どうかしたか、青木」
「……別に」
一年の時に科学を教わったことがあって顔見知りだった宮島は、物珍しいものを見るような顔をしていた。
「珍しいな。テストがいつも赤点だってのに元気はつらつしてたおまえが、今日はどうしてそんなに静かなんだ?」
「……ほっとけ」
「ま、俺の授業の時もそのくらい静かにしていてくれると助かるんだがな」
「へいへい……」
お互いに腹を割って話せる数少ない俺の理解者は、「さて」と本題を持ち出した。
「おまえ、今週は週番だからな、相沢と2人で」
「──え?」
「仕事内容はここに書いてある。朝登校したら、これを俺の所まで取りに来い。帰るときにまた持ってくること。いいな?」
「……はぁ」
「相沢にも明日言っといてくれ。もう帰ったらしいから。──どうした、青木?」
「いや……。本当に、相沢と2人でやるのか?」
「なんだ、不満か?」
「不満なんてっ。ねぇよ、そんなのっ」
「そうか、なら頼むぞ。おまえ、相沢にばっかり仕事押しつけるなよ」
しっかり釘を刺して、教室を出ていく宮島。その後ろ姿をぼうぜんと見送る、俺。
(これは、夢じゃ、ない?)
「チャンスだ……」
(夢じゃないんだ……!)
「思いっきりチャンスじゃねぇか!!」
堂々と相沢と話すチャンス。じっくり顔を拝むチャンス。──『ウワサ』を追求できるチャンス!!
ここまできたらもう意地だ。何がなんでも相沢のことを暴いてやる!!
「見てろよぉ〜!」
俺は、周りの奴らが見てるのにも気づかずに、ぐっとガッツポーズをとっていた。
2.
次の日、俺はいつもより30分も早く家を出た。
ママチャリで30分かかる学校までの道のりを、必死でこいで15分で走りきった。学校に着いて時計を見ると、いつもの俺ならまだ寝てる時間だった。
グランドの近くにあるチャリ置場には、すでに何台ものチャリが留めてあった。部活の朝練に出てる奴らのなんだろう。
校舎に向かって歩いていると、グランドではサッカー部が練習してるのが見えた。部員の中に清水の姿を見つけて、俺は思わず柱の陰に隠れちまった。
小学生の頃から遅刻・サボリぐせがあった俺を、きっとあいつは覚えてるだろう。『相沢に会うのが楽しみで早く来た』なんて、口が裂けても言えねぇ。
俺はそそくさと昇降口に向かった。靴を履き替える前に周りを確認して、相沢のロッカーを開けてみる。だけど期待に反して中には上履きが入っているだけだった。
ま、そうだろうとは思ったけどよ。あんなに愛想のない奴が部活なんかに入ってるわけないだろうし。
相沢が来てないことを確認した途端、一気に気が抜けた。誰もいない教室で、いったい何をしてろっていうんだ? せっかくここまでしたってのに……。
どうしようか迷ったとき、ふっとある考えが浮かんだ。
(そうだ。図書館はもう開いてるよな)
俺はふいに思い立って、教室とは逆方向にある図書館に向かって歩き出した。校舎の中はほとんど人がいないせいか、俺の足音もやけに大きく響いて聞こえる。
──なんだか、不思議な感じがした。
いつもは人の声や廊下を走り回る音で騒がしいのに、物音がしないだけでこんなに雰囲気が変わるものなんだ。
(学校とかって、『出る』っていうよな……)
遅くまで残ったりしたことがないから、夜の校舎がどんなもんなのかしらねぇが……確かにおっかなそうだな、こりゃ。俺の足も、自然と早まってくるってもんだ。
ようやく着いた図書館はやっぱり開いてた。中には誰もいなかったけど。
入学したばっかの頃に学校案内で一度来ただけだから、どこにどんな本が置いてあるのか全然わからねぇ。仕方なく、端から見ていくことにした。
(高校の図書館には置いてねぇかな……中学にはあったけど)
四つ目の棚に差しかかったとき、そう思った。探すのもメンドーになってきて、(次の棚探してなかったら、あきらめるか)と考えたときだった。
「おっ……あるじゃん」
あまり人が見ないような足元の段に、俺の探してた本はあった。
『本当にあった怖い話』『霊能力の神秘』『死後の世界』……。
「どんなの読めばわかるんだ?」
床に座り込んで、とりあえず一冊を手にとってみた。うっ、字ばっかりだ。こんなの読めるかよ。
けど、いちおうこういう世界を知っておいたほうが、相沢との話も弾むかなーと思ってさ(あんな無愛想な奴相手に話が弾むなんてことがあるとは思えないんだけどな……)。
それでもどうにか読めそうな本を見つけて、ゆっくり読み始めた。こんなの読んだだけで、何かがわかるんだろうか……。
「げっ、もうこんな時間!?」
切れのいいところで本から目を上げると、時計は授業開始5分前を指していた。
あわてて本をしまい、足早に出入り口に向かう。
「あら、人いたの?」
いつのまに入ってきたのか、受付におばさんが座っていた。
「ういっス」
一応あいさつして外に出る。ドアを閉めると同時に、ダッシュ。
(あ、職員室にも行かなきゃいけねぇんだ。ちきしょー、話す時間がなくなるっ)
けっこう夢中で読んでたらしい。難しい言葉が並んでるだけで、あまり(ほとんどかも……)よくわかんなかったけど。
相沢も、ああいうのを読んだりしてるんだろうか。──そんなことなさそうな気がするけど。
「お、来たか、青木」
職員室に入ると、俺の姿に気づいた宮島が手を振ってきた。俺は奴の席まですばやく歩いていき、日誌を受け取った。
「いいか青木、くれぐれも相沢だけに──」
「わかってるよっ。だからこうして取りに来てるだろ!」
「しっかりやれよ」
「ああ!!」
強い口調で言い捨てて職員室を出る。よし、あともう少しだ。
「あ、青木ー。今日は早い──」
「おっす!!」
今登校してきたらしい直紀の声に短く答えて、横を通り過ぎる。
「青木ぃ?」
「わりぃ、急いでんだ!!」
げっ、あと3分で始まっちまうっ。
俺は、人混みの中に相沢がいないのを確かめながら教室に向かった。前のドアから中に入ると──
(いたっ!!)
相沢は、昨日とまったく同じ姿勢で窓の外を見ていた。その姿を見た途端、申し合わせたかのように心臓が躍りだす。
(えーい、時間ねぇのにっ)
とにかく呼吸だけでも整えて……。
(……よし)
タイムリミットまであと2分。仕方ねぇから、今は顔と名前だけでも覚えさせよう。
「あ…あいざわ……」
口をついて出たのは、ヘロヘロもいいとこの情けねぇ声だった。その声が聞こえなかったのか、それともただ無視してんのか。またしても相沢は動かなかった。
俺はもう一度声をかけることにした。さっきより、大きい声で。
「相沢っ!」
これは確実に聞こえただろう。名指しで呼ばれたんだ、相沢も振り返らないわけにはいかないハズ。
そのまま棒立ちで、振り向いてくれるのを待った。
「……」
息が詰まりそうだ。どうすりゃいいんだ。
(頼む、こっち向いてくれぇ)
「────っ」
どのくらい待たされたのか。
ようやく顔が動いたとき、俺は心底ほっとした。
第一印象が肝心だと思い、薄笑いを浮かべて奴の顔を見る準備をする。(ナゾの人物ってのは、どんなカオしてんだ……?)と、探りを入れながら。
だけど、奴の顔を見た瞬間……愛想笑いも、好奇心も、すべて吹き飛んだ。
俺は再び、棒立ち状態になっちまったんだ。
「────」
窓から入ってきてる太陽の光のせいで、はっきりとは見えねぇが……たぶん見た人間が全員「綺麗」って認めるだろうほど、相沢の顔は──綺麗だった。男に綺麗だっていうのはおかしいかもしれないけど、見た瞬間に浮かんできたイメージはそれだけだったんだ。
だけど、その顔の中で俺が一番気になったのは……
(なんだ、この目は……?)
まっすぐに俺の目を見据えてくる、この目は──。
「……何?」
目が合ったまま、相沢は言った。
「先生、来るよ?」
チャイムが鳴り終わる音にはっとした。
「あ…俺……」
(ええと、言っとかなきゃいけねぇのはなんだ!?)
「そう、そうだ。あの、俺とおまえで週番なんだ、今週いっぱい」
手に持ってた日誌を振りかざし、必死で話す。だけど、じっとこっちを見る目が気になって、まともに顔が見返せない。
「だから、そのっ……」
「そう」
俺とは対照的に落ち着き払った声で言った相沢は、俺の手から日誌を奪い取った。
「……え?」
「号令かけてくれる? あとの仕事は俺がやるから」
「──え?」
「先生来たよ」
一瞬だけ俺の目を覗き込み、席に戻るよう促された。
「あっ、ああ……」
そのままそこに立ちつくすわけにもいかず、すごすごと自分の席に戻った。義務的に号令をかけてやると、さっそく授業が始まった。
(…なんだったんだ……)
結局名前も言えなかった。話だって、ろくにできなかった。
視線を少し上げると、相沢の背中が見えた。……やっぱり、人を寄せつけない何かを感じる背中。
(あの目……)
整った顔の中でも、長めの前髪のその奥にあったあの目。
吸い込まれてしまいそうだった。…全身の力を抜かれて、動けなくなったような気がした。
(本当に、こいつはどういう奴なんだ?)
近づこうとすればするほど、ナゾが深まってくる。こんな奴、今までにいなかった。
これはもう、ただの『好奇心』とは違う気がする。ここまであいつに引きつけられるには、何か理由があるように思えたんだ。
(……よし)
俺は新たに目標を持った。もしかしたら、相沢はまともに相手をしてくれないかもしれないけど、決めた。
こんなに相沢のことが気になる理由。
あいつの力のこと。
それと──どうして人を遠ざけるのか、ということ。
無視されようがなにしようが、絶対に聞き出してやる。このままじゃ、気になってしょうがねぇ。
(絶対、話させてみせる )
……だけどそんな考えを、俺は死ぬほど悔やむことになる。
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