完全無欠のゴーストハンター

─ 10 ─

「あ、相沢!?」
 驚いて、急いで近寄って顔を覗き込む。
「大丈夫か? おいっ」
 ヘタに体に触ったらいけない気がして、おろおろと声をかけることしかできない。
(どうしたんだ、いったい!?)
 具合は悪そうでもないのに、ただぼんやりと床を見ている相沢。俺の声も、全然聞こえてないようだ。
 俺はもう一度相沢の顔を覗き込んだ。そして──腰が抜けそうなほど驚いた。相沢が……あの相沢がっ!! 俺と目が合った瞬間、笑いかけてきたんだ!! 笑うというより、微笑む、といったカンジで!!!!
(相沢が狂った!?)
 俺は何歩か後退り、まじまじと相沢を見た。ゆっくり顔を上げた相沢は、やっぱり笑っていた。……けど、そのときになって、相沢の様子がどこかおかしいことに気づいた。俺をじっと見ている瞳の色が、相沢のものではないような感じがしたんだ。
 相沢の目は、いつもどこか寂しげで──
「……航平?」
(声はもっと落ちついてて……って、あれ?)
 相沢、今俺のこと「航平」って言ったか?
 俺はもう一度、上から下までじっくり相沢を見た。
 これは、まさか──
「航平……元気だった?」
(相沢の中に、あの人が……!?)
 そう思った途端、俺の心臓はどくんっと跳ね上がった。
「大きくなったわね。もう、高校生だもんね……」
「あ……」
 握り締めてた手に、汗がにじんでくる。
「……私のこと、忘れちゃった……?」
 外見は相沢で、声も、少し高めだけど相沢の声で……。だけど、幼いころの記憶が思い出させていた。──あの人特有の、柔らかい話し方を。
「母、さん……?」
「11年ぶりね。航平とこんなふうに話せるなんて……なんだか信じられないわ」
「ホントに、……?」
 俺の体は、まるで何かで足止めされてるかのようにまったく動かなかった。相沢の姿をしたあの人が近づいてきても、手が俺の頬に触れてきても……。
「ごめんね、びっくりしたでしょ? お友達が、どうしても航平と話してあげてほしいって言ったものだから……お言葉に甘えて、体を借りたの」
「相沢が?」
「でも、あまり長く話せないの。お友達も疲れてるみたいだから」
「……」
(夢じゃ、ないんだ)
 いつのまにか相沢の顔は、ぼやけちまってはっきり見えなくなっていた。
「……母さん?」
「……ええ」
「ホントに?」
「本当よ」
「────っ」
 気がつくと俺は、相沢の肩に顔を押しつけて泣いていた。涙を流したのは11年ぶりのことで、情けねぇことに、どうやったら涙が止まるのかわからなかった。
「ごめんね、航平」
 背中に回された手が、ぽんぽんと一定のリズムで動く。まるで泣いてる子供をあやすように。
「お母さんのわがままで、急にいなくなったりして……。航平には何も言ってなかったもんね」
 声が、頭の上から降ってくる。……そういえば昔、母さんの膝枕で本を読んでもらったりしたっけ……。
「死んでからずっと、航平のこと考えてた。 恨まれてても仕方ないけど……でも、お母さんのことで航平が嫌な思いしてたらどうしようって、それが一番気になって……。
 航平の様子を見に行ってもいいって許可が下りたのが去年の春で……航平、見違えるほど大きくなってたわ。でも、笑顔だけは変わってなかった」
「…………」
「嬉しかったの、お母さん。航平が誰からも好かれるいい子に育ってたから。いつも元気で明るくて……会いに来るのが本当に楽しみだった」
(母さんは知らないんだ、俺の小・中学生のころのこと……)
 中学で直紀に会うまで、俺が人間不信だったことや──学校もよくサボったりしてたことを(学校は今もよくサボるけど、中学の時は今の倍以上サボってたんだ)。
 でも、そんなことは言い出せなかった。だって、本当のことなんか言っちまったら、母さんが自分のせいだと思っちまうだろうから。……余計な心配はさせたくなかった。
「お父さん……再婚したのね」
「ん……。俺が中2の時」
「優しそうな人ね。仲良くやってる?」
「ああ」
「そう……よかった……」
「母さんはどうなんだ? 元気で……やってるのか?」
「元気よ。毎日いろいろあって……。詳しい話はしちゃいけないことになってるから、話せないけど──」
「──そっか」
「今日は急に航平の所に行ってくれって言われて、航平に何かあったのかって心配しちゃった……」
「びっくりした? あの人がいて……」
 俺がそう聞くと、それまでずっと続いてた背中をたたくリズムが止まった。……けど、すぐにまた始まった。
「……ええ。まさかこんな所で会うなんて思わなかったもの。向こうで一度も会ってなかったから、どうなったのかなとは思ってたんだけど……」
 そのときふいに、相沢の肩が震えてるのに気づいた。まずい、体に限界が来てんのか?
「母さん、苦しくないか?」
 俺は涙を自分の制服の袖で拭い、相沢の肩から顔を上げた。相沢の顔を見ると、少し苦しそうな表情をしていた。
「ああ、もう時間ね……。本当はもっと話したいことがたくさんあったはずなのに──」
 残念そうに俺を見る相沢の──いや、母さんの目。
「でも1番は──航平にちゃんと謝りたかったの。本当のこと、何も言わずに出ていったりしてごめんなさい。お母さんたちの都合で、航平にまで悲しい思いさせちゃって……。
 お母さん、航平の母親失格だったね」
「そんなこと、ないよ。確かにガキのころは寂しかったけど……でも、あのときの俺がなかったら、今の俺はいなかったから」
 そうだ。こうして直紀と親友になってたり、相沢と話したりしてる今の俺は、あのときの俺がいなかったら存在しなかったんだ。
 思い出したくないことばかりだけど、でもあのころの俺がいたからこそ、今の俺がここにいるんだ。
「母さん……最後に、1つだけ聞いてもいいか?」
 聞きたいことはたくさんあるけど……これだけは、今どうしても聞かなくちゃいけないことだと思った。……俺の心を、もう1度整理させるために。
「なぁに?」
「今でも……今でもあの人のこと……愛してる?」
「……」
 母さんは一瞬驚いたような顔で俺を見たけど──俺が真剣な表情をしてるのに気づいたんだろう。
「……ええ、愛してるわ」
 静かに、でもきっぱりとそう言い切った。
「……そっか。それじゃ、向こうで幸せになってくれよ。……11年も離れてたんだから」
 俺は心からそう言った。……あいつのことは完全に許したわけじゃねぇけど……母さんがあいつといて幸せだと思うのなら、俺がいつまでも憎んでたって仕方ねぇからな。
「航平……」
 母さんは、目に涙をためつつ、にっこり笑ってくれた。それは俺が1番大好きだった顔で……俺は母さんが相沢の心の中に取り憑いて話してるんだってことを忘れてた。だってそのときの笑顔は、本当に母さんの顔にしか見えなかったんだ。
「……それじゃ、元気で」
「航平もね。学校、頑張って」
「ああ」
「また会いに来るから」
「──ん」
「それと……この子のこと、よろしくね」
「え?」
『この子』と言われて、誰のことかすぐにわからなかった。だけど、どうやら相沢のことらしいと気づいた。
「わかってる」
「この子も……心にいっぱい傷を持ってるわ。
 あなたが助けてあげて、航平。あなたならこの子の気持ち、きっとわかってあげられると思うから。──母さんたちが航平に感じさせてしまった心の痛みを、この子も抱えているから……」
「──え?」
「ごめんなさい、もう行かなくちゃ。
 元気でね、航平……。また、来るから」
 そう言い残して、母さんは目を閉じた。すると相沢の体は、ぐらっと前に倒れてきた。
「おっ! ……っと」
 あわてて支えて、そのまま床に横にした。頭はあぐらをかいた俺の膝にのせて。
(さよなら……母さん)
 心の中で母さんに別れを告げて、俺は相沢の顔を覗き込んだ。


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