─ 第9回 ─


++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

「やっぱり俺が思ってた通りだったじゃん!」
 いつもの何倍かの疲労度にげんなりしつつ、直樹の家の近くにある公園のベンチでくつろいでいると、俺の隣に座っていた直樹が突然叫んだ。
「……何が?」
「晴海先生! 俺が睨んでた通り、ホモだったじゃん!」
(『じゃん』って言われても……)
 直樹がそんなふうに先生を見てたなんて、俺は何も知らなかったぞ? つーか、どうして直樹は晴海先生が『そう』だと嗅ぎ分けられたんだ? ……まあ、深くは考えまい。
「これで100%、兄貴の恋は成就するね!」
 嬉しそうな顔で自分の兄貴の幸せを喜ぶ直樹に、悪いなとは思いつつも水を差さずにはいられなかった俺。
「確かに両思いかもしれないけどさ……和樹が先生と付き合うって言うとは限らないだろ?」
「そんなことないよ!! 好きな人と両思いだったら、ぜーったい付き合いたいって思うはずだよ!」
「そりゃ普通の男と女だったらそうかもしれないけどさ。……和樹も晴海先生も男だぜ? あの理性の塊みたいな和樹が『付き合おう』って言われてすんなり『はい』って言うと思うか?」
「うっ!」
 直樹は俺の言葉にぎょっと身を引くと、そうだった…とベンチにがっくりしなだれかかった。やっぱりこいつ、そのあたりのことは全然考えてなかったな。
「自分の兄貴のことだろ? ちょっとは考えとけよな」
「だって……普通だったら嬉しいはずだもん。兄貴だって嬉しいって思うはずだもん。俺、慶太と両思いだってわかったとき、すっごい嬉しかったもん!」
「そりゃ俺だって嬉しかったけどさ……」
 和樹はモラルとか世間の常識ってのを気にするタイプだ。俺らみたいに『両思い! 即付き合う!』ってふうには考えられないんじゃないか? と俺は考えたのだった。そのあたり、俺は和樹と付き合い長いからわかるんだ。
「和樹の性格考えて動けよ、何かするにしたってさ。な?」
 やんわりと『あまり過激なことはするなよ!』と言ってるつもりなんだが……こいつには伝わらないんだろうな。
 ──と思った俺の予想を裏切らず、
「そっか、兄貴がその気になるようなことをすればいいんだよね」
 わかった! と顔いっぱいに書いた直樹は、またしても何か不適な計画を考えはじめたようだった。
「…今度は何をするつもりなんだ?」
 思わず顔をしかめながら言うと、直樹は「そんな顔しないでよ」と俺の唇に一瞬キスをして、股のあいだに手を置いてきた。……誰もいないからって、まだ明るいのにそんなのはマズイんじゃ……。
「慶太も一緒に考えてよ。ね?」
 と言われても、股間をまさぐるように手を動かされたら……他の事は考えられないよな?

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 放課後。びくびくしながら美術室へ向かうと、そこにはすでに何人かの部員が来ていて、俺は内心ほっとしつつ中へ入った。
 晴海先生は自分が描いている絵の準備をしていて、俺はいつも座っている先生の一番近くの席におずおずと近寄った。
「こ、んにちは」
「ああ、吉村君。……昨日は、どうも」
「えっ? あっ、はいっっ」
 苦笑って感じで笑われて、直樹と慶太のとんでもない痴態を思い出してかっと顔が熱くなる。
(どう思ったんだろう……直樹たちのこと)
 それに、俺のことは? 俺もそうなのかもって考えたりはしてないだろうか?
 先生に確かめたいことが俺の脳裏でぐるぐると回ってる。……だけど。
(だめだ、どうしても聞けない…………)
 どんな返事が返ってくるか予想できないようなことを、俺が聞けるはずなかった。──小心者なんだよな、俺って……。
 なるべく先生の顔を見たくなくて、思いっきり俯いて画材の用意をしていると、頭上がふっと暗くなって。
 人の気配に気づいて顔を上げると、そこには先生が立っていた。
 先生は、先生を見上げたまま固まってしまった俺に腰を曲げて顔を近付けると、
「大丈夫だよ。誰にも言わないから」
 耳元で囁くように言って軽く笑って、そのまま何事もなかったような顔で他の部員に声をかけにいってしまった。
「…………はい」
 誰にともなく言って、先生の吐息がかすかに触れた耳を押さえ、赤くなってしまった顔を誰にも見られたくなくてまた俯く。
(……好きだ)
 やっぱり俺、先生のことがすごく好きだ。胸がどきどきして……苦しくてたまらない。
 でも、どうしたらいいんだろう。打ち明けることも、悟られてもいけない気持ちなんて──苦しすぎる。
(せめて先生が、男と恋愛できるかどうかだけでもわかれば……)
 もし同性も恋愛の対象として見てくれるなら、告白することはできるかもしれない。……うまくいくかいかないかは別にしても。
 ──実は自覚するずっと前から先生のことが好きだったのか、気持ちが暴走しているようで邪な思考は止まらない。
 このままだと俺も、直樹が慶太に速攻告白したように、先生に告白してしまいそうだ。
(落ち着け〜〜、落ち着くんだ、和樹〜〜!)
 先生が「そう」だとは限らないし、それに……『好き』なんて、恥ずかしくて絶対言えないだろう。──俺は今までに告白ってものをしたことがないんだ。
 冷静になろうと思い、『俺は直樹とは違うんだ!』と自分自身に強く言い聞かせる。
 そのときふっと、「違い」つながりで昨日の大惨事を思い出した(思い出したくない出来事だったけど…当分忘れられないだろう)。
(そういえば……)
 昨日の停電……あいつ、電気がついたときにすげー離れた所にいたな。それまでは慶太の隣にいたはずなのに。
 ──もしかして、あれはあいつのしわざだったのか?
「何考えてんだ、直樹の奴……」
 まさかとは思うけど、昨日のあれは、俺たちの前でキスがしたいっていう一種のパフォーマンスだったのか!?(いや、あいつなら考えかねないからさ。『ちょっとマンネリだったから〜』で野外エッチするような奴だから……)そうだとしたら──ホントにどうしようもない奴だ。自分の弟とは思いたくないな……。
 双児とはいえ、あいつの考えることはいつも突拍子もないことで、俺にはさっぱりわからない。
(とにかく、先生に不審に思われるようなことがもう起こらないといいけど……)
 だけどあの2人がいる限り、安心して学校に来れない気がする…………。
 書きかけの絵は今日もちっとも筆が進まない。いつもの倍以上、仕上がりまでに時間がかかってしまうかもしれない。
「はぁ…………」
 俺の憂鬱はまだまだ終わりそうになかった。 

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 さて、トラブルメーカーの弟はといえば。
(うーん……。兄貴をその気にさせるにはどうすればいいんだぁ?)
 慶太や兄の願いも虚しく、慶太と別れて家に着いたとたん、次なる作戦に頭を痛めていたのだった。
「あの2人だと、たぶん先生のほうがタチだろうから──先生に無理やり兄貴を襲わせるとか!」
 でもすんなりOKしそうにないよなー……と、物騒なことを言う直樹は、自分の過去にあったある出来事を思い出した。
「俺も押し倒されたことあったなぁ、昔」
 中学2年の一学期。ちょっと気になってた先輩が、サッカー部の部室で2人っきりのときに突然押し倒してきて。
 初めてですごく怖くて、だけど必死な様子の先輩を見てたらそのうちに気持ちよくなっていた。
(確かあのときは──)
 先輩に『どうしたら背が高くなるか』って相談して──そしたら『全部脱いで体を見せてみろ』って言われて……
「脱いだところを押し倒されたんだっけ」
 なんで素直に服を脱いだのか覚えてないけれど、言われた通りにパンツまでちゃんと脱いで先輩の前に立ったのだった。
(……好きな相手が『襲ってください』と言わんばかりに目の前にいたら、そりゃ間違いなく食っちゃうだろ)
「先生も兄貴の全裸なんか見たら、絶対オオカミになるんじゃん?」
(俺の勘によれば、先生はきっとSEX嫌いじゃないはずだし……)
 見た目は確かにソフトな感じだけど、ああいう人に限って中身はハードだったりするんだよな……と、和樹が聞いたら激怒しそうなことを考える直樹。
「──そっか!」
 あくまで勘なのに、そうだと信じて疑わない直樹は、ぴんっとある計画を思いついてしまった。
(兄貴は先生の頼みを断れないはずだから……晴海先生が兄貴に『ヌードモデルになってくれないか?』って話を持ちかけて──)
「そこを襲っちゃうってのは!?」
 自分至上主義の直樹は、自分にとって決して嫌ではなかった経験を兄に再現させようと企てはじめたのである。 
「場所はやっぱり美術研究室でしょ……昨日と同じように部活が終わったあとがいいよな……」
 頭の中でそのときの光景を想像して、これなら絶対うまくいく! と確信する。
「完璧じゃん? やっぱ俺ってすごい!!」
 自分の計画に大満足して、直樹は「ぬふふふっ」と笑いながら勢いよくトイレットペーパーを引いた。

 珍しく家に帰っていた吉村家の家長が、トイレから聞こえてきた息子の無気味な笑い声に、キャベツを刻んでいた包丁であやうく自分の手を刻むところだった……とは、もちろん直樹は知る由もない。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

TOP