─ 第8回 ─


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「藤原君、ちょっといいかな」
 昼休み、いつものように直樹と屋上で飯を食おうとしていた俺は、直樹の教室に向かって歩いているとき突然背後から声をかけられた。
「なんすか?」
 気軽に振り返り、そこにいた人物を見て──『ビシッ!』と音がしたんじゃないかって思うくらいの勢いで、俺はその場に張りついた。
「ごめんね、お昼休みなのに」
 そう言っていつものように笑っていたのは、俺が今1番会いたくなかった人だったんだ。
「は……晴海先生……」
「お昼は吉村君と一緒じゃないの? ……あ、吉村君の弟君と一緒なのかな?」
 先生の頬が少し赤くなったような気がしたけど、それはあえて見なかったことにして流してしまおう。
(な、なんで今日に限って話しかけてくるんだよ〜〜!!)
 俺と晴海先生の接点なんて週に2回しかない美術の授業だけだから、こうして授業以外のところで話しかけられることは今まで1度もなかったのに。
(や…やっぱり、昨日のことか!?)
 昨日の放課後の大失態を思い出し、顔から血が引いていく思いがした。
 昨日俺と直樹は、和樹と晴海先生の前で盛大なキスシーンを演じてしまったんだった(もちろん直樹がけしかけてきたんだけど)。
 あまつさえ学校で、しかも教師の前でそんなことをしてしまって、和樹に美術研究室から放り出されて正気を取り戻した直後から、俺の頭はパニックに陥っていた。もちろん、今も。
 和樹と顔を合わせるのも気まずかったっていうのに……今は先生に会いたくなかった!
 顔の筋肉をひくひくと引きつらせている俺に気づいてないのか、先生は申し訳なさげに、
「時間、あるかな? 藤原君にお願いがあるんだ」
 と、予想もしなかったようなことを言った。
「──え?」
「ちょっと、相談に乗ってもらいたいんだけど……」
 俺より少し背の低い先生は、俺に顔を隠すように俯き加減でそう言って。
「……相談?」
 てっきり昨日のキスのことで何か言われるかと思ってた俺は、肩からすとんと力が抜けた。
「うん。できれば……吉村君の弟君も一緒にいてくれると心強いんだけど」
「──直樹?」
(あのトラブルメーカーを?)
 いったいどんな相談があるっていうんだろう、晴海先生は。和樹ならともかく、俺と直樹に相談したところでたいした解決にはならないような気がするけど……。
 だけど無下に断ることもできず、どうしようか迷っていると。
「相談? 俺と慶太に?」
 どこから湧いて出たのか(……ちょっと直樹に失礼な表現だな)、俺の肩口に顎を乗せて、直樹が晴海先生に向かってそう言った。
「どんなこと? ……もしかして俺の兄貴のこと?」
 人の何倍も鋭い性格をしている直樹がズバリと言って、俺は慌ててその口を塞ごうと手を伸ばした。だけど、
「うん……そうなんだ」
 先生はこっくりと頷いて、真剣な表情で俺と直樹に再度繰り返した。
「相談、乗ってもらえるかな?」
 晴海先生の頼みに、俺たちは顔を見合わせた。

「……それで、相談したいことって?」
 今日の昼飯は和樹の手作り弁当の直樹が、さっそく弁当の蓋を開けながら促した。
 晴海先生は3人分の茶を用意して俺たちの前にそれぞれ出してくれたあと、いつも自分が使っている椅子に腰かけてゆっくり息をついた。
 俺たちが連れてこられたのは、晴海先生のプライベートルームともいえる美術研究室だった(昨日の今日で、ここに来たくなかった……)。ここなら人に聞かれる心配はないしな。
 俺の隣に座ってぱくぱくと弁当を食べる直樹を、俺は羨ましく見つめた。俺も直樹くらい神経が太かったらな……こんなときに飯なんて、とても喉通らないよ。
 たっぷり1分は黙り込んで、何から話そうか考えていたらしい先生は、ようやく踏ん切りがついたのか大きく息を吸い込んで話しはじめた。
「……うん、あのさ。吉村──和樹君て…今、付き合ってる人とか、いるのかな?」
「和樹!?」
 思わずでかい声で叫んでしまった俺に、直樹は「うるさいっ」と肘で突ついてきた。
 だけどこれが叫ばずにいられるか!?
(つまりそれって……)
 それって、つまり、晴海先生は和樹のことを────
 聞きたいけど聞くことができない小心者の俺を尻目に、
「先生、兄貴のこと好きなんでしょ」
 言い淀む様子も見せずに、直樹はけろっとした顔でズバリとそんなことを言ったんだ!
 あわあわと直樹と先生を交互に見る俺。なんてこと言うんだ、このトラブルメーカーは!!
 だけど先生は直樹の言葉を否定することなく、
「うん……好きになっちゃったみたいなんだ」
 生徒である俺たちに、そう本音をぶちまけたのだった。
 今度こそ本当に言葉をなくす俺。反対に、それを聞いた直樹は、いよいよ好奇心丸出し! って感じに目をキラキラさせて先生に詰め寄った。
「えーっ、いつからいつからっ?」
「いつって……初めて会ったときからかな。この学校に赴任してきた最初の日、校内で迷ってたところを和樹君に助けてもらったんだ、僕。随分しっかりした子だなーって感心して、その日の放課後にあった部活で彼が美術部だって知ったときは嬉しかったな」
「兄貴のどこが好きなわけ?」
「うーん、全部だけど……でも、責任感が強くて気が利いて──みんなに優しいところとか、かな」
 はにかむように、手の中で茶碗を回しながら話す先生は、とても教師に見えなかった(せいぜい近所のお兄さんって感じで)。
「今までにアプローチとかしたことあるの?」
「そんなこと……いちおう僕は教師だし、それに和樹君が困るだろうし。男に言い寄られて嬉しがるタイプじゃないだろ? 君のお兄さんは」
「ま、そりゃそうだけどさ。兄貴、あんまり他人に興味ないし」
 直樹は卵焼きを箸にさすと、「これ、食う? 兄貴の手作り」と晴海先生へ差し出した。先生はそれを、とても嬉しそうな顔で口に入れた。──そ、それって、直樹と間接キスじゃ……。
「──おいしい。料理上手なんだ、和樹君」
「先生は下手っぴっぽいよね」
「そんな身も蓋もない言い方……下手だけどさ」
「やーっぱ図星なんじゃ〜ん」
 和やかに、楽しげに笑う2人。
(なんだ!? この2人!?)
 妙に打ち解けてないか!? いつのまに仲良くなったんだ!?
 俺の心の声など聞こえないフリで(実際聞こえてないんだろうけど)、直樹は思わず嫉妬したくなるくらいとびきりの笑顔を先生に見せた。
「先生なら、兄貴のこと幸せにしてくれそうだし──協力してあげてもいいよ」
「え、本当?」
「うん。だから先生も、俺たちがこういう仲だって誰にも言わないでね。言わないと思うけどさ」
 直樹は俺の肩に頭をもたせかけて、そりゃまずいだろってくらい顔を近づけてきた。焦って肩を引こうとした俺を押さえつけ、先生に見せつけるように俺の耳元で笑う直樹(誘ってんのか!?)。
「もちろん、言わないよ。ありがとう、直樹君。藤原君も」
 晴海先生はほっとしたような顔で、直樹と、それから俺にも礼を言った。──俺、何もしてないんだけどな……。
『大丈夫なのか、直樹っ?』
 安請け合いした直樹に、俺は小声で囁いた。
 昨日の作戦だって失敗に終わったっていうのに……直樹は懲りるってことを知らないんだろうか。
「だーいじょぶだって。そんなに心配しないでよ」
 ケラケラ笑い、直樹は自信たっぷりにウインクした。
(その顔が信じられないんだよ!!)
 と叫びたかったけど、そんなことを言ったら直樹がまた拗ねそうで、やめた(また「キスしろ」って言われたら困るし)。俺……すっげー直樹のこと中心に考えてるよな。なんか間違ってるような気がしてきた……。
 俺の心直樹知らず。直樹は今にも鼻歌を歌い出しそうなテンションで、先生にもウインクをしてみせた。
「とりあえず、俺たちのほうで作戦考えるから、先生はもうちょっと待ってて」
「……大丈夫かい?」
 あまりにもあっけらかんとしている直樹に、そのとき初めて少しだけ不安そうな顔になった先生。
「まかせといてよ、俺と慶太に。ね?」
 自信たっぷりに笑った直樹に、また何か波乱が起こりそうだと予感した俺は、そのあとも飯が喉を通らなかった。

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