─ 第6回 ─


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 そんなこんなで、あっという間に一週間が過ぎ。
 和樹の預かり知らぬところで直樹は着々と計画を進め、無謀ともいえる作戦の実行される日がとうとう来てしまった。

「なぁ、おい直樹、まさか本気でやる気じゃないだろうな……?」
「何言ってんの? 本気に決まってるじゃん。今日は大安吉日だし、こんな日を逃す手はないよ!」
「いや、そうは言ってもさ……」
 おまえの計画は無謀すぎるんだよ、と心の中でぼやきつつ実際に口にすることはできない慶太。ここまでノリノリで行動している直樹の機嫌を損ねるような発言は、身の危険を伴うのだと経験からわかっているからだろう。
「もうすぐ部活終わるはずだから、慶太は晴海先生が研究室に戻ってきたら質問があるってここに入るんだよ」
 美術研究室のドアを確認するように軽く叩き、これから起きることを予想してにこにこと笑う直樹に、不安でたまらない慶太はめいいっぱいの仏頂面をした。もちろん、そんな表情も直樹にはなんの効果もないが。
「俺は兄貴を連れてここに来るから──そしたらお楽しみショーの始まり始まり〜〜」
 いったいどんなことをしようとしているのか。詳しいことは何も聞かされていない慶太は想像するのも恐ろしく、黙って直樹に従うことにしようと誓った。
(あとで和樹に怒られようと、全部悪いのは直樹だ!)
 そう思っていたところで、直樹に泣きつかれてしまえば『自分も共犯でした』と言ってしまうんだろうなとわかってしまう慶太だった。

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「やっほー、兄貴」
 今日も無事に部活が終わり、他の部員が帰ったあとの美術室の戸締まりをしていると、突然背後から声をかけられた。
 驚いて振り返ると、そこには俺に似ているようで全然似てない双児の弟、直樹がいた。
「遅くまでごくろうさま〜」
「……直樹? なんでおまえこんなとこに──」
「慶太が晴海先生に授業のことで聞きたいことがあるって言ってたからついてきたんだ。慶太は研究室にいるよ」
 美術室に来る機会がほとんど(というより、全然)ない直樹は、物珍しげな顔できょろきょろと室内を観察しながら俺に近づいてきた。
「兄貴もう帰れるの? だったら俺たちと一緒に帰ろうよ、久しぶりに」
「え?」
 直樹の言葉に、俺たちは小学校以来一緒に帰ったことがなかったなと気づいた。直樹は中学のときも帰宅部で、俺もずっと美術部だったから帰る時間が違うのは当然のことになってたし、部活がないときもなんとなく一緒には帰らなかった。同じ学校に通っていても兄弟が一緒に帰らないのと同じことだと思うけど。
「……別にいいけど」
「そう? じゃあ慶太のこと迎えに行こうよ。あ! 兄貴にお好み焼きのうまい店教えたげる! すっごいおいしいんだよ、広島風お好み焼き!」
 何がそんなに楽しいのか、うきうきと浮き足立った様子の直樹は俺の鞄を持つと、さっさと美術室から出ていこうとする。
「あ、おいっ、ちょっと待てよ!」
 俺は慌てて窓の鍵がかかっているかもう一度確認すると、室内の電気を全部消してからドアを閉めた。いつもここまでやり終えてから、研究室にいる晴海先生に声をかけて帰るのが俺の日課だったが、この一週間はそれさえも心臓がばくばくするほど緊張する行動だった。
(今日は直樹たちがいてくれて助かった……)
 授業中も部活中も、ましてや帰るときでさえそっけない態度を取っている俺に、先生が気づかないはずがない。あくまで気にしてないような態度で接してくれてるけど、内心不思議に思ってるに違いないんだ。
 でも、自分がおかしいんだってわかっていてもどうしようもないんだけど。……先生の顔を見てしまうと、自然と顔が強ばってしまうんだから。
 俺の複雑な心中なんて欠片も知らない直樹は美術研究室のドアを軽快にノックすると、返事も待たずに中へと入っていった。
「失礼しまーっす」
「し、失礼します」
 どうしてもどもってしまうのを止められず、直樹の体の影に隠れるようにして研究室へと入ると、晴海先生と慶太がスケッチブックを広げて話していた。
「あれー、まだ終わってなかった?」
「いや、今終わったところだよ」
 先生は思いっきりタメ口の直樹に嫌そうな顔一つしないで答えると、直樹の後ろにいた俺にも優しげな笑顔を向けてくる。その笑顔がまともに見れなくて、俺はうっと俯いてしまった。
(ふ、不自然だった、か?)
 なんとなくわかっても、もう一度顔を上げて先生の表情を確認することなんてとてもできなくて、そのままの態勢で俺は3人が話してるのを聞いていた。
 そのとき、
「あー上手ー! これって先生が描いたのー?」
 直樹がはしゃいだ声でそう言い、晴海先生が照れくさそうに「そんなことないよ」と言うのが聞こえて、俺は思わず顔を上げてしまった。
 慶太が持ってるスケッチブックに見覚えはない。先生がいつも使っているものなら俺も何度か見てるはずだから……あれは慶太のやつなんだろう。
 3人が覗き込んでいるスケッチが気になって、ためらいながらも近づいて直樹の肩越しに覗き込んだ。
「──あ……」
 それは、美術研究室の窓から見える景色で、鉛筆1本で描いたとはとても思えないほど精巧で綺麗な絵だった。
「これ…今描いたんですか?」
 絵に見とれたまま、思わず聞いていた俺。先生の絵は俺の美的感覚にすごく刺激を与えてくれるんだ。
「うん、そうだよ。藤原君が遠近感を出すにはどうしたらいいのかって聞いてきたから、ちょっと実演してみたんだけどね。一筆書きだから雑なんだけど」
「そんなこと! ……すごく、綺麗です」
「そう? 吉村君にそう言ってもらえるなんて嬉しいな、ありがとう」
 興奮のあまり先生の顔を正面からじっと見つめてしまった俺に、先生は柔らかい笑顔を向けてきて。
 ようやく一週間ぶりに、先生とまともに話せて──顔も見ることもできた! と内心喜んだのも束の間。
「あっ!」
 直樹が叫んだと思ったら、いきなり部屋の中が暗くなってしまったんだ!
「ええっ!?」
 突然の出来事に思いっきり大声を上げてしまった俺は、何かにすがりつこうとあたふたと両手を動かした。
 昔から暗いところが苦手な俺に、父さんが教えてくれたんだ。こういうときは『その場に座り込むか、動かないものにしがみついて状況を見極めろ』って。
 さすがに座り込むことはしなくなったけど、それでもこういうとき何かにしがみつくことを欠かさない俺は、自分の目の前に大きな気配を感じ取って、夢中でそれに抱きついた。
(──なんだろう、これ?)
 抱きついてから我に返り、自分よりも背の高いものが目の前にあったかなと一瞬考える。
 だけど深い闇の中でいろいろ考えられるほど余裕がなかった俺は、両手を巻き付けてもびくともしないそれに、さらにぎゅっと抱きついた。……なんか、微妙にあったかいかも。
 ぐっと目を閉じて固まっていたら、俺の肩に何かが触れてきて。
「えっ?」
 と小さな声が頭上から降ってくるのと、目の裏がぱっと明るくなるのはほとんど同時だった。
「なに……?」
 停電? と、恐る恐る目を開けると、俺の視界にはまっ先に直樹の顔が飛び込んできて。
 強ばった顔で俺のすぐ横を睨むように見つめているのに気づき、俺は直樹の視線を追った。
 だけど首を少し動かしただけで、俺の視界には何かが飛び込んできたんだった。
「──え?」
 それが自分も着ているブレザーだと気づいたときには、見知った顔が俺を見下ろしていて。
「……けい、た?」
「──和樹?」
 なんと、俺ががっちりと抱きついていたのは慶太だったんだ!!
「な、なんでっっ!? なんで兄貴、慶太に抱きついてるのさ!!」
 指を指されながら叫ばれて、俺も何がなんだかさっぱりわからず目を白黒させるだけで。
「な、なんでって言われても──!!」
(俺だって夢中でしがみついたから、まさかそれが慶太だなんて思わなかったんだよ!)
 そう叫びたいのに、驚きのあまり声が出てこない。
「早く離れてよ!! 慶太に触んないで!!」
 直樹は慶太に抱きついたまま固まっていた俺の体を力いっぱいひっぺがすと、今度は自分が慶太の胸に顔を埋めた。
「兄貴のばかっ!! 慶太は俺のなんだから!! 気安く抱きついたりしないでよ!!」
 今にも泣き出しそうな顔でそんな抗議をされても、俺には何が何やらさっぱりわからない。
「落ち着けよ、直樹。和樹は俺に抱きついてきたわけじゃなくて、しがみつけるものが俺の体しかなかったから──」
 俺の暗闇恐怖症を熟知している慶太が俺の代わりに弁明しようとしたら、直樹の怒りは慶太に向けられたようだった。
「どうして!? なんで慶太が兄貴のことかばうの!? やっぱり兄貴のこと好きなんでしょ!!」
「はぁっ!?」
 どうしてそんな考えに辿り着くのか、双児とはいえ直樹の思考は読むことができない。
 俺は両手を胸の前でばたばた振りながら、違う違うと繰り返した。
 だけど、一度思い込んだらすぐには考えを曲げない直樹は、慶太の胸に顔を押しつけてびーびーと泣き出したのだった。
「どうせ俺なんか、兄貴と比べたらなんのとりえもないよ! だけど慶太はずーっと俺のこと好きだって信じてたのに!!」
「ばっ……慶太が俺を好きなんて、そんなわけないだろ!?」
「そんなのわかんないもん!! 兄貴のほうが俺より長く慶太と付き合ってたんだから、俺と付き合いだしてから『やっぱ和樹のほうがよかったな』って思ったのかもしれないじゃん!!」
「だから、そんなことないって!」
 焦ったように直樹の肩を揺らす慶太。まさか慶太も、直樹がそんなことを考えてるとは予想もしていなかっただろう。
「俺が好きなのは直樹だって、ずっと言ってるだろ?」
「口ではなんとだって言えるよ!!」
「じゃあどうしろっていうんだよ!!」
 聞き分けのない子供のような直樹に業を煮やしたのか、いつもは温厚な慶太も声を荒げる。
 直樹は慶太のブレザーを掴み、涙でぐちゃぐちゃの顔で挑むように言い放った。
「キスしてよ、今すぐ! 兄貴の前でキス!!」
「なっ……」
 突拍子もない発言に俺は絶句した。だけど慶太は
「〜〜〜〜わかったよ!!」
 売り言葉に買い言葉で、やけくそ気味に俺の前で直樹を抱きしめ、直樹の唇を塞いだのだった。
(わが弟ながら……なんて恥ずかしい奴)
 恋人にキスをねだるなんて、女の子がすることじゃないか? ──いや、直樹はいつも慶太にねだりまくってるんだろうけどさ。
 半ば呆れて2人の様子を見ていた俺は(いつももっとすごい声を聞かされてるから、これくらいじゃ驚かなくなってた)、2人が熱烈なキスをしているその向こう側に呆然と立ち尽くす人影を見つけ、かちかちっと凍りついた。
「は…は、はるみせんせ──」
(……いたんだった!!)
 晴海先生は俺の声に気づかず(たぶん俺の姿も目に入ってなかった)、音が聞こえてきそうなほど深いキスを始めてしまった直樹と慶太の様子をじっと見つめていて──
(やばいっっ!!!!)
 俺はとっさに体を動かし、先生の視界から直樹たちの姿を隠した。
「先生!! あのっ!!」
「……あ、──和樹、くん?」
「戸締り終わりましたんで、お先に失礼します!! ほら、行くぞおまえら!!」
 固く抱きしめあったままキスをし続けていた2人を引っ張り、研究室の外に投げ飛ばして勢いよくドアを閉める。
「いったーい……なにすんのさ、兄貴。ちょーいいところだったのにぃ」
 能天気にも慶太の腕の中におさまったまま床に転がっている直樹に、俺は全身の力が抜けていくのを感じた。
(全部、晴海先生に見られた──)
「どうしよ…………」
 俺の頭の中では、直樹と慶太のキスシーンを直視していた晴海先生の顔がぐるぐると回り続けていた。

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