─ 第4回 ─


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 直樹との話を終えてから急いで美術室に飛び込んだ俺は、真っ赤な顔で晴海と話してる和樹を見てなんだか胸騒ぎがした。
(あれって、やっぱり……好きな相手と話してる奴の顔、だよな……)
 横目でちらちら2人の様子を見ながら一足先に席について、和樹が来るのを待つ。チャイムが鳴ってもぼーっと突っ立ったまま動かなかった和樹は、晴海に呼ばれてようやく俺の隣の席にきた。
 魂が抜けたようにぼーっと前を見ている和樹に、俺は忠告せずにはいられなかった。
「和樹、おまえ大丈夫か?」
「うん……」
「早まったこと考えるなよ?」
「うん……」
「急いで結論出す必要ないんだからな」
「うん……」
 俺の言葉はまったく耳に届いていないようで、何を言っても気の抜けたような返事だけが返ってくる。
 言い聞かせるのはムダだと早々に諦めて、和樹に声をかけるのをやめ──その直後に隣から聞こえてきた声にぎょっと身をすくませた。
「恋……なんだ」
 確かに和樹の声でそう言うのが聞こえて、俺はおそるおそる隣を見た。
 和樹の目はまっすぐ晴海の姿を捕らえていて、その視線の熱っぽさに思わず鳥肌が立ってしまう。
 和樹もこんなカオするんだ。なんか……直樹のあのときの顔に、ちょっと──似てるな。
(自覚……しちゃったか……)
 まぁ、直樹が晴海の話をしたって時点で、こうなるんじゃないかって思ってたけど。
 自覚することがいいことなのかどうかわからない。俺には和樹の恋愛に口を挟む権利はないし、そんなことをする気もない。
 だけど、心配なんだ。なんとなく……和樹は恋愛したら何かが変わりそうで。
 今より明るくなるとか、いいほうに変わるなら問題ないけど……相手にのめり込みすぎて何も手につかないって状態になりそうな気もしないでもないからさ。
(応援するべきなのか、諦めろって言うべきなのか……)
 いろいろ考えても、やっぱり俺には何も言えない気がする。ただ黙って見守ることしかできないって、そんな感じがするんだ。他人の恋愛はよくわからないからな、俺。
 だけどたぶん直樹は100%協力しようっていうだろう。……自分の好奇心から。
(直樹を止めることなんてできないのはわかってるんだけどな……)
 これからどんなことになっていくのか、俺には全然予想がつかなかった。

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「ごめんね、部活終わったのにこんなこと頼んじゃって」
「いえ、本当なら朝のうちに終わってるはずのことですから。俺のせいですみませんでした」
「もういいって。こうして手伝ってもらってるんだからさ」
 部活が終わり、他の部員が帰ったあとの美術室。晴海と和樹は、今朝入った教材のチェックを行なっていた。
 今までにも何度か手伝ったことがあるだけに、和樹も手慣れた様子で作業を進めていく。──が、内心ではものすごく緊張していた。
(好きな人と2人っきり。しかも、こんなに密着して──)
 密着といっても、あいだに大の男1人余裕で座れる程度には離れているのだが、和樹にはそんな隙間はないも同じように感じられているようだ。
(俺、いつもと違うところないかな……?)
 自分の気持ちが見透かされてしまうような何かがあったらどうしよう、と杞憂ともいえる心配をし続ける和樹。
 そんな和樹の思いなどまるきり気づかない晴海は、いつもと変わらない調子で和樹に笑いかけていた。その笑顔がどんなに和樹の胸を締めつけているかなど、晴海には知る由もないのだろう。
 ときどき訪れる静寂に、自分の心臓の音が聞こえてしまうのではないかと息をつめる。和樹には、窓の外から聞こえてくる運動部の声が救いだった。
 そんな2人の様子を、物陰からそっと見ている2人組がいた。
『おい、帰ろうぜ、直樹』
『……もうちょっと』
『和樹に気づかれたらただじゃ済まないぞ!?』
『わかってるよ。だから隠れて見てるんじゃん』
 和樹の弟直樹と、その恋人慶太である。和樹から放課後晴海の手伝いをすると慶太が聞いたのを知った直樹が、ぜひ現場を見に行こうと慶太を引きずってやってきたのだ。
 連れてこられた慶太も、実は2人っきりになったときのことが気になっていただけに、そのままずるずると直樹についてきていた。それでも罪悪感が否めないのか、先程からそわそわと妙に落ち着かない様子で辺りを見回していた。
『それにしてもさ、だーれもいない教室だよ? 好きな人が目の前にいるんだよ? なんで何もしないの、あの2人』
 ぷーっと頬を膨らませてそんなとんでもない発言をする直樹を、慶太はぎょっと見つめた。
『するわけないだろ。お互い相手の気持ちには気づいてないんだからっ』
『雰囲気で流されてやっちゃえばいいのに。あとから気づくこともあるでしょ? それにあの2人はもう両思いなんだし、抱き合ったら相手の気持ちが伝わってくるかもしれないのに』
『……おまえにはそういうことがあったのか?』
 それまでに何度となく聞いてきた直樹の意味深発言に、そのときようやく切り返して聞くことができた慶太。だが、
『俺はないけど。よくあるじゃん、マンガとかでさ』
 はぐらかしているだけなのか、本当にないのか。慶太には直樹の口ぶりでは本当のところを読み取ることはできなかった。直樹には、話をうまくごます才能みたいなものがあるのかもしれない。と、慶太はつねづね思っている。
 そのとき、
『──あ!』
 ふいに直樹が声をあげる。つられて慶太も顔を上げると、美術室の中では無邪気に笑った晴海が和樹の手を握っていた。
「和樹君の手って、すごく綺麗なんだよね。今度デッサンで描かせてもらっていいかな?」
「は……はい」
「あ、こんなところにほくろあるんだ」
「え、ええ……」
「気持ちいいな……。すべすべだね、和樹君の手」
 和樹の手を持った晴海が、手触りを確かめるようにそっと両手を動かす。和樹の顔は遠くからでもはっきりわかるほど赤くなっていて、だが下を向いている晴海にはそんな和樹の様子は見えていなかった。
『……帰るぞ、直樹』
 ふいに慶太が言って、直樹の細い手首を掴んだ。
『えっ? これからがいいところなのに?』
『いいから。どうせ今日は何も起こらないよ』
『なんでわかるの?』
『なんとなく』
 音を立てないように美術室を離れると、そのまま2人は学校を出た。
「どうしたの、慶太?」
 力強く手を握られて、そのままずんずんっと前を歩いていく慶太に、痛いよと抗議の声を上げる直樹。
「別に。覗きなんてするもんじゃないだろ」
「気になるなぁ、あの続き」
「和樹が帰ってくればわかることだろ、双児なんだから」
「そうだけどー。現場を押さえたかったんだってば」
 悪趣味なことをしらっと言うと、直樹はざんね〜んと口を尖らせた。
 そんな直樹の様子は気にも止めず、慶太は直樹に思いつめたような眼差しを向けた。
「気づかなかったのか、直樹」
「何を?」
「晴海の奴、和樹のこと『吉村君』じゃなくて『和樹君』って呼んでた。授業のときは絶対そんなふうに呼ばないのに」
「そうなの? なんか普通に呼んでたけど」
 そう。そこが下せない。晴海は和樹と2人きりになるとああなるのか? 
 だが、和樹は名前で呼ばれるのに慣れているようには見えなかった。──ということは、今日初めてだったのかもしれない。
(あいつ……誘ってたのか? 和樹を? いや、まさかそんなこと……)
 いくらなんでも、相手が自分をどう思ってるかわからないのに誘ったり……しないだろう、普通は。男同士でならなおさら。
 だけどもしかしたら、晴海には和樹の気持ちなんてとっくにわかってて、和樹が拒むはずないって思ったから誘ったのかもしれないし──慶太には本当のところは見えてこなかった。
 だが直樹は、慶太の悶々とした考えを一蹴するようなことをあっけらかんと言った。
「けっこう大胆なんだね、晴海先生って。あんなところであんなふうに生徒誘っちゃうなんてさ」
「えっっ!?」
「けっこう色っぽい人だし……でも、兄貴とだとどっちがタチでどっちがネコなんだろ」
 唇に人指し指を当て、う〜んと考える直樹。
「な、直樹……やっぱりあれはそういうことなのか?」
「そうじゃなーい? だって露骨だったじゃん、誘ってるの。生徒のこと名前で呼ぶなんて、そこからすでにアヤシイもん。慶太も気になったんでしょ?」
「そ、そうか……」
 自分よりずっと恋愛事情に詳しい直樹の言葉に、慶太は呆然と今見てきた光景を思い出す。
「じゃあ……やっぱり、あのままどうにかなっちまうってことも……」
「だから言ったじゃん。なんだよ、あんなに自信満々で何も起こらないって言っといて」
「……別に根拠はなかったけどさ」
 やっぱり自分の勘はあてにならないと、がっくり肩を落とす慶太。
「まあまあ。そんなに落ち込まなくても、いつか見れるチャンスがくるよ」
「……見れる?」
「あれ? だって、あの2人のやっちゃってるとこ見れなかったからがっかりしてるんでしょ?」
 見当違いも甚だしい直樹の言葉に、慶太の口からは重い溜息が洩れた。間違いを訂正するのも面倒臭く、そのまま和樹たちの話をするのはやめて約束通りホテルへと向かうことにする。
 だが慶太の頭の中では、不埒な想像がぐるぐると回っていた。
(あの2人がうまくいったら……)
 どんなことになるんだろう。……いや、直樹の言ったどちらがタチでどちらがネコかってことじゃなく──和樹の性格がどんなふうに変化してしまうのか、気になる。
 1年のときから同じクラスで、直樹よりも付き合いが長いだけに、自分の弟のような(ときには兄のような)和樹のことが心配でたまらない慶太だった。
 もしかしたら自分は、和樹が誰かと『そういうこと』になるのが嫌なのかもしれない。──誰しも、自分の家族がそういうことをしていると想像するのは嫌なものだろうし、それが性格破綻の原因になるかもしれないときたらなおさらだろう。
(……やめよう。俺にはもう何も考えられない)
 自分がどんなに悩んだところで、きっと結果というものは出るべくして出てしまうのだろう。──すでに出てしまっているのかもしれないし。
 それにこれからは、直樹の行動をどうするかで頭を痛めることになりそうだ。
 慶太が思わずため息をついていると、
「ね、慶太は晴海先生と兄貴だったら、どっちがネコだと思う?」
 直樹が無邪気にそんなことを聞いてきて、慶太は心労がずっしりと溜まった気がした。

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