翌週の月曜日。
慶太は、自分の斜め前の席に座る和樹の様子にただならぬものを感じていた。
(直樹……やっぱり和樹になんか言ったのか!?)
明らかに溜息の数が多い和樹は、授業中も休み時間もそれとわかるほど上の空だった。
慶太が声をかけてもほとんど反応を示さず、その虚ろな目が何を考えているのか想像するのは、慶太にはそら恐ろしいことだった。
それでも、何も知らないでいるわけにはいかないだろうと(自分が無責任なことを言ったせいだと考えたので)、自分の恋人であり和樹の弟でもある直樹に、和樹のあの様子はどういうことかと聞くことにした。
──それがどんなに恋人の嫉妬を買うのか、予想もせずに。
「直樹! ちょっと来い!!」
ニ限目が終わって、体育で外に出ていた直樹が戻ってきたところを捕まえた慶太は、人気のない階段下に直樹を引っ張って行き、早速問いただした。
「おまえ、やっぱり和樹に何か言ったのか?」
「やっぱり? 何かって? ねぇ慶太、せっかくだからキスして」
「キスはあとで! ……だからさ、晴海のこととか好きな奴は──とか、何か聞かなかったか?」
「……キスしてくれたら教える」
なぜかむっとした表情で直樹は答え、つんっと横を向いてしまう。
一度ヘソを曲げてしまうとなかなか機嫌を直してくれないことを知っている慶太は、仕方なく直樹の肩を引き寄せた。ちゅっと軽く唇を合わせ、
「これでいいだろ?」
自分より小柄な身体を抱いたまま聞くと、直樹は「だめ」としがみついてきた。
「そんな投げやりなの、キスって言わない。もっとちゃんとして」
元来わがままなところのある直樹だが、ここまで聞き分けが悪いときは何か理由がある。
(俺、なんかしたっけか?)
昨日デートしたときも、全然そんなことはなかったけどな……と思いつつ、今度はしっかりとディープなキスをしてやった。
誰に見られてもおかしくない場所でキスしているということをすっかり忘れた2人は、そのまま次の段階まで進んでしまうか!? ……と思われたが、それどころではないと思い出した慶太がようやくキスをやめ、公衆に破廉恥な姿を披露することはなかったのだった。
「……続きは家でしよう。な?」
「うんっ。慶太、大好きv」
アイドルも真っ青な直樹の超ビューティフルスマイル(と慶太は思っている)に一瞬デレッとしかけた慶太だったが、休み時間も終わりに近づいているし、聞かなければいけないことだけでも聞いておこうともう一度直樹に聞いた。
「なぁ直樹、おまえ和樹に晴海のこととか聞かなかったか?」
「……聞いちゃった」
「やっぱり……」
「でも! でも、聞いたのは付き合ってる人はいるのかってことと、晴海先生ってカッコイイらしいねってことだけだよっ?」
それもダメだったの? とかわいらしく聞かれてしまえば、「うん」とは言えない慶太である。
「あー……たぶんあいつ、自分の気持ちがわかんなくて悩み始めちまったんだな」
「自分の気持ちって? やっぱ兄貴、晴海先生のことが好きってこと?」
「好きかどうかで悩んでるってことさ」
「ふーん。……ふーん」
慶太の顔をじっと見つめたまま何度も頷く直樹。その顔からは笑みが消え、意味深な表情を浮かべている。
「……なんだよ」
直樹の様子にただならぬものを感じた慶太は、自分が何か怒らせるようなことを言ったのかとたじろいだ。そういえばさっきから妙に突っかかってきていたのは……気のせいではなかったのか。
「……なんで慶太、そんなに兄貴のこと気にしてんの?」
「な、なんでって……」
「もしかして、兄貴のこと好きなんじゃないの!?」
「──はっ!?」
直樹の突拍子もない発言に、慶太は開いた口が塞がらなくなる。
「なんでそんな話になるんだよ!?」
「だって、だって慶太、さっきから兄貴のことすっごく気にしてるじゃん。兄貴が晴海先生のこと好きだったらどうだって言うのさ。別にいいじゃん、そんなの俺たちに関係ないじゃん。
それともやっぱり、慶太は俺じゃなくて兄貴のことが好きなの? 俺の事は兄貴の代わりだったの!?」
そんなことを口走り、大きな目をうるうるとさせて慶太の顔をじっと見つめる直樹。
「そんなわけないだろ! 俺が好きなのは直樹だよ!!」
「……じゃあなんで、そんなに兄貴のこと気にするの?」
「それは──友達としてさ、やっぱ放っとけないだろ。あいつ、恋愛とか疎そうだし。それに……」
「それに、なに?」
「いや。なんでもない」
おしゃべりな直樹に晴海のことを話してしまったのは俺だし……と、口に出しては言わないけれど、心の中で呟く慶太である。
「……隠しごとするんだ、俺に」
すねたようにそっぽを向く直樹に、「そうじゃないよ」ともう一度キスを仕掛ける。勘の鋭い直樹には、自分が何かをごまかそうとしてると悟られてしまうかもな……と思いつつ、それでもこれ以外に言い逃れる方法が見つからなかった。
たっぷり濃厚なキスをしてやってから顔を離すと、直樹はぶすっとした顔はそのままでも、それ以上追求して聞いてこようとはしなかった。
「とりあえず、俺心配だから和樹のこと見てるけど──変な誤解するなよ?」
「──誤解したくないから、今日はホテルでたっぷりエッチして」
「……わかった」
万年金欠状態の自分にその要求は痛かったが、それでもやはり大好きな直樹の要求は全部聞いてやりたいと思うあたり、慶太もかなり直樹にのめり込んでいるのであった。
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(あんなところで、あんなことして……!)
美術室へと向かいながら、俺は直樹と慶太の無神経さに大いに腹を立てていた。
他の奴には見られてなかったみたいだけど、俺はばっちり見てしまったのだ。あいつらが階段下で、抱き合ってキスしてるところを!!
どうして俺はあいつらのああいう場面を目撃してしまうんだろう。あんなのを見たら──
「余計意識するじゃないか!」
思わず声を洩らして、慌てて自分の口を押さえた。……よかった、誰にも聞こえてなかったみたいだ。
ほっとして、俺は週末からもう何百回目かの溜息をつく。
意識してしまうというのは、晴海先生のこと。
考えないようにすればするほど気になってしまって、昨日は一日中先生のことを考えていた。
自分は晴海先生のことが好きなのか……考えれば考えるほどわからなくなって、頭がこんがらがって、結局よくわからないままだった。
こんな気持ちのまま先生に会うなんて嫌だけど、無情にも美術の授業はやってきてしまったんだった。
いつもはなんのためらいもなく入れる美術室に、今日は足がすくんでしまって入れない。
「チャイム鳴るぜー、吉村」
後ろからやってきたクラスメートに急かされて、ようやく教室に入って。
先生の姿を発見して、俺の胸はどきんっと跳ね上がった(確実に、心臓が何cmか浮き上がった!)。
とくん、とくんと、にわかに大きくなる鼓動。
(まさか……そんな、こと──)
でも、この感じは……確かに前にも──
「吉村君、おはよう」
そのとき突然後ろから声をかけられて、その声が今一番話しかけられたくない相手のもので、俺は
「うわっ!」
と叫びながら、後ろに飛び退さっていた。なんで、さっきまで俺の目の前にいたのに、後ろから声がしたんだ!?
(や、やばっ!)
慌てて振り返ると、そこには驚いたような顔の晴海先生が立っていて。
「……どうしたの、そんなに驚いて」
俺の肩を叩こうとしていたのか、手を上げたまま固まっている様子に、俺はがばっと頭を下げた。
「す、すみません! ぼーっとしてて……」
顔が赤くなっているのがわかる。恥ずかしくて、先生のほうを見られない。……俺の様子が変だなって、思われてないだろうか?
「別にいいけど……。それより、今日の朝はどうしたの?」
「……え?」
(今日の朝……?)
何かあったか? と考えて、すぐに思いついた。
(先生の手伝いをするって約束したんだ!!)
今日の朝教材が入ると聞いて、整理を手伝うと言ったのは俺の方だった!
「すみません! あの、ちょっと…忘れちゃって……」
さらに赤くなる顔を隠し切れず、それでも目だけはそらしながらしどろもどろに言うと、
「そっか。珍しいね、吉村君が忘れちゃうなんて」
先生は怒った様子もなくあっさりそう言うと、いつもの笑顔を俺に向けてきた。
「じゃあ悪いけど、今日の部活のときに手伝ってもらっていいかな? ちょっと量が多くて、1人じゃ全部やりきれなかったんだ」
「それは、もちろん!」
「ごめんね、よろしく」
チャイムの鳴るのを聞いて、教壇へと歩いていく先生を見送りながら、俺はかつてない自己嫌悪に見舞われていた。
(先生との約束を忘れるなんて……)
晴海先生だけじゃなく、誰かとの約束を反古にしたことなんて今までに一度だってなかったのに。
どんどん調子が狂っていく。自分でもどうしようもないほど。
──これは、やっぱりそうなんだろうか?
「吉村くーん、早く席つけよー」
教壇に立った晴海先生が、ぼーっと突っ立ったままだった俺に笑いながら言って。
先生の笑顔に目を奪われたまま、俺は口先だけで「はい」と返事をしていつも座っている席に座った。
俺の席の隣に座っていた慶太が、俺に小声で何かを言っていた。聞こえていたけど全部聞き流し、生返事を返しながら、俺は妙に落ち着いた気分で先生の姿を見ていた。
──先生の顔から、目が離せない。
自分の気持ちがはっきりわかって、俺は思わず呟きを洩らしていた。
(やっぱりそうだ。……そうだったんだ。先生に対するこの感情は──)
「恋……なんだ」
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