先生の絵のモデルをするようになって、もう3週間くらい経つ。2、3日前から色を塗りはじめてるからけっこう進んでいるのかもしれない。
でもそのあいだ先生は、俺が『絵を見せてほしい』と言うと、
「まだ見せられないよ。出来上がるまで待ってね」
いつものように笑いながらそう言うだけで、俺には絶対に見せてくれなかった。
すっごく見たいけど、描いてる途中のものを見られるのって確かに嫌だし、先生がそう言うならと完成するまでは我慢することにした。…………ホントに見たいんだけどさ。
先生の前で裸でいるのは、慣れた。──と言いたいところだけど、全然慣れるわけがなくって。
毎日部活が終わってから先生に「じゃあ始めようか」って言われるたびに、心臓がバクバク音を立て始めるのは止められない。
好きな人の前で裸になってるんだから、その反応は当たり前といえば当たり前なんだと思うけど(俺だって健全な青少年ってやつなんだからさ)……自分がすごく不純な感じがして、ときどき自己嫌悪に陥りそうになる。
それを先生に悟られないようにするのはけっこう大変なんだけど……俺がポーズとりながらいろいろ考えてるのなんて、先生にはお見通しなのかもしれない。だとしたらかなり恥ずかしいな。
絵を描いているときの先生と目が合うとものすごくドキドキする。好きな人をじっと見つめているからって思ってたんだけど、最近それだけじゃないような気がしてきた。
実は先生は、俺が考えていたより本当はもっとずっと男っぽい人なんじゃないかって、そう思うようになってきたんだ。
俺の中の晴海先生像っていうのは、いつも朗らかでおっとりしていて、結構周りに流されやすいタイプなのかなーって感じだったんだけど(もちろん男らしいところもあるってわかってるけどさ)、本当は、他人の発言に左右されるのが嫌いで自分の意志を貫くような、一本筋の通った気の強い性格なのかなって……感じるようになってきて。
絵を描いているときの先生の視線がそれを証明しているような気がして、だから最近いつもドキドキしてるんだと思う。
ときどき、
「視線こっちに向けて」
って言われちゃうと、逃げ出したくなるくらい恥ずかしくて──だって、先生とずっと目が合ってるってことだから──でも、そのときの先生の視界には俺しか映ってないんだって思ったら、それはそれで嬉しかったりして……。
凛々しい顔の先生は、優しい顔の先生とは印象が全然違うんだけど、でもどっちにしても俺が先生を好きな気持ちは変わらないって、毎日モデルをしている間に再確認させられてる(……はっきり言うのって、恥ずかしい)。
いつか……いつか、先生に告白するチャンスがあったら。
『先生のことが好きなんです』
って──はっきり言えるといいんだけど。
俺、今まで自分から告白ってしたことないから、思った通りのことをうまく言えるかどうか自信ないんだけど……でも、本気だってことを伝えられれば、きっと先生も本気で返事してくれるよな?
……とりあえずしばらくは、モデルのことだけで頭がいっぱいでそんな勇気持てないとは思うけどさ。
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いい傾向なんだろうか。
……それとも、悪い傾向なんだろうか。
毎日考えてみるけれど、俺には全然わからない。
──なんのことかって、晴海先生のことを好きだと自覚した和樹の変化だ。
具体的にどんな変化があるのかというと、はっきりわかるのは前に比べて表情が豊かになったことだろう。
和樹のことを知ってた奴ら(特に学校の生徒)はみんな思ってるんじゃないかと思うけど、感情が表に出るようになってきたっていうか……こっちが思わず『えっ?』と我が目を疑ってしまうほど、和樹は明るくなっていた。
それに、誰に対しても人当たりが良くなってきていて、
「おっす、吉村!」
「あ……おはよ、小池」
「おーっす、和樹。今日も元気そうだな!」
「おはよ。……寺島(だっけ?)」
……こんな感じで、移動教室のとき和樹と一緒に廊下を歩いていると、こっちが名前を知らないような奴まで和樹に声をかけてくるようになったんだ。ちょっと前までは、どいつもこいつも遠巻きに和樹の様子を横目でちらちらと見てるだけだったのに。
別にそれだけだったら悪いとは思わないし(過剰なのはウザいけど)、むしろいろんな奴と接することはいいことだと俺も思う。……だけど問題は、その明るくなった和樹を『カッコいい』とか『可愛い』とか言い出してる奴らがいるってことで。
今までの和樹は、どちらかというと近づきがたい雰囲気を持ってるような奴だった。だけどその頃から、和樹と仲良くなりたいと思ってる奴がたくさんいることは俺も知ってた。顔もスタイルも整ってるし、頭が良くてスポーツもそれなりにこなせるとくれば、モテないはずはないだろう(男・女問わず)。
直樹だって高校に入学した当時から相当騒がれてたし、和樹だって直樹と同じくらい注目を浴びてるはずなんだ(もしかしたら直樹以上に人気があるかもしれない……と俺はひそかに思ってたりするけど、もちろんそんなことは口に出して言わない)。
そんな『和樹と仲良くなりたい』って奴らが今回の和樹の変化を見過ごすわけがなく。じりじりと間合いをつめるように、毎日少しずつ和樹に近づいてきているのに気づいたのはつい最近のことだ(俺ってやっぱり鈍いのか?)。
「和樹君、ここ教えてもらいたいんだけど……」
「え? ……ああ、文法がわからないの?」
「そうなの。できれば最初から教えてもらいたいんだけどぉ」
「俺にも教えてくれよ、吉村っっ」
「私も! 私もわからないの!!」
「えっ……?」
休み時間のたびに和樹の周りには人だかりができるようになって、それを見た奴が自分も便乗しようとさらにわらわらと寄ってきて。今や俺たちの教室は、休み時間毎にパニック状態となっている。
──そう。「前より明るくなって人当たりが良くなった」=「話しかけやすくなった」と考えた奴らが、和樹にわらわらと群がるようになってるんだ。
だけど和樹は、
「ちょ、ちょっと待って……1人ずつ話してよ」
嫌そうな顔もしないで、懇切丁寧にそいつらの相手をしてやってるんだ。前の和樹だったら迷惑そうな顔してさっさと撃退してたのに。
そんな和樹の態度がなおさら周りを増長させてるんだってことは俺もわかってる。わかってるけど、親友である俺が何を言ってもあいつらは和樹に群がるのをやめなくて。
前に一度だけ、あいつらがあまりにも和樹ににじり寄ってるもんだから、
『おい。和樹が困ってるだろ、少し離れろよ』
って言ってやったことがあったんだけど。
あいつら、一斉に俺を振り返ってぎろっと睨みつけてきやがった!
『なによっ! 吉村君はあんただけの友達じゃないのよ!』
『そーだそーだ! 俺たちが和樹と話したって別にいいだろ』
『お前だけが吉村を1人占めにするなんておかしーぞ!』
とかなんとか口々に騒ぎ立てて、俺の視界から和樹の姿を完全に隠すと、また馬鹿騒ぎをしはじめて……。
そのときから俺は、すっかり恒例のようになってしまったその様子をただ呆然と眺めてるしかなかったりする。
だって、和樹も困ったような顔はしてるけど、そいつらのことを受け入れようとしてるのがわかるし……俺も和樹が頑張ろうとしてるならヘタなことは言わない方がいいだろうって思ってさ。
だけど、この展開は良くない。……気がする。
俺が心配していたような「恋愛に溺れる」ってことはないみたいだけど……和樹が明るくなることがこんなにも周りに影響を与えるとは思わなかった。
はっきり言うと、和樹のことを恋愛対象として見る連中がこんなに増えると思わなかったんだ。
別に俺は和樹のボディガードじゃないし、四六時中一緒にいるわけじゃないからなんとも言えないけど……たぶん、和樹のことを本気で好きな奴って、かなり増えてるんじゃないかって思う。
ていうか、今まで和樹に憧れていた奴らが、和樹との距離が近くなったせいで『真剣に付き合いたい!』って考えるようになったせいかなと思うんだけど……そいつらの本気が、俺からしたらなんか怖いんだ。
このままだと、いつかきっと『ストーカー』って言葉が当てはまっちゃうような奴とか絶対出てきそうだ。和樹のことを追っかけ回して、俺とかにもいろいろ嫌がらせするような陰険な奴が。
だから最近俺の考えも、ちょっとずつ変わってきていたりする。
前は晴海先生と和樹が付き合うことなんて考えられなかったし、そうなったら複雑だなって思ってたんだけど……明らかに怪しい目で和樹を見てる連中に比べたら、このまますんなり晴海先生とうまくいったほうが全然いいんじゃないかって気がしてきたんだ。
だって、晴海先生とどうこうなる前に他の奴と──なんて考えるだけで恐ろしいし、もし現実にそんなことになったら、同じことをしようとする奴が後を絶たなくなるかもしれないし(……怖すぎて考えられないぃっっ!!)。
直樹はそんなことになったら「おもしろくなってきた〜!」って大喜びしそうだけど……俺は親友が誰かに襲われる(ってのは極端な話だけど)のをおもしろがれるほど、神経図太くないからな。
──とはいえ俺が和樹の気持ちに気づいてるって和樹は知らないわけだから、表立って協力することができないのが苦しいところだ。
和樹が恋愛のことで俺に頼ってくることはないだろうけど、もしもあいつに何かあったら、俺はいつだって力になりたいと思ってる。恋人の兄弟だからってだけじゃなく、親友として。
……とか言ってても、考えたりするのが苦手な俺にできることなんて、そうはないんだろうけどさ。
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