─ 第14回 ─


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 兄貴が晴海先生のヌードモデル(といっても、パンツは穿いてるらしい。なんで!?)をするようになって、もう1週間がたった。
 その1週間の間、兄貴は顔を赤くして帰ってきたことはあっても、『身体を汚された!』って感じで帰ってきた日はなかった。──つまりそれって、先生は兄貴に襲いかかってないってことで。
「なんだよーもう。いざとなって怖じ気づいちゃったのかぁ? 先生ってば」
 俺は兄貴がどんな顏して帰ってくるか毎日楽しみにしてるっていうのに……(この1週間、兄貴の帰りを待つために早く帰ってきてるから、慶太とセックスしてないんだぞ!!)。
「せっかく俺がナイスアイデア提供してやったってのにぃ」
 じれったい。じれったすぎるっ。
 俺が先生の立場なら、初日に押し倒すことができなかったとしても、ぜーったい1週間以内にはヤッちゃってるはずなのに!!
(これはもう一度、ハッパかけたほうがいいのかな〜?)
 明日あたり、先生のところに行ってガツンと言ったほうがいいのかもしれない。なんて俺が考えていたとき。
 ご飯を食べてすぐ風呂に入っていた兄貴が、タオルで髪を拭きながら居間に戻ってきた。
「もう出たの?」
「ああ。お前も早く入れよ」
 俺のじれったい気持ちなんかぜーんぜん気づいてない兄貴は、いつものように風呂上がりのイッキをするために冷蔵庫に向かう。
 細い首。俺と同じはずなのに、俺の首筋なんかよりずっと色っぽい(不本意だけどさ)。あれを見て、どうして平気でいられるんだろう、晴海先生は。
「兄貴ぃ」
「なんだよ?」
「晴海先生にじーっとハダカ見られるのって、どう?」
「ブ──ッッ!」
 俺の問いに驚いたのか、兄貴はごっくんごっくん飲んでいたグレープフルーツジュースを盛大に吹き出した。まるでマンガの1コマみたいに。
「あ〜あ〜、汚いなぁ兄貴ってば」
「おまっ、おまえのせいだろ!?」
 見かねてソファの近くにあったティッシュの箱を渡してやると、兄貴はものすごくきつく俺を睨みつけてから慌ててジュースを拭き出した。……なんで俺のせいなんだよー。
「先生に見られるのどう? って聞いただけじゃん。兄貴がそんな過敏反応示すなんて思わなかったからさ」
「過敏じゃないっ! 普通だ! 誰だって急にそんなこと聞かれたらこうなるだろ!!」
「え〜? 兄貴だけだって〜」
「俺は普通だ!!」
「んもう、そんなことどうだっていいからさー、どうなの?」
 不毛なことを言い争う気はぜ〜んぜんなかった。俺が気になってるのは、先生が兄貴をどんな目で見てるかってことだけだ(もしかしたらすっごいいやらしい目で見てるのかもしれないし。そんで実は兄貴、身の危険をひしひしと感じてたりして!)。
 俺はわくわくしながら、兄貴の返事を待った。
「……別にどうもしない」
「えー? ホントにぃ?」
「ホントだ! 大体ハダカって言ったって絵のモデルなんだからなっ。へっ、変な意味なんて全然ないんだからな!!」
(なんつって、力説してる姿がみょ〜に恥ずかしそうなのはどうしてなんだろうね〜)
 やっぱり少しは意識してるんじゃん、兄貴も。ま、好きな相手にハダカ見せて平気な奴がいるなら、そいつのほうがおかしいと思うけどさ。
「恥ずかしくないの? 先生に素肌見られてるのって」
「…そりゃ、恥ずかしいけど……ただのモデルだし、意識してない」
「ふーん?」
 絶対意識してる。んで、恥ずかしいって思ってる。兄貴の赤くなった顔にちゃんと書いてある(俺にはわかる)。
 でも、これ以上つっこんで聞いて兄貴の機嫌を損ねるのは面倒だから、仕方なく話を切り上げることにする。うう、本当はもっといろいろ聞きたいことがあるんだけどなぁ。
「俺も風呂入ってこよ〜っと。あ、兄貴、俺があげたボディローションちゃんと使ってる?」
 なんて、白々しく聞いてみる。ホントは兄貴が寝た後に毎日確認してるから知ってるんだけどね。
「使ってるよっ。なんだよ、バラの匂いのなんか買ってきやがって」
「バラの匂いのしかないんだって。嫌いな匂いでもちゃんと効果はあるでしょ?」
「わかるわけないだろ、そんなの!」
 兄貴はヒステリックに叫ぶと、グレープフルーツジュースを拭いたティッシュの塊を俺に投げつけてきた。それをひょいっとかわし、逃げるように風呂場へダッシュする。
「別にあれくらい恥ずかしがらなくていいのにー」
 兄貴はすごい純情だ。そのウブっぽいところがまたたまらないんだけど(オヤジに人気があるのもわかるよな)。
 勢いよくシャツを脱いで、現れた胸板をぺちんとたたく。やっぱり兄貴とは肌の張りが違う気がする……。
「今の兄貴は食べごろなのに」
 俺が襲っちゃいたいくらいだよ、ホント。

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 翌日の昼休み。
「おい、どこ行くんだよ?」
 昼時の憩いの場所である屋上へと誘いに来た慶太の腕を掴み、和樹の手作り弁当を携えて一目散にどこかへ向かう直樹。
 為すがままとなっている慶太にも、直樹が行こうとしているのが屋上でないことだけははっきりとわかっていた。屋上に行くには、さっき通り過ぎた階段を上らなければ行かれないのだから。
「直樹っ! なあってば!」
「晴海先生のとこ」
「──はっ!?」
「先生に、どうして兄貴のこと抱かないのか聞きに行くの」
「はああ!?」
 突然訳のわからないことを言い出した直樹に、慶太は持っていた弁当箱を落としてしまう。
 そのままその場に立ち尽くした慶太に、直樹はぶすっと膨れっ面になり、掴んでいた慶太の腕を解いた。
「ちょっとーなにやってんの? 早く拾ってよ」
「っつーか、おまえ……待てよ」
「なに?」
 慶太の口から思いの他厳しい声が洩れたことに驚いて、目をぱちくりと見開く直樹。
「『なに?』じゃないだろ? 和樹たちのことが気になるのもわかるけど、先生には先生のやり方があるんだよ。おまえが口出しすることじゃないって」
「…………なにそれ」
「だから、先生にいろいろ吹き込むのはもうやめろって」
 慶太にしてみれば、弟のおせっかいにしては行き過ぎた感のある直樹の行動を、なんとか自粛させたいと思っての発言だった。
 ──が、当の直樹にはもちろんそうは聞こえない。
「……俺の考えてることが、そんなに気に食わないの?」
「はっ?」
「俺が、慶太のこと考える時間を削って兄貴たちのこと考えてるのが、そんなに気に食わないのっ?」
「はぁ!?」
 直樹の言い出したことがあまりに予想外で、我が恋人ながら考えていることがさっぱりわからずに慶太は口を開けたまま直樹の顔をぽかんと見つめた。
 だが、頭に血が上った直樹には、そんな呆けた慶太の顔も自分を小馬鹿にしているようにしか見えない。
「…………もういい」
「え?」
「俺1人で行く。慶太はどっかでご飯食べなよ」
「えっ?」
「その代わり、俺と先生がどんなことになっても怒る権利ないんだからね」
「どっ…どんなことになってもって………どんなことになるって!?」
 問題発言と慶太を残し、直樹は小走りで目的の場所へと急ぐ。取り残された慶太は、直樹の発した言葉にパニックを起こした。
「なっ、直樹っ! 待てよ! ひとりで行くなって!!」
 どうしていつもこういう展開になるんだと思いつつ、足の速い直樹を必死で追いかける。
 それがいつものパターンだということに、気が動転した慶太はまったく気づかない。

 授業のあるとき以外はほとんど人の出入りがないその場所に、直樹と慶太の足音がどかどかと響く。
 目指していた部屋に辿り着くと、直樹はそのドアを力強くノックし、返事を待たずにドアを開けた。
『傍若無人』とはまさしく直樹のためにある言葉ではないかと痛感する慶太。
「しっつれーしまーす!」
「し、失礼しますっ!」
 慌てて直樹の後を追って研究室に飛び込んだ慶太は、部屋の中央に置かれた特大キャンバスに目を見張った。
 白い布が被されているが、その大きさはハンパではない。もしかして、こんなに大きいところに和樹は描かれているのか? と慶太は思わず唾を飲み込んだ。
「ああ、吉村君に藤原君。どうしたの?」
 晴海はデスクに向かって座り、ペンを持ったまま2人のほうへ振り返った。いつもとなんら変わりない笑顔だが、幸せそうな色が滲み出ているように見えてしまうのは気のせいか。
「先生これからお昼でしょ? 一緒に食べない?」
「え? うん、いいよ。じゃあちょっと待ってて、片付けるから」
 生徒の突然の来訪にも別段嫌な顔もせず、晴海は直樹と慶太を迎えた。気軽に先生に近づく直樹に気づき、自分もその隣にぴったりとくっつく慶太。先程直樹に浴びせられた言葉を忘れてはいないのである。
 壁際に寄せてあった机を部屋の中央に3つ置き、大拭きで丁寧に拭いてから手早くお茶をいれる晴海。
「今日も和樹の手作り弁当なんだよ」と自慢げに弁当を広げた直樹に、晴海は素直に「いいなぁ」と零す。こんな場所でその会話はいいのか!? と思いつつ、何も言えない小心者の慶太だった。
「ねえねえ、あのでっかいやつに兄貴描いてるの?」
「うん、そうだよ」
「見たいな〜〜、ねえ、見ちゃダメ?」
 甘えるように小首を傾げた直樹に、
「ごめん、まだ下書きもちゃんと描けてないから……見せられないよ」
 ちらっとキャンバスに目をやりながらそう言って、晴海は小さく笑う。
 その晴海の照れたような笑みが、和樹とうまくやっていることを物語っているように慶太には見えた。和樹の親友としては内心複雑である。
「え〜っ、じゃあ完成したら絶対見せてよ〜〜?」
「うん、わかった」
 笑いながら、直樹のわがままを軽く住なす晴海の様子に、大人の余裕ってこういうことを言うのか? と考えさせられる慶太。自分にこの余裕が生まれるのはいったいいつのことなんだ?……と思ったところで、当分は無理そうだということしかわからない。
 自分の恋人がそんなことに頭を悩ませているとはこれっぽっちも思わない直樹は、なおも晴海に問い正す。
「先生、兄貴のことまだ襲ってないでしょ」
「えっ……!?」
「ぶふっ!」
 突然の直樹の言葉に、口に入れたばかりのコロッケを盛大に吹き出す慶太。昨夜の和樹とまったく同じリアクションである。
「やだ〜、きったないなぁ、慶太ってば」
「大丈夫、藤原君?」
「あ、すんませんっ」
 晴海が慌てて持ってきてくれたティッシュで吹いてしまったものをおたおた片付けるが、それを手伝おうともせずに口を尖らせて直樹は残酷に話を続ける。
「慶太のせいで答え聞き流すとこだったじゃん。で? 先生、まだ兄貴としてないんでしょ?」
「うっ……うん」
「猶予は絵を描き上げるまでなんだからね! ぐずぐずしてたら警戒されちゃうよ!?」
「そうだね……頑張るよ」
 直樹に一喝されて、その柔らかい表情をほんの少しだけ引き締める晴海。
 結局直樹のおせっかいを止めることができず、醜態をさらすに留まった慶太が『俺にできることはもう何もないんだ……』と落ち込んでいたことを誰も知らない。

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