「ええええええ──────っっっ!?」
昼休み。いつものように屋上で、2人だけの昼食をとる直樹と慶太。
青空に吸い込まれていくまで時間を有するほどの奇声を発したのは、言わずと知れた慶太である。
「な、なんだよ、それ! おまえ、マジで……っ!?」
慶太は、自分ではとても思いつかないようなことを作戦として晴海先生に提案してきた直樹を呆然と見つめた。
「ね、すっごくいい考えでしょ? これで兄貴と先生もラブラブだよ!」
和樹の手作り弁当をおいしそうに口に運ぶ直樹。その幸せそうな顔を見つめたまま、慶太は何も言えずに固まったままだった。
(こいつ……やっぱりとんでもないこと考えつきやがったな……)
もっとソフトな作戦は考えられなかったんだろうか? そう思ってもすでに遅いのだ。晴海先生もやる気を出してしまったらしいと聞かされた後では。
「俺の勘だと、先生は今日にも兄貴に話を持ちかけるね。兄貴の反応は……う〜ん、わかんないなぁ」
まるで夕飯の献立を予想するような気軽さで話している直樹に、慶太はもはや何も言えなかった。
この恋人の奇抜な発想は、いったいどこから浮かんでくるものなのか。
(しかし、この作戦を……あの晴海先生がよく受け入れたな)
味わうこともなく、ただ夢中で箸を動かす慶太は、いつもほんわか笑顔の晴海を思い起こしながらふと考えた。
(まさか、直樹の言ってたことは本当だとか……?)
『ヒツジの皮を被ったオオカミ』ではなく、『行動派ヒツジ』。
つまり、ネコをかぶっているわけではなく元からそういった気性の持ち主なのに、見た目のソフトさで誰もがその本性に気づいていないという……なかなか絶妙な表現を直樹はしたものだ。
「なーにぶつぶつ言ってんの?」
はい、あーん! と口元にからあげを差し出され、ご飯を詰めこんだばかりの口を無理やり開けてそれを押し込む。仕方なくそれをゆっくり咀嚼してから
「……別に」
と洩らすと、途端に直樹はぶすくれた顔になった。
「なに? 慶太、俺に隠し事するの?」
「そ、そんなことないよっ」
すぐにでも言い争いを始められるぞと言わんばかりの直樹の態度に、いらん諍いを起こす気はないと慌てて首を振る慶太。
直樹の癇癪は可愛らしいの範疇に収まる程度のものだが(と慶太は思っている)、なるべくなら機嫌を損ねるようなことをして余計な体力を使いたくない。
「じゃあ、なに?」
「〜〜だからさ、お前が言ってたことが正しかったのかなって、思っただけ」
「俺の言ってたこと? なんだっけ?」
「晴海先生が、けっこう行動的だって言っただろ、お前」
「ああ、それね。ふふーん。俺の他人を見る目は鋭いんだぞ」
得意げに胸を張る直樹に、だが今でも信じられず小さく首を振る。
「お前の作戦に同意するなんて……」
「だから〜、晴海先生はみんなが思ってるようなおっとりした人じゃないんだって。そのうち慶太にもわかるよ」
別に、そんなことを見極められる人間にはなりたくない。と思いつつも、直樹を怒らせるとわかっていることをわざわざ言うほど、慶太は大人気なくはなかった。
──これまでの会話を聞いてもわかるように、慶太の考えはすっかり直樹中心になってしまっているのだった(が、当の本人にはその自覚はまだない)。
「これであとは見てるだけでいいし、結果が楽しみだね!」
御機嫌な様子で言う直樹に、はっとある可能性が浮かんできて、慶太は思わず身を竦める。
「……まさか、また覗きに行こうとか言わないよな?」
以前強引に引っ張って行かれ、和樹と晴海の2人しかいなかった美術室の様子を覗いてしまったことを思い出し恐る恐る聞くと、直樹は口の中にご飯を入れたままケラケラと笑った。
「行かないよー。だって今日は慶太にサービスするんだもん。そうでしょ?」
ね? と可愛くウインクして答える直樹に、反射的に顔を赤くして、
「そっか、そうだよな……よかった」
危険を侵す可能性が1つ減ったと安堵の溜息をつきつつ、何か釈然としないものが胸に立ちこめ始めているのに気づかない慶太だった。
そして、放課後。
直樹と慶太が、例によって激しく汗をかく行為に没頭している最中、和樹は晴海から信じられないような『お願い』をされていた。
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「えっ────」
俺はそう発したまま、ぴきっと硬直してしまった。
晴海先生は俺の顔色を窺うように、俺をじっと見つめている。
(な…なんだって…………?)
「あの……先生、今なんて……?」
何かの聞き間違いだろうともう一度聞き返す。だって、先生が──まさか、そんなことを言うわけない。
だけど俺の願いも虚しく(?)繰り返された言葉は、やっぱりさっきのあれは聞き間違いなんかじゃなかったんだと確認させられただけだった。
「僕のモデルをしてもらえないかな? ……ヌード、なんだけど」
「ぬー……ど?」
頭の中で『ヌード』という単語がぐるぐる回る。ヌードって…どんな意味だったっけ……?
「それは……先生……?」
「僕、今まであまり人物画って描いたことなかったんだけど──吉村君のことを描いてみたいなって思って。被写体としても完璧だと思うし……って、あっ、べ、別に、吉村君の裸を見たことがあるわけじゃないんだけどっ」
「は、裸!?」
そのときようやく『ヌード』の意味を理解した俺は、思わず大きい声で叫んでしまった。俺の声にさらに慌てふためいて、先生は顔を真っ赤にして、まくしたてるような勢いでさらに続ける。
「あっ! あのね、今度また展覧会があって──ちょっと大きめのキャンバス使っていいらしくて、今まで描いたことのないものを描いてみたいなって思っちゃってっ!」
「え……ええ」
「学校の授業があるから仕事の片手間って感じでしか描けないとは思うんだけど、でも展覧会に出す以上はちゃんとしたものを描きたいんだ!
それで、絵のことが好きな吉村君なら、もしかしたら僕と一緒に頑張ってくれるかなーなんて思ったりして……って、ごめん、勝手にそんなこと考えてっっ」
そんな必死にならなくても……と思わずこっちが思うような様子に、少しだけど落ち着きを取り戻した俺。
「……ということは、描いた絵はみんなに見られるってことなんですか?」
「うん、そう。あの、でも、顔とかは吉村君ってわからないように描くし──あくまで全身像のモデルってことでお願いしたいんだけど……」
「…………」
突然の話すぎて、頭の中で先生の声を整理するまで時間がかかる。
(先生のモデル? しかも……ヌード?)
今まで絵のモデルになったこともない俺に、そんな大役が務まるんだろうか。人前で肌を見せるなんてことも、体育の水泳のときくらいでしかしたことがないのに。
(……でも)
だけど、先生の──好きな人のために役に立てるなら ……
「だ……だめ、かな?」
俺の反応を伺うように、先生がちらちらとこっちを見る。
その様子が、いつもの先生とは全然違って見えて──いつのまにか俺は笑いながら、
「わかりました」
と答えていたんだった。
「え? い、いいのっ?」
「いいですよ」
「ほんと? ほんとにっ!?」
にわかには信じられないのか、何度も何度も確認してくる先生。少しだけ頬を赤くしていて、なんか……かわいいな、なんて初めて思ってしまったりして。
「そんなに意外ですか? 俺が引き受けたこと」
さっきまでの衝撃はどこへやらでへらっと笑ってしまう俺。ナチュラルハイって感じで、自分でも自分が何を言ってるのかよくわからない。
でも、それは俺だけじゃなかったみたいで。
「え? う…うん。あ、で、でもっ、ありがとう! すごく嬉しいし、本当にありがたいと思ってるよ!」
先生は満面の笑みで、いきなり俺の肩に両手をがしっと乗せてきた。
「一緒に、頑張ろうね!」
「は、はいっ」
(……び、びっくりした。抱きつかれるかと思った……)
勢いとしては本当にそんな感じだったから、『ヌード』と言われて驚いたときとは全然違う意味で、胸がどきどきしはじめる。
(先生がこんなふうに喜ぶ姿も、初めて見るなぁ……)
でも先生は、俺の心臓がばっくんばっくんと音を立てているのに全然気づいていないみたいだった。
「それじゃ、さっそく明日の放課後から頼めるかな」
「はい。わかりました」
「あ、部活終わってからのほうがいいから……帰るの遅くなっちゃうけど、平気?」
「大丈夫です。直樹に言っておけば、遅くなっても親も心配しないだろうし」
(もともとまともに帰ってこないんだから、俺が遅く帰ったって誰も気にしないだろうし)
内心そんなことを考えて、見た目にも平静を装ってたけど──胸のどきどきはまったく収まる気配がなくて。
だって、誰もいない教室に2人だけで……しかも、ヌードモデルをしてくれないかなんて言われて……どきどきするのは当たり前だよなっ?
これ以上ここにいたら、緊張のあまり変なことを口走ってしまうかもしれないと思い、帰ることにした。
とりあえず一度気持ちを落ち着かせないと……ちゃんと先生と向き合うことができなそうだったから。
「それじゃ、また明日」
「お疲れさま。明日からよろしくね」
「はい。失礼します」
「さよなら、吉村君」
いつもの様子をすっかり取り戻した優しい笑顔に、俺も笑顔でおじきをして美術研究室をあとにした。
(俺が、先生のヌードモデルをする……)
下駄箱へと向かいながら、頭の中はそのことでいっぱいだった。
どんなポーズをとらされるのか。どんな目で見つめられてしまうんだろうか。先生の真剣な眼差しに、俺の気持ちは見透かされてしまわないだろうか。
不安はたくさんあるけれど、引き受けた以上は立派に先生の役に立ちたい。
「とりあえず、今日俺にできることは……」
家に向かって歩きながら、風呂に入ったら入念に体を洗おう……なんてことを考えてしまっていた。
直樹じゃあるまいし……馬鹿なこと考えたな、俺も(恥ずかしい……!)。
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