人間図鑑−観察風景
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山家の作風を決定づける作品に「人間図鑑」というのがある。そのネーミングのとおり、人々の営みや行動が図鑑をめくるように描かれていて、見る人によってと捉え方が変わる。 画面全体の印象が暗いと言って退ける人もいれば、顔のない群像の動作の中に現代社会を映し見る人もいる。モノトーンの微妙なグラデーションを好む人や、背景に描かれる港や工場や都市などの航空写真のような美しさに、目を奪われる人もいる。 ところで、山家はどこでこれだけの人々の動きを観察しているのだろうか。想像を裏切るようだが、山家は出不精に加えて、人づきあいも少ないため、専ら新聞とテレビとラジオからの情報を分析している。あとは、山家の独得な解析法があるらしく、たまの外出の際に見たものを情報として取り込んで、自分を基準点にして「x軸のほうへ2α、y軸の方へ3β傾いている」と、たぶんこんな具合で、人々の行動パターンをグラフ化しているのだと思う。もちろん頭の中で。 山家の作品には、よく酒宴の様子が描かれているが、「なんで、ワインの瓶にカクテルグラスのとりあわせなんだべ?」と思う方もいらっしゃるに違いない。実は、酒の飲めない山家が、酔っぱらった人を観察するうちに、だんだん人格が変化していく人の意外な面に興味を持ったからにすぎない。山家にとって、飲酒に関しては、至って消極的なため、絵に描く酒瓶は、ワインでもウイスキーでも何でも良かったのだし、グラスなど、勝手に想像して描いているので、深く追求しない方がいいと思う。 しかしながら、食べる、飲む、喋るという、ごく普通の行為も、「そこまでして」行うようになると、何かしらニュースになるもので、フードファイトにしろ、ケータイに喋り続けるにしろ、そのような行き過ぎた行為を、山家は「欲」のためだと言っている。 文豪、夏目漱石は胃かいようにもかかわらず、講演先でイイダコを食べ過ぎて、病院に運ばれたというが、彼は「そこまでして」イイダコが食べたかったのだ。 英国の画家、フランシス・ベーコンは「口の中」にすごく興味があって、歯科医が使うような歯科治療の写真を何枚も集めていたという。 映画「戦艦ポチョムキン」に登場する女性を描いた作品では、口の部分だけが洞穴のように異様に大きい。「そこまでして」口に執着するベーコンを、嫌いではないが、ちょっと不気味に感じる。 それに対して、米国で活躍する画家ロイ・リキテンスタインは、コミックの1コマを、でかでかとキャンバスに描いて、芸術として認めさせた一人だ。女優のように描かれた、コミックのヒロインが、セリフまで話している。点描(ドット)によって表現された芸術である。 それはさておき、山家自身、会社を辞めてまで絵を描きたい一人であるのを、つけ加えておこう。 人間図鑑には、年々、状況が変化するように、登場人物や背景描写もその時代を反映したものになっている。私としては、初期の作品から近作までの映像も、このページに載せたいと思っている。撮影方法を検討中だ。 山家の観察眼は、人間全体に愛着を持つところから始まっているため、絵に悲愴感はないと思うが、この絵から何か益を引き出そうとするならば、自分は「そこまでする」人間か、それとは反対の「適当にまとめる」人間かを吟味してみるようおすすめしたい。 |