デジャヴ(既視感)

 季節はそろそろ雪でも降ろうかと言う11月になっていた。「画家になります」と言って会社を辞めた日から、ちょうど一年のことである。

 山家は私の実家で、「脱サラをして5年間で画家になる」という目標をたてたので、仕事先の柴田へ引越すことを私の両親に告げていた。思えば、米ヶ袋の家主が亡くなって、莫大な相続税を払うために私達が住んでいた借家を取り壊すことになったんだっけ。

 子どもがまだ幼いからと、引越は山家だけが先に行き、荷物を整理してから私たちが入ることになっていた。何だか他人事のような山家と両親とのやりとりが聞こえてくる。私はつとめて明るく振る舞って両親の不安を柔らげようとしていたが、実際には、5年で画家になる保証などあるはずもなく、山家が決定したことに同意を求めているようなものだった。

 柴田での暮らしは、寒さとの闘いから始まったと言ってもいい。ここは仙台よりも南に位置するからと単純に考えて、新たにストーブも買わず、今ある一台だけで間に合わせるつもりだった。大体、そういう認識が甘いのだ。その冬には大雪が降り、なんと大寒波にまで見舞われてしまったのである。

 山家が見つけた借家は新しくて綺麗だったが、新しいだけに庭には植込みも木もなく、蔵王から吹き下ろす北風を遮ってくれるものがないため、家全体が凍りつくようだった。また、2階の寝室には火の気がなく、敷いた布団が氷のように冷たくて、寝ついたばかりの赤ん坊が、すぐに泣き出す始末だった。

 寒い寒いとあまり言うものだから、山家は「植村直己のことを考えろ、あいつは雪洞の中にうずくまって寝ているんだ」と言ってはぐっすり眠ってしまう。

 わたしたちは、探検家を目ざして訓練に励んでいるわけではない。せめて2階にもストーブを炊いて暖まりたいネ、と言おうとしたのだけれども、山家の比較対照は凡人の発想を超えていたため、出かかった言葉は夜の闇の中へ吸い込まれていった。

 辛抱という言葉には、やみくもに耐えるという意味はない。むしろ、目標が達成されるまで忍耐するという意味がある。

 5年で画家になるという目標は、どのように達成されたのだろうか。

 毎年、何らかの賞を取り続けて、山家の作品を多くの人に記憶してもらうことはできたが、プロの画家として生活できるかという目標は、残念ながら達成できなかった。

 5年たって、大河原の土手に咲く満開の桜の下を子供と散歩するとき、仙台の米ヶ袋風景や片平のキャンパスで娘とすごしたひとときの想い出が「昔、見たことがあるような気がする風景」へとゆっくり形を変えていく様だった。まるでデジャヴのように。

 山家は、画家になるための走路を順調に走り続けている。これはもう、山家一人のレースではなかった。この先、山家が画家になることで、生活苦や逆境が生じるかも知れない。そのような時でも、子ども達が喜びと幸せを失わずにいられるような、家族としてのプロジェクトを考え、実行していかなくてはならないと、私は思い始めていた。

 そのようにして、はじめて家族4人が目標に向かって前進できるように思ったからである。

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