アトリエ
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柴田に越してきたとき、駐車場スペースにプレハブのアトリエを建てさせてもらった。 山家の画風に大きな変化が現れ始めたのも、このアトリエでの研究の成果かと思う。 はじめは会社員だったので、絵を描くスペースは部屋の中だったが、「画家になります」と宣言したからには、 生活空間の一角で取り組む課題にしたくなかったらしい。夏は暑さに、 冬は寒さに耐え、物置小屋と見まがう建物の中は、山家の創造力の源になっていった。 印象派をひととおり研究しつくすと、次に山家は現代美術に足をつっこみだした。アンディー・ウォーホールに始まりジャスパー・ジョーンズ、フランシス・ベーコンときた。 表現方法も平塗りに徹し、新たにコラージュ(紙の切りはり)を取り込んで「街角の風景」の三部作を発表した。作品の画面上に組まれたパネルに、目まぐるしく変化する現代社会を象徴的に描いている。 なんのことはない、山家自身がめまぐるしく変化しただけのことだ。一九八五年、この作品が河北美術展で宮城県芸術協会賞を頂いた。山家ワールドの幕開けとなる出来事だった。 山家は言う。「旗もキャンバスに描いてしまえば芸術作品だ」と。何のことかと問い直せば、ジャスパー・ジョーンズがアメリカの国旗を絵に描いて発表したところ、これは国旗なのか、絵画かという論争を起こしたというのだ。 芸術の世界ではまだだれもやっていない分野に参入する試みがなされている。しかし、そのスペースはおどろくほど狭い。山家の求めるオリジナルな絵の出発点は、このような開拓者たちからの招きであったように思える。この小さい六畳のアトリエで、急激に変化する作風を生み続けていた。もしかしたら、顔をあえて描かないことや足を何本もバタバタと交差したようなところはデュシャンの影響かも知れない。 その後「街角の風景」は「ゆたかな人々」シリーズに移行してゆく。 |