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        暑い。 
          
          その一言に尽きる。 
          
         いくら何でも暑すぎる。6畳のプレハブの屋根から、8月の太陽熱は効率よく室内に伝わり、南に面した窓からは午後の日差しが遠慮なくそそがれる。一応、窓はすだれで覆ってはいるけれど。アトリエの中では、手拭いではちまきをした山家が汗だくになってキャンバスに向かっている。室温はざっと42℃はあるだろう。 
         
        今年の夏は、36℃を越す日が10日以上続き、さすがに母屋にいる私と子どもも「暑い」を連発してしまう。 
         
         すると山家が、アイスコーヒーを取りに入ってきてこう言う。 
         
        「おまえら、こんなのは暑い部類に入らねえぞ。なんだったら白校(山家の母校である白石高校)のグランドを10周してこい!」 
         
          例年通りの口ぐせである。かつて鉄人と呼ばれた山家が、グランドを10周し、小原温泉までランニングに行き、白校まで戻ってきたことを言っているのだ。 
         
         それも、毎日。山家は中学、高校と野球部に入っていた。 
         
         ポジションはピッチャーだった。水差しのことではない。 
         
        「水など飲むな」 
         
         と言われて練習させられた世代である。今のご時勢なら、野球部員に水も飲ませずに練習させて、熱中症とか日射病でバタバタ倒れられれば、即、監督責任を問われるだろう。 
          
          けれども、山家が部活ですごした1970年代、TVでは巨人の星の星飛雄馬が、ボクシングではガッツ石松ががんばっていた。何事もど根性と体力が勝負なのであった。 
         
          だから、星一徹のような野球監督だったとしても想像にかたくない。 
        野球部でど根性を叩き込まれた山家は、およそ20年間、アトリエが 
        「暑い」 
        などとこぼしたためしがなかった。 
         
        私と子供が 
        「エアコン買おうよ」 
        と言おうものなら、 
         
        「東北の夏の暑さなど、10日くらいなもんでないの。あとはもう秋になるんでしょ」 
         
        「そ、そ、そうでしょうとも。たしかに、夏の隣には秋がスタンバイしてますよね。そして、その次には、あの寒い冬もね。で、でも今日の暑さ、何とかしてほしいですよお〜37℃もあるんですけど・・・・」 
         
        「フン」 
         
        と鼻を鳴らし、42℃のアトリエへ山家は消える。 
       
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