外国の諺に「へぼ職人が良い道具を見つけたためしがない」というのがある。 腕の悪い職人に限って、自分の腕の悪さを棚に上げ、道具に難くせをつけてそのせいにする という意味らしい。この諺を読んだとき、二つのパレットのことが思いに浮かんできた。一つはセザンヌが使っていたパレットで、あとの一つは山家のパレットである。
私が初めてセザンヌのパレットを見たのは1974年、東京の国立西洋美術館である。写真でだったか展示してあったのかすら覚えていないが、はっきりしているのは、パレットの上でごてごてにまぜこねた絵の具の跡。そして、パレットのへりのほうに固まって盛り上がった絵の具の山。なにせ汚いのである。
セザンヌといえば「先生」とか「お手本」の代名詞ではないか。思春期まっ盛りだった私は、形式にとらわれないセザンヌのパレットに動揺を覚えたものだった。
山家もはじめのころは木製のパレットを使っており、セザンヌ同様パレットのへりに絵の具を固まらせていたが、ある時期からピタリとそれを使うのを止めてしまったのである。山家の場合に限って言えば、年季の入った木製パレットのふちは、絵の具の山が更なる成長を遂げ、高さを増し、おまけにアトリエの埃をかぶって、ところどころ白っぽくなっていたのである。
私と子どもは、いかにも重たそうに盛り上がる絵の具の山に向かって「糞山」などど失礼なヤジを飛ばしたりもしていたのだ。
「ある時期」というのは、山家が「ゆたかな人々」を描き始めた時期のことであるが、作品には青灰色のグラデーションがふんだんに使われていた。その微妙に変化する色をつくるのに茶色の地色むき出しのパレットで色同志を混ぜていた山家は、思いっきり発想の転換を試みたようである。
それは「何もパレットが茶色でなくてもいいんじゃないか」というものであった。以来、山家は真っ白な化粧板ベニヤを何枚も適当な形に切ってパレットとして使っているのである。白いパレット上でつくられる色のグラデーションは、キャンバスにのせたときに、茶色のパレットで作られた色よりもギャップが少ないように思われるのである。
もっとも、セザンヌの時代には、化粧板ベニヤなど存在しなかったであろう。しかし、山家ときたら、セザンヌのパレットをした私に向かって、こう言うのである。
「セザンヌは終始一貫して、君が見たようなパレットを使っていたのかな。もしかすると、絵の具をより混ぜやすい板を何枚も使って描いていたかも知れないじゃないか。」
画家ならばかくのごとく推測するのであった。
日本の諺にも同様のものがあり、
「下手の道具調べ」というのである。
店員から「これは最高の画材ですよ〜」と勧められるまま購入してしまう人には申し訳ないが、これらの諺から察するに、「こういう結果を出したい」と腕を磨く者のあいだには、必然的に良い道具が見つかるものなのである。
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