Old Fashioned Rock Wave
ロックの名盤APPENDIX
[70年代のクラプトン〜Slowhand Singin']

PROLOGUE


Music From Big Pink/
The Band
1968年



The Original Delaney
& Bonnie & Friends
1969年



Blind Faith/
Blind Faith
1969年



Naturally/
J.J.Cale
1972年



An Anthology/
Duane Allman
1972年



 クリームの時は、「3大ギタリスト」(他の二人はジミー・ペイジとジェフ・ベック)とか「ギターの神様」とか、もてはやされながらも結構辛かったのでしょうね。あれだけの成功を収めながら、結局68年に解散してしまうのですが、ジャック・ブルースと合わなかったのでしょうかね?

 そんな頃耳にしたザ・バンド『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』くらくらっとしてしまった我らがクラプトン、きっと何か閃いたのでしょうが、後日ジョークでザ・バンドに入りたかったからクリームを解散したと言ったとか、言わなかったとか...。結構本音かも?

 69年、周囲の期待と自らの葛藤の中で、クラプトンが選択したのは一度は組んでみたいと心に秘めていたトラフィックのスティーヴ・ウィンウッドとのジョイントになるスーパー・バンド、ブラインド・フェイス結成でした。名曲を残しながらも結局アルバム1枚残したのみで、全米ツアー中にあえなく消滅してしまいます。どこまで本気だったか怪しいバンドでした。

 しかし、クラプトンにとって救いの神となったのは、そのツアーの前座を努めたデラニー&ボニーなのです。クラプトンは、デラニー&ボニーたちの演奏の向こうに、ブルースのふるさとアメリカ南部の風景を心に焼き付けてしまうのです。

 デラニー・ブラムレットのアドバイスによって、歌うことに目覚めたクラプトンのその後は推して知るべしですよね!結局、ブラインド・フェイスで得た一番大きなものは、デラニー&ボニー&フレンズとの出合だったというわけです。

 「アフター・ミッドナイト」が『エリック・クラプトン・ソロ』で取り上げられたJ.J.ケールですが、その後もクラプトンのお気に入りとなり、『スローハンド』でも「コケイン」が取り上げられてます。

 70年には、そのデラニー&ボニー&フレンズをバックにソロ・アルバムを発表し、同年後半にはデラニー&ボニー&フレンズのジム・ゴードン、カール・レイドル、ボビー・ホイットロックらとデレク&ザ・ドミノスを結成し傑作『いとしのレイラ』誕生とあいなるわけなのです。

 当時、クラプトンの頭には、ツイン・ギターという構想が芽生えており、当初デレク&ザ・ドミノスには、デイヴ・メイスンが加わっていたわけですが、ソロ活動に専念するために正式参加には至らず、プロデューサーのトム・ダウドのはからいで、またまた運命的な出合となるデュアン・オールマン(オールマン・ブラザーズ)を迎えることになり、クラプトンの70年代は、その歌声とともに、とりあえず幸先よくひらけて行くのでしたが...。

To be continued.

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