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世界史・納得のツボ(人類編)
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1200年〜1800年:2

(17) 海でつながった世界市場

東アジアが自らの世界を閉ざし、アジアの諸帝国が最後の繁栄の時を過ごしているとき、ヨーロッパでは、身分社会が急速に壊れ、まったく新しい社会が出現しようとしていました。
それはおおよそ次の6つのことが互いに影響を及ぼしながら、おきていきました。
  1. アメリカ大陸で採掘した銀で、アジアの商品(香辛料・茶・絹・陶磁器・綿)を買い、ヨーロッパでそれが流行した。
  2. アフリカで安く買った労働力(奴隷)をアメリカの農場で酷使して、安い商品(砂糖)を生産し、ヨーロッパで売る流通システムが、大西洋をはさんで形成された。
  3. 「教会の中の国家」から「国家の中の教会」へ、ヨーロッパの秩序が変わっていった。
  4. 常備軍と官僚制を背景にして、国王が国内を統一し、絶対主義体制が確立した。
  5. 国内産業を保護育成し、強力な軍隊を組織して、植民地支配を推進する政策がヨーロッパの国々で進められた。
  6. 議会制度を発展させたイギリスが、覇権争いに勝利した結果、北大西洋で革命が起き、国民国家と市場経済による近代国家体制が誕生した。
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世界市場はこうして生まれた

コロンブスの航海を支援したスペインは、アメリカ大陸に進出し、先住民の文化を破壊するとともに、銀を大量にヨーロッパとアジアにもたらした結果、ヨーロッパでは物価が上昇し、大きな社会変動が起き始めました。

ポルトガルは、インドや東南アジアの香辛料、中国の茶・絹、アフリカの奴隷を売買して大きな利益をあげました。

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資本主義はこうして始まった

アフリカで安く買った労働力(黒人奴隷)をアメリカの鉱山や農場で酷使して作った商品をヨーロッパで売るという、資本主義的生産の原型のようなシステムが、大西洋をはさんでこの頃形成されました。

こうして、ヨーロッパを中心にした世界市場が形成されていきました。

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宗教改革の動き

16世紀から始まった大きな社会変動の中で、ローマ教皇とハプスブルク家出身の皇帝(スペイン王・ドイツ王・イタリア王を兼ねるカール5世)の下に、西ヨーロッパを支配するキリスト教帝国が成立しそうになっていました。

しかし、この動きに反発する勢力がありました。ハプスブルク家のライバルのフランス国王(フランソワ1世)、皇帝の力が強まるのを恐れるイギリス国王、スペインの支配に苦しむオランダの市民、反皇帝派のドイツ諸侯とドイツの農民等でした。

彼らの事情はそれぞれ異なりましたが、ドイツのルターが始めた教会批判をきっかけにして、反教会、反皇帝の嵐が16世紀から17世紀にかけて吹き荒れ、ヨーロッパでは戦乱が続きました。

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「教会の中の国家」から
「国家の中の教会」へ

戦乱が続くヨーロッパでは、強力な主導権をもつ国王が、常備軍と官僚制度を整えて、国内を統一する動きが強まっていきました。特に、反教会・反皇帝側の国では、教会や修道院が解散され、その財産は国庫に移されました。

こうして、国王の支配下に国内が統一され、絶対的な権力を持つ主権国家が互いに覇権を争い合う国際社会が、ヨーロッパに形成されていきました。

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国民経済圏はこうして生まれた

植民地支配体制を増強し、列強との覇権争いに勝つには強力な軍隊が必要でした。そのため、各国では国内の産業を保護育成する重商主義政策が進められました。こうして、経済的にも国としてのまとまりを示す国民経済圏が形成されていきました。

領主の力が強く、農民が隷属的な状態になったままの国々(オーストリア・プロイセン・ロシアなど)では、イギリスやオランダを手本にして、国王が自ら近代化を図る動きも見られ、列強の覇権争いは激しさを増していきました。

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列強の覇権争い

この時代、ヨーロッパ列強の主導権争いは激しくなり、主要国が次々に入れ替わっていきました。

  1. 16世紀前半:ポルトガル
  2. 16世紀後半:スペイン
  3. 17世紀前半:オランダ
  4. 17世紀後半:イギリス・フランス
  5. 18世紀     :イギリス

列強の主導権争いはヨーロッパだけではなく、アジアやアメリカ大陸でも行われましたから、最終的に勝者となったイギリスは、インドからアメリカまで広大な地域で主導権を確立することになりました。

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イギリスが勝者になった理由

イギリスの勝利の背景には、17世紀に他国に先駆けて市民革命がおきたイギリス特有の事情がありました。

国家運営の主導権が国王から議会に移り、法による支配体制が確立したイギリスでは、安心して投資できる経済環境が生まれ、安定した国家運営がなされたことで、国力を戦争に集中することができたのでした。

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北大西洋の三大革命

イギリスの躍進に不満を持つ勢力が、18世紀後半、北大西洋を挟んで育っていました。

アメリカの独立革命
  戦争の費用をイギリス議会はアメリカの植民地にも求めました。イギリス議会に代表権を持たない植民地の市民は、本国政府の増税策に反発し、それは独立戦争へと発展していきました。その結果、アメリカ大陸で国王がいない共和制の国家が誕生したのでした。
フランス革命
  イギリスとの戦争に敗れ、多くの植民地を失ったフランスも財政難に苦しんでいました。国王は国民に増税を提案しますが、それをきっかけに人々の不満が爆発し、フランスは大混乱に陥り、フランス革命に発展していきました。
  国王を廃位し、処刑までした革命の動きに周辺国は軍隊を派遣しましたが、祖国の危機に立ち上がったフランスの民衆軍に敗れてしまいました。こうして民衆が自分の国の主人公になる国民国家が誕生したのでした。
イギリスの産業革命
  インドから入ってきた綿布はイギリスではヒット商品でした。議会で主導権をもつ地主階級は毛織物産業を保護して、インド綿の輸入を禁じましたが、新興実業家達はアメリカから綿を輸入し、国内で綿布を生産してこれに対抗しました。
  こうして、イギリスでは産業革命が始まり、イギリス社会を根底から変革していくことになりました。
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