T:各地域、同時代並行の世界史
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300年〜1200年:1

(13) 時代が封建制に向かった背景

ユーラシアの各地では1000年ころ、武士・騎士など軍事を担当する身分が台頭し、社会の中核となった時代がありました。武人支配を体験しなかった中国でも、10世紀の短い期間(五代十国時代)にそれに当たる時代がありました。
ユーラシア大陸の各地域に共通するこの現象の背後に何があるのか、身分とは何か、そんなことを考えてみます。

騎馬民族征服王朝説

邪馬台国や天皇制の起源が話題になっていた頃、江上波夫氏が「騎馬民族征服王朝説」を展開し、注目されたことがありました。古墳時代の出土品に馬具が目立つことをふまえての仮説でした。

それによると、後漢が滅び、中国の北半分を遊牧民が支配した頃、日本にも朝鮮半島を経由して遊牧系の民族が来襲して、日本を支配したことになっています。天皇陵の発掘が許可されれば、天皇制もこの征服によって成立したことが証明されるとして、当時は話題になりました。

しかし、今はこの説はあまり注目されなくなりましたが、古代帝国の崩壊後、1000年にわたって、アジアの各地では遊牧民族による征服王朝が出現したことは事実です。

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騎馬民族の由来

古代ギリシアのヘロドトスは、黒海北岸で活躍したスキタイ人のことを「歴史」に記しています。中国の司馬遷も、北辺を脅かす遊牧民に武帝が苦労したことや、名馬と言われた汗血馬を求めて部下を西域に派遣したエピソードを書き残しています。

スキタイ人が作り上げた騎馬技術は、古代帝国の時代には東ユーラシアにも伝わり、モンゴル高原の遊牧民、匈奴はこの時代より中国の歴史に登場するようになりました。

こうして、ユーラシア大陸の中央部で活動するようになった遊牧民は、各地域の古代帝国や王国を飲み込み、古代という時代に幕を下ろしました。

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二度目の民族大移動

前2000年紀に西ユーラシアでおきたインド・ヨーロパ語族の大民族移動に匹敵するほどの民族移動が、1000年紀にユーラシア大陸の東部から中央部にかけておきていました。モンゴル高原のトルコ・モンゴル系の遊牧民の移動に刺激され、西はヨーロッパのゲルマン人、南はインド・イランのエフタルがそれぞれの地域の古代帝国の国境を脅かしました。

この時代、西アジアはササン朝ペルシアの全盛期でしたから、5〜6世紀のユーラシア大陸は、地中海のビザンツ帝国、インドのブプタ朝、南中国の南朝を除いて、遊牧・牧畜系の諸民族の支配下にありました。

これには、インド・ヨーロッパ民族の大移動がそうだったように、気候の寒冷化影響していました。

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イスラームと唐帝国

トルコ人がモンゴル高原から中央アジアに進出した頃、アラビア半島ではアラブ人がイスラームの教えの下にシハード(聖戦)を始め、周辺の地域を次々に勢力下に収めていきました。

中国では北半分を占領していた遊牧系の諸民族が中国の古代文化を受け入れ、その流れをくむ一族が中国を統一して隋・唐の大王朝を築きました。

古代帝国が滅び、古代文化への接触を失った周辺諸民族は新興のイスラームや唐帝国と新たに結んで、それぞれイスラーム文化圏や東アジア文化圏に組み込まれていきました。

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日本の古代史

日本を例にとれば、このような変動の中で、騎馬民族の文化も古代文化と共に流入してきました。そのころ、日本では新興の隋や唐との交流をめぐって政治的な緊張が高まっていましたが、選択肢は隋・唐との結びつきを強めていく道しかありませんでした。

隋・唐も国内を統一したばかりでしたから、古代帝国に習って、小農経営中心の徴税と兵役体制を築こうとしていました。したがって、日本も唐のそうした政治を取り入れていくことになりましたが、大土地経営への傾斜を強める時代の流れには逆らえず、貴族や寺社による荘園支配が拡大していきました。

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騎馬文化・大土地所有・身分社会

大土地経営を容認すれば、社会は分権化します。荘園は領主の支配下で小王国のようになって、公的な権力が入り込む余地はなくなっていきました。領主は自衛のために武装するしかありません。この武装のモデルとして導入されたのが、騎馬文化でした。このようにして、武士が誕生したのでした。

現在、土地は売買の対象となる商品ですが、それは身分制度が崩壊した後のことで、近代以前は、耕す人がいない土地は大土地所有者にとっては意味がありません。ですから、農民は土地を自由に離れられないのが前提になります。当然、結婚や転職による変動も抑える必要がありました。こうして、農民は身分になっていきます。

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身分制社会の背景

古代帝国では、血のつながりのある一族の一員だったり、国家のメンバーであった農民が、その保護者を失い、大土地経営の保護下に入ることによって身分化していきました。 このように、遊牧民族の台頭と大土地所有と武士・農民の身分化は一体の現象として、ひろくユーラシア各地に広がっていきました。

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