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前600年〜300年:4

(12) 世界宗教が同時に生まれた理由

人の心を揺さぶるような宗教はみなどこか似ているような気がします。とてつもない大きな心をもった存在があって、弱くてちっぽけな自分に「それでいいんだよ。」と肯いていてくれて、「なんてありがたいのだ。」と熱い感謝の気持ちが満ちてくる。そんなところが宗教には共通しているようです。
キリスト教ではそれを「神の愛」とし、仏教では「慈悲の心」と言いますが、突き詰めると、どこかこの二つは似ています。このキリスト教と仏教(大衆部仏教)は同じ1世紀のころ、4000キロ(東京と北京の距離)しか離れていない二つの場所で別々に育っていきました。偶然でしょうか。
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ユダヤ教から生まれたキリスト教

キリスト教の母体となったユダヤ教は、前6世紀に東地中海沿岸で生まれました。過酷な歴史環境の中で、逆境に苦しんでいたユダヤ人が厳しい律法(掟)を守ることで団結を取り戻し、神への信仰を深めていく宗教でした。

それから500年後、ユダヤ人達の生活は厳しくなるばかりでした。「それは信仰心が足りないからだ。もっと、しかっかりと律法を守っていこう。」そういう声があがりますが、「そんなに厳しくては付いていけない。」そういう反発もありました。

そんな声に応えたのがイエスでした。彼は「神の愛を信じることで得られた喜びの気持ちで、身近な人々に接するだけでいい。」と言います。それがイエスの教えでした。

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初め仏教は宗教ではなかった

仏教もやはり前6世紀に生まれました。インドの北(今のネパールあたり)の国王の王子ガウタマ・シッダールタが、人の命のはかなさに心を痛め(幼い頃から鬱傾向にあったみたい)、考え抜いて至った結論がその教えです。それを人々に教え広めて尊敬され、ブッダ(覚者:真理を悟った人)と呼ばれました。

「悩みや苦しみは、自分に囚われているこころの状態にすぎない。正しく考え、正しく生活すれば、苦しみから逃れられる。」心ある人々は、そんな教えを守り実践しました。

それから500年、「正しく考え、正しく生活できれば、始めから苦労はしないよ。」という普通の人たちの声が強くなってきました。それに応えたのが大衆部仏教でした。

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頑張らないところが似ている

「厳しい律法」を守るユダヤ教、「正しく考え、正しく生活する」ブッダの教え。両方とも頑張る「優等生」の思想です。宗教と言うより、強い信念のようなものです。それに付いていけないと言って出てきたのがキリスト教や新しい仏教(大衆部)です。

弱い心を許し、苦しんでいる人々を救おうとする救済の思想が、同じ頃、東京と北京ほどの距離にある二つの場所で育っていきました。これは偶然でしょうか。

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イエスの教えが宗教になった瞬間

強い信念や個人の教えがなぜ宗教になっていくのでしょうか。実はイエスもガウタマ・シッダールタも宗教を始めたわけではないのです。彼らの考えを周りの人々が宗教にしていったのでした。

ユダヤ社会のエリートやローマ帝国に逆らったイエスが処刑された後、「イエスが復活した。」「それは、だめな自分たちを許し、救ってくださった神の救い証だ。」と少数の人たちが言い出します。それが広まり、キリスト教に育っていったのです。そう信じるしか、希望を持って生きられない現実がそこにあったからです。

当時、地中海世界の支配者となったローマ帝国がもっとも勢いのあった時代でした。その繁栄を支えた属州の人々や奴隷達の苦しみを土壌にして、キリスト教はローマ帝国内に根を張っていったのでした。

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ブッダの教えが宗教になった経緯

仏教の新しい教え(大衆部仏教)が形成された頃、インドの北西部ではギリシア彫刻の影響を受けて、ブッダの像が造られたり、ブッダの骨を納めた塔を拝む人々が現れるようになりました。ブッダに対する尊敬の念が少しずつ変わり、やがてブッダは、人々を苦しみから救おうとする偉大な大きな力(仏性・如来など色々な言い方があり、ここが分かりにくい。)が人の形をとって現れた化身だったのだとして、信仰の対象になっていきました。

その頃のインドは、北部では遊牧系のクシャーナ朝が交易で栄え、中部ではサータヴァーハナ朝が海上貿易により繁栄の時を迎えていました。

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キリスト教と仏教の時代背景

前1000年紀、鉄器が普及し、商工業の繁栄を背景に古代帝国が成立し、血縁中心社会の秩序が崩れていきました。そして、古い秩序に替わって、古代帝国が台頭して実力中心の社会になっていきました。

しかし、力と財を原理とする新しい社会が広まれば広まるほど、小農民の力を組織することで力を付けてきた古代帝国は、大土地所有によって浸食されていきました。そして、人々は明日知れぬ社会にあって、安心をもとめるようになっていきました。安心が得られないのなら、少なくとも心の安らぎを得ようとするのは、自然な成り行きでした。

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権力となっていったキリスト教

求心力を失いつつあったローマ帝国は、それまで弾圧してきたキリスト教を今度は逆に国の宗教とすることで、国家としてのまとまりを回復しようとしましたが、弱体化した軍事力だけはどうしようもありませんでした。

古代帝国はキリスト教だけを残して滅んでいきました。権力の後ろ盾を失ったキリスト教は自分で権力を握る存在へと変質していくことになりました。

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国家の仏教と個人の仏教

征服されれば奴隷にされた古代地中海世界では、家族を原理とする社会秩序は徹底的に解体していきましたが、インドや仏教が伝わっていった東アジアや東南アジアでは、家族の原理は弱体しながらも、残り続けました。

これらの地域では、仏教は先進の学問として研究されたり、社会統合の精神的象徴に利用されたりしましたが、不安な時代の心の拠り所として信仰されてもいきました。

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