現在も青年達が、今から2500年ほど前に書かれた古典を学んでいる。日本で古典思想のスタンダードとなっているこの三人は同時代人です。
後にキリスト教やイスラム教を生むことになるユダヤ教も前500年頃、成立したと言われますから、前500年から前400年の間に、人類は古典的な思想が生まれる時代を体験していたことになります。なぜ同じ時代だったのでしょう。これがここでのテーマです。
古典と言われる思想家達が活動した時代の各地域の出来事を、年表から抜き書きしてみました。
ここに同じパターンが読みとれます。鉄器の普及→思想家の出現→統一国家の成立。
ギリシアではそのころ隣のリュディアから世界初の鋳造貨幣が伝わっています。地域によって多少のずれはありますが、商工業が盛んになるのも同じ時期です。世界史の教科書などでも、その辺りの事情が同じように書かれています。
なぜ、商工業が盛んになると、思想家が現れるのでしょうか。教科書には、「神話的世界観から普遍的世界観へ」などと小タイトルをつけて次のように描かれています。
商工業が発達して、人々の移動が盛んになると、様々な考え方に触れ、それまで正しいと信じられてきたことに疑問が湧いてきます。巨匠クラスの人物もそうした時代の一人でした。彼らは、変動が激しい時代の中で、苦悩の末に自分の思想にたどり着いています。そうした姿が人々の心をつかみ、長く語り継がれて古典になったのです。
神話的世界観とは何でしょうか。それは、日本で言えば古事記や日本書紀に書かれているような世界の成り立ちの物語です。卑近な言い方をすれば、生まれ育った故郷の山や村はずれの巨木や奇岩に宿っているとされた神々の物語のことです。その地方の人だったら誰でも知っている象徴的な自然について、古くから語り継がれきた物語です。 大概のことは、その物語で納得してきた人々も、見聞が広がれば、いろいろな物語と同時に、物語を疑う心も知るのです。
こちらの方が難しいテーマです。なぜなら、文明によってこれには癖のようなものがあり、正直な話、現在も私たちは何が普遍的なのか、どう考えるのが正しいのか迷い続けているからです。
ギリシア人は言葉の定義と論理性を重視しましたし、ユダヤ人は人と神との関係について悩みました。インド人は永遠の時間の中で生きる意味について問い続け、中国では崩れいく家族的な秩序を愛おしみながら、理想の政治のあり方が議論されました。
いずれの地域でも、それまで営々と続けられてきた血縁関係を中心とする社会秩序が急速に壊れ始めていたのです。そして、古典思想を生み出し得た地域だけで、国家統一が成し遂げられ、各地域の文化圏の中核となっていきました。