T:各地域、同時代並行の世界史
世界史・納得のツボ(人類編)
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前3500年〜前600年:4

(8)鉄と馬と異文化接触

前1000年紀に入ると、民族移動に加え、製鉄技術と騎馬技術の普及によって、大規模な社会変動がおき始めました。

ヒッタイトの製鉄技術

前1000年紀の前半(前1000年〜前500年)は、ユーラシア大陸の各地に、製鉄技術が急速に普及し、世界のあり方が大きく変わった時代でした。

銅と錫による青銅は前4000年紀には各地で作られていましたが、それより資源が手に入りやすい鉄の利用には技術的な課題がありました。鉄を溶解するには1500度の高温が必要だったのです。さらに、実用に堪えうる硬い鉄を作り出すには鉄に炭素を加える技術が必要でした。

ヒッタイトでは、風を利用して高熱を得、熱した鉄に炭素を打ち込む浸炭法で高い硬度の鉄を作ることに成功したのでした。

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製鉄技術と騎馬技術

前1200年頃、ヒッタイトが滅ぶと、製鉄技術は各地に広がりました。また、騎馬技術も軍隊に取り入れられるようになり、強力な軍事力をもった勢力が各地に現れ始めたのも、この時代からでした。

車輪を使った荷車は、メソポタミアで古くから利用されて、それを馬などに引かせることもすでに行われていましたが、馬にまたがり、それを思うようにコントロールするには、やはり技術的な工夫が必要でした。

黒海北岸にいたスキタ人は様々な馬具を使って騎馬技術を完成させ、その軍事力は周辺の諸民族の脅威となりました。

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世界帝国への道

皇帝とはKing of Kings(王の中の王)です。つまり、帝国とは多民族(王国)を支配する王国のことです。

メソポタミアの上流におきたアッシリアは鉄器と馬を装備した強力な軍事力で、エジプト、シリア、メソポタミア、イラン高原にまたがる支配を確立し、オリエントを初めて統一する世界帝国になりました。しかし、過酷な支配は長く続きませんでした。

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ポリスと古代奴隷制

地中海の北岸に入ってきたギリシア人は、エーゲ文明(クレタ・ミケーネ)を継承したり、破壊したりしましたが、やがて信仰する神々を祭った神殿を中心に集まって住み、都市国家(ポリス)を形成するようになりました。

彼らは征服した先住民を奴隷として生産に従事させ、自分たちは軍事や協業に力を注いで互いに競って、強力なポリスを形成しました。

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バラモン教とカースト

インダス川の上流域に進入してきたアーリア人(インド・ヨーロッパ語族の一部)は前1000年紀にはいると、徐々にガンジス川流域へと移動し、先住民を支配するインド独特の社会体制を作り上げていきました。

アーリア人は神々を讃える祭儀によって人の意志を伝えることができると信じ、その祭儀を行うバラモン(祭司)が大きな力を持っていました。インドに新しく生まれた社会では、このバラモンを最上位とし、王侯・武士、庶民、奴隷の階層秩序が形成されました。征服された先住民は最下位に位置づけられ、職業や結婚なども制限されるこの社会制度は、21世紀の現在でもインド社会に深く根付いています。

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西からの勢力と周王朝

まだ鉄器は普及していませんでしたが、中国でも、前1000年の頃、西から遊牧・牧畜系の人々の進出が目立ち始め、殷王朝から周王朝へと交替しました。

周は都を西方に置き、遊牧民対策を重視しました。以来、中国の国作りは、北や西の遊牧民への構えを重視して形作られていきました。(中国は海洋民を軽視する傾向がありました。)

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血縁が重視された
東アジアの文化

鉄器は武器だけではなく、農具や様々な工具にも使用されましたから、未開の沃野が開墾されたりして、社会的な生産力は急速に増大し、商工業が発展していきました。

この大きな社会変動と併行して、多民族を支配する体制が作られていった地域では、それまでの血縁中心社会の秩序が急速に崩れていきました。

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