T:各地域、同時代並行の世界史
世界史・納得のツボ(人類編)
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700万年前〜前3500年:4

(4) 人類が人種に分かれた理由

全世界に散らばっていった人類には、どんな未来が待っていたのでしょうか。

ゆっくり進んだ革命

生活革命・農業革命と言われる人類の生活文化でおきた革新は、激しい環境変化のなかで何千年もかけてゆっくり進みました。

しかし、それはよく言われるように移動から定住、狩猟・採集から農耕・牧畜などどと単純なものではなく、地域の自然条件によっても異なる、多様で複雑な過程であったことは容易に想像できます。専用の道具も選び抜かれた種子も知識もないところから、いきなり農耕や牧畜が始められるわけがありません。

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ヒントになる縄文文化

日本の縄文文化は生活革命の初期におきた変化を考えるうえで、重要なヒントになります。縄文時代の人々は狩猟・採集をしていましたが、定住し、土器などを作っていたことが遺跡から分かっています。当時の日本列島の豊かな自然がそれを可能にしました。彼らには農耕や牧畜を始める必要がなかったのです。

歴史的な変化を、進歩として見るのではなく、必要に迫られての適応だと考えることの方が現実的です。

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大型動物の絶滅

後氷期、人類の生活環境には何がおきていたのでしょうか。よく言われるのが、気候の温暖化によりマンモスなどの大型動物が絶滅してしまったことです。そのため、小動物を食用にするようになり、弓や投擲器から釣り針などの工夫が必要になったのでした。

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農耕・牧畜

 生活スタイルの主軸を変えることには大きなリスクが伴います。よっぽどのことがない限り、人は安易にリスクを冒すことはしません。おそらく、初めは補助的な食料源でしかなかった農産物や畜産物も、やむにやまれない事情によって、本格的な食料へと変わっていったと考えられます。たとえば、寒冷化による生態系の変化や病虫害や災害により、食料が入手できなくなったり、人口が増加して食料が不足しがちになったことが考えられます。

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特殊化していった地域文化

 地域のそれぞれの事情によって生活技術が工夫され、生活スタイルが変化していくにつれて、人類の生活文化は異なったものになっていきました。衣食住に関する技術や道具、知識から言語まで全く異なったものになり、互いに意思疎通することが難しくなっていきました。

氷河期が終わってから、古代都市文明が誕生するまでの8000年という時間は、古代ローマ帝国が成立した2000年前から現在までの歴史の、四倍にあたります。この間に異質な存在となった人類がその違いを超えて交流していく過程こそ、私たちが「世界史」と言っていることの主要な内容なのです。

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