いきなり、問題です。実は、人類史の始まりについては意見が分かれているのです。
DNAによる分析では、人類と類人猿(チンパンジー)の分岐点は今から500万年前頃とされてきました。しかし、2002年に発掘された骨から、直立二足歩行の可能性が推測される特徴が見つかり、年代測定により700〜600万年前にはすでに直立二足歩行が始まっていたと考えられるようになりました。まだ、可能性にとどまっていて、結論は出ていません。
人類の始まりをめぐって、判断基準とされるのが直立二足歩行ですが、立って歩くことがなぜそれほど重要なのでしょうか。
「直立により重い脳でも支えられるようになり、大脳の発達を促した。自由になった二本の手で物を作るようになったことで、いっそう脳が発達した。」とこれまで言われてきましたし、出土する古い人類の頭蓋骨や石器からもそれが裏付けられています。
しかし、最近、脳の大きさや労働の意義とは異なる視点で、直立二足歩行について論じられるようになりました。
直立二足歩行によって骨盤が変形し、人類の女性は難産になった、と言うのです。産道が狭くなったため、未熟なまま出産し、母親は生後約一年の間は付きっきりで育児しなければならなくなったのです。
このことで母子のつながりが密接になり、人類は「心」の世界をもつようになったと考えられるようになりました。
ところで、人類と類人猿には重要な共通点があります。
その一つは前足(手)の親指と他の指が向き合うように付いていて、物をつかむのに適した形になっていることです。もう一つは眼が顔の前に並んでいて、風景を二つの眼で見ていることです。その分視野は狭くなるのですが、遠近感が把握しやすくなります。
この二つの特徴は、樹の上で生活し、樹の枝から枝へと移動するには欠かせない特質ですが、直立二足歩行をするようになった人類には、これが別の意味をもつようになりました。
生後一年は続く授乳期の母子は、互いの顔を見つめ合い、表情をとおして感情のやりとりをするようになります。前に並んでピントがよく合う二つの眼によって、相手の表情が読み取りやすくなったのです。感情を共有をし合う母子の関係は「心」の世界を形作り、やがて言葉を生むことになっていったと考えられます。
直立二足歩行により生じた三つの変化、脳の発達・労働・共感能力は互いに刺激し合いながら、それぞれをいっそう発達させていきました。
自分以外の個体と食料を分け合う「協食」という行動様式は人類にしか見られない特色だと言われています。チンパンジーやオランウータンでは、食料を分け合うことはなく、「個食」が食事の普遍的な姿のようです。
人類のこの特色がどのように生まれたかは想像するしかありませんが、乳児期の間、未熟な子供と育児にかかりっきりの母親は、誰かに助けられなければ生きていけません。その間、扶養する者が必要です。
未熟なまま生まれた乳児と付きっきりで育児に励む母親と二人を扶養する父親。この家族という生活スタイルを選択した者だけが、環境の変化に適応し、生き延びて子孫を残すことができたのでした。
母子の間に生じた「心」の世界は、家族の世界で共有され、言葉を持つことによって客観的なものになりました。個々の人間に映っているに世界が、同じ世界であることを証明する方法はありませんが、言葉によって、私たちは同じ世界に生きているという感覚を持つことができています。
この「共感能力」によって、私たちは神の存在を知ったり、家族の枠を超えて社会を形成したりしています。「同じ世界を共有している。」という感覚があるからこそ、死を怖いことと感じるようになりました。そうした意味で、「共感能力」こそ、人類の本質と言うことができます。