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1989年〜現在:2

(31) 「冷戦」後の世界

冷戦が終わり、世界はどう変わったのでしょう。

ソ連の解体

1989年12月、地中海のマルタ島でソ連のゴルバチョフ書記長とブッシュ米大統領が会談し、冷戦の終結が正式に宣言されました。

90年、ゴルバチョフはソ連邦大統領になります。「ソ連邦」というところがポイントです。つまり、ロシア以外の多民族がまだ支配下に存在するのです。当然、民族独立運動が高まり、バルト三国は独立を宣言してしまいます。市場経済が導入され、経済も混乱してきますと、これまでのソ連に執着する人びとの声も強くなります。一方、ロシア共和国大統領に就任したエリツィンは急進的な改革を求めました。

1991年8月、保守派はクーデターを起こしゴルバチョフを軟禁しますが、時の勢いはエリツィンに味方し、クーデターは失敗に終わります。9月ゴルバチョフはソ連共産党の解体を宣言し、ソ連は解体に向かいました。

ロシア共和国はロシア連邦となり、旧ソ連の主な共和国(バルト三国以外)とともに独立国家共同体を構成しました。

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湾岸戦争

冷戦に勝利した米国は世界で唯一の超大国になりました。それを世界に証明する事件が起きます。1990年、イラクが隣国のクウェートを占領し、米国は多国籍軍を組織して、クウェートを解放しました。この湾岸戦争の作戦は、現地からテレビで中継され、全世界がそれを見るということでも、米国の力を世界に見せつけました。

この事件によって、「世界の警察官」を自任する米国に対して、反発も強まっていきました。特に、パレスチナではイスラエルの侵略を認めながら、イラクの侵略には反対する米国の身勝手さを「ダブル・スタンダード」として、批判する声はやがてイスラーム過激派の台頭となって米国を脅かすことになりました。

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9月11日事件

2001年9月、イスラーム過激派は米国にテロを仕掛けました。ニューヨークをはじめ米国の各地で多くの犠牲者を出したこの同時多発テロに対して、米国はテロを支援する勢力を一掃する戦いを始めました。まず、アフガニスタンを支配するタリバンがテロリストを支援しているとして、米軍はアフガニスタンに派兵しました。さらに、イラクが大量破壊兵器を持っているとして、2003年にイラク戦争を始めました。

最新兵器を使った米国の作戦によって、アフガニスタンのタリバン政権もイラクのフセイン政権も崩壊しましたが、両国の安定もイスラーム過激派の掃討も実現できず、十年近く経っても、米国は両国からの撤退に苦慮しています。

ふり返ってみると、米国はソ連のアフガン侵攻の時はアフガニスタンのゲリラを支援し、イラン・イラク戦争の時はイラクのフセイン政権を支援していたのです。この両勢力は、冷戦終結後には米国にとって扱いにくい勢力になっていたわけです。

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BRICs

四大国の頭文字を並べてブリックスと称されるブラジル(B)・ロシア(R)・インド(I)・中国(C)は21世紀に入り急速に経済成長し、今では低迷しがちな世界経済を引っ張る存在になっています。しかし、これらの国は欧米に対する輸出で成長してきましたので、欧米が不況になれば、たちまちこれらの国にそれは波及してしまいます。

一方、これらの国では一億人単位で「豊かな生活」をする中産階級が拡大し続けていますから、国内需要に依拠した経済成長にも期待されていますが、経済規模が大きいだけに、消費される資源の枯渇や排出される産業廃棄物による環境汚染の問題が懸念されています。

これらの現象や問題は人類にとっても初めての体験です。

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ロシアと中国

第一次世界大戦を挟んで、古い帝国はほとんど滅びました。ロシア帝国も清国も例外ではありませんでした。しかし、ロシアも中国も依然大きな国のままです。両方とも皇帝はいなくなり、共和政になりましたが、多くの少数民族をそれぞれロシア人と漢民族が支配し続けています。

急激に経済成長し、「豊かな生活」を始める人びとが激増する一方で、資源の奪いあいが激しくなり、ロシアや中国にとって資源の確保は死活問題です。少数民族が次々に独立するようなことがあっては、貴重な資源を失ってしまいますから、民族の独立には過敏です。また、周辺海域の漁業資源や海底資源にも強い関心を示し、周辺の国々とは緊張した関係が続いています。

このようにロシアと中国では、冷戦の時以上にナショナリズムが強くなり、国際社会でも独自な動きを示しがちで、米国も両国の動向には注意を払っています。

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地域統合

1989年、ASEANに日本や韓国も加わりアジア太平洋経済協力会議(APEC)が始まりました。1992年にはマーストリヒト条約により、ヨーロッパ連合(EU)が成立しました。これにより加盟国の人びとは国境を自由に行き来し、共通の通貨で買い物をするなど国家のあり方が大きく変わりました。さらにこれは外交など政治的な統合もめざしていました。

同年に米国・カナダ・メキシコも北アメリカ自由貿易協定を成立させて、地域統合を目指しました。

GATTは「物」について貿易の自由化を目指しましたが、1995年に設立された世界貿易機構は(WTO)はそれに加えて、サービスや知的所有権も自由化の対象にしました。

社会主義圏の解体、輸送手段(船舶・輸送機)の大型化、情報ネットワークの発達などによりにより、いっそうすすんだ経済のグローバル化にふさわしい秩序が求められていました。

世界共通のルール作りを目指すWTOでは、各国の利害がぶつかり合い、その調整はなかなか進みませんでした。そのため、EUのように合意可能な範囲で経済統合を目指す動きも活発になり、さまざまな地域統合が模索されるようになりました。

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