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1975年〜1989年:4

(29) 冷戦の終結

冷戦が終結に向かって動き出した背景には、西側・東側それぞれにどんな事情があったのでしょうか。

赤字財政

この時代、先進国は拡大する財政赤字に苦しんでいました。世界恐慌の対策として政府が積極的な財政支出で経済に介入し、経済成長を促進させ、社会保障を充実させて購買力を拡充する政策により、財政支出がふくらんでしまったのです。

どうしても政治家は選挙のことを考え、減税とお金のばらまきに傾きがちです。さらに米国は軍事支出により財政赤字が増大しました。

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新保守主義

「先進国病」と言われた財政赤字の累積には特効薬はありません。財政支出を削減し、税収を増やすしかないのです。まず、肥大化した行政機構を整理し、民営化できる事業は民営化します。公務員の給料や各種補助金を削減します。これに加えて増税をすれば国民の支持を失いますから、敢えて減税を打ち出します。それによって浮いたお金で買い物をしたり事業を拡大すれば、経済が活性化され税収が伸びるという考え方です。

米国のレーガン大統領やイギリスのサッチャー首相は「新保守主義」と呼ばれるこの手法を採用して成果をあげました。日本の中曽根政権も国有鉄道を「JR」に、電電公社を「NTT」に、専売公社を「JT」に民営化しました。西側陣営の国々も追いつめられつつありました。

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ペレストロイカ

1985年、ソ連の書記長になったゴルバチョフは情報公開(グラスノスチ)を掲げて改革(ペレストロイカ)に着手しました。1986年にソ連の原子力発電所(チェルノブイリ)で深刻な事故が発生したこともあり、ソ連型の社会主義体制の欠陥は誰の目にも明らかになっていきました。

改革は勢いを増していきました。1987年には米国との間で中距離核戦力(INF)全廃条約を成立させ、アフガニスタンからも兵を引きました。また、市場経済の導入や政治の自由化も進められました。改革の流れは後戻りできくなっていました。

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1989年

1989年、東ドイツでは各地でデモが続き、東側から西側へ脱出する人びとが増え続けていました。この動きに押されるように東ドイツ政府は11月ベルリンの壁を解放しました。これにより、自由化への動きは止めようがない勢いで進んでいきました。

また、ハンガリー、ブルガリア、チェコスロヴァキア、ルーマニアでも一党独裁体制を続けてきた共産党政府を倒す動きが続き、東側の国々は社会主義を放棄し、市場経済へと向かい始めました。1990年、西ドイツと東ドイツは統一を果たしました。

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