イスラームの世界でおきていることを理解しようと、いろいろ読んでみても、靴の上から痒いところを掻いているようで、実感がもって理解できません。このイラン革命もそうです。しかし、1979年にイランでおきたこの出来事は世界史の流れを変える大きな事件となりました。
それまでのイランはパフラヴィー朝下で親米政権が続いていました。イランは代表的な産油国でしたから、経済的にも潤い、何の憂いもないかのようでした。しかし、繁栄の陰で経済格差が拡大し、それに不満をもつ人びとには西洋化の風潮も耐え難いものに思われていました。
イスラームには喜捨という伝統があるように、ムスリム(イスラム教徒)同士の助け合いの意識は強く、社会的格差が無策なまま放置され続けることは、信仰上も許されないことでもありました。イラン革命の中心的人物となったホメイニーはイスラム法学者で、社会の変化をイスラームの教えに照らして意見を述べる立場にあった人でした。
1979年の革命により、親米であったパフレヴィー朝は崩壊し、米国はイランから撤退しました。新しく生まれたイラン・イスラーム共和国は、イスラームの教えを新しい国作りの基本にしました。政教分離の流れにあった20世紀に、イスラームの宗教を基本理念とする革命がおきたことは、世界に衝撃を与えました。
聖地メッカで武装蜂起した反体制派の人びとのように実力行使にはいたらずとも、イラン・イスラーム革命はイスラーム復興運動の潮流を創りだし、その後の西アジアの動向に大きく影響しました。
1973年、アフガニスタンでは共和革命が、そして1978年には共産革命がおきていましたが、ソ連はイラン・イスラーム革命の影響がアフガニスタンやソ連国内のムスリムに波及することを恐れ、アフガニスタンに派兵しました。
また、隣国のイラクも、イラン・イスラーム革命の影響が及ぶことを恐れて、イランに攻め込みイラン・イラク戦争が始まりました。
この時、米国は反ソ連・反イラン革命の立場で支援しました。