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1975年〜1989年:1

(26) 日本の成功と貿易摩擦

日本の経済力が大きくなることで、日本はどんな影響を受けましたか。

高度消費社会

前の時代の日本は高度経済成長のただ中にありましたが、この時代に入り、環境破壊、オイルショックなどによって、その見直しが迫られ、経済のあり方に大きな転換が求められるようになりました。

高度経済成長時代の産業や文化の特徴が「重厚長大、大量生産・大量消費」であったとすると、この時代の特徴は「軽薄短小、多品種・少量生産」と言うことができます。重化学工業中心の産業構造、同じものを大量に生産し、人びとは安い値段でそれを求めて、同じような消費生活をする。そんな文化に変化が訪れました。

これまで産業の中核を占めていた第二次産業に替わって第三次産業が主導権をとるようになってきました。製造業より販売・流通業が時代の流れを決めるようになっていきました。

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Japan as No1

日本はこの産業構造の転換を見事にやってのけました。省エネ型の商品開発、徹底的なコスト削減、産業用ロボットの開発と導入などできることはすべてやり尽くす精神で合理化が進められていきました。

その努力が認められ日本の製品はヨーロッパや米国にどんどん輸出され、欧米の自動車や家電のメーカーは日本の企業に敗北していきました。

企業集団で相互に調整しながら合理化が進められ、官民一体となって調整が図られる日本独特の方式が評価され「Japan as No 1」と言われたこともありました。しかし、止むことのない集注豪雨的な輸出のあり方は経済摩擦の原因にもなり日本人は「エコノミック・アニマル」と非難されたりするようになりました。

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円高ドル安の意味

変動相場制にはなりましたが、基軸通貨であるドルは依然優位な立場にありました。貿易はだいたいドル立てで契約されましたから、為替相場がドル安になるほど米国側にとっては有利になります。

例えば、米国側が輸入する時に1ドルが200円だったのに、支払いの時は1ドルが100円になっていても、米国側は1ドルを支払えばいいのです。ドルで払うのが契約だったのですからです。日本にとっては200円で売ったはずなのに、お金は100円しか入ってきません。

また、ドルの為替相場が200円から100円になれば、米国の商品の価格は相手国では半額になるわけですから、輸出には有利に働きます。逆に輸入品の値段は高くなります。

米国はこの立場を一貫して守ってきました。戦後1ドル360円だった為替相場は現在80円くらいになっています。基軸通貨の地位になる米国はドルでどんどん買い物をし、ドルの価値が下がるほど有利になるのです。米国はこの仕組みを最大限活用してきました。

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経済摩擦とプラザ合意

ドル安になると輸出が有利になるのなら、企業努力をして輸出競争力のある商品を作ろうとはしなくなります。しかも長い間、軍事産業優先の経済を続けてきましたから、自動車や電気製品などの分野では日本に市場が奪われてしまいました。職を奪われた米国の労働者は日本製の自動車をたたきつぶして、反日の気運を高めたりしました。

打つ手をなくした米国はドルの切り下げに協力するように求め、1985年プラザ合意としてそれを日本などに認めさせました。しかし、米国の貿易赤字が減る様子はありませんでした。

米国はさらに日本に内需の拡大、米国への工場進出などを求めてきました。日本はこれに応えて、金融を緩和し、米国の大型店の進出を認めたり、国内需要の拡大を図ったりしました。そのため、「バブル経済」といわれる状態に陥ってしまうことになりました。

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