ヒトラーの危険性を見抜いていたチャーチルはまたスターリンの野望も見すえていました。そのチャーチルと米大統領F・ローズヴェルトは対ヒトラーの戦いにおいて名コンビでした。1941年8月二人はカナダ沖で大西洋憲章を発表しました。
その内容は、第二次世界大戦の目標はファシズムを妥当することであり、領土の拡大・変更はないことをアピールすることでした。それでなければ、ソ連など多くの国の賛同は得られなかったかもしれません。ここに第二次世界大戦は連合国軍にとって「正義の戦い」になったのでした。
米国は第二次世界大戦の反省の一つとして米国の孤立主義をあげました。国際連盟にも加盟せず、ファシズムの台頭にも有効な対応策を講じなかった米国の姿勢を反省し、国際紛争を実際に解決することのできる国際機関を創設し、米国もそれに積極的に関わっていくことにしました。
1944年、米英仏ソの四大国は米国のダンバートン・オークス会議で国際連合の原案を作成し、1945年のサンフランシスコ会議で国際連合憲章を採択しました。国際連盟には総会の全員一致原則がありましたが、国連には総会よりも強い権限をもつ安全保障理事会を設け、その常任理事国(五大国)には拒否権(五大国の一致による決議原則)を認めました。
ブロック化によって自由貿易が制限されてしまったことが第二次世界大戦の原因だと、米国は考えました。そのため戦後は米国を中心とする自由貿易体制を確立しようと、1944年ブレトン・ウッズ会議を開き自由貿易体制を維持する仕組みの基本について取り決めました。それは三つの柱によって成りたっていました。
第二次世界大戦を挟んで基軸通貨がボンド(英)からドル(米)に切り替わりました。世界恐慌により金本位制体制が崩壊したことも貿易の縮小につながりましたので、国際的な通貨をどうするのか決める必要がありました。
戦災を受けなかった米国は軍需生産の拠点でもありましたから、世界の富は米国に集中していました。そこで米国のドルと金との交換比率を決め、ドルと各国の通貨の交換比率を固定する固定為替制度が採用されました。
日本を例にしますと、金1オンス=35ドル、1ドル=360円で、360円で1/35オンス(1オンス = 28.3495231 グラム)と交換できたわけです。これにより日本も世界貿易に参加できるようになるわけです。
自国の通貨が基軸通貨となった米国は都合のいい立場に立つことになります。米国は欲しいだけドル紙幣を印刷して、外国で欲しいだけ買い物ができるわけです。しかし、これが命取りになるのです。