タイ以外の東南アジアの国々は日本の支配下にありましたので、日本の敗戦により独立のチャンスが訪れました。
米国は高いコストがかかる植民地支配の方法はとらず、1946年フィリピンの独立を認めました。戦災に苦しむイギリスは植民地の国々の独立要求を認めるしかありませんでした。インド、パキスタン、セイロン(72年よりスリランカ)、ビルマ(89年よりミャンマー)、マラヤ連邦(63年よりマレーシア連邦)が独立しました。
フランスとオランダは植民地の独立を認めませんでした。両国とも軍隊を派遣しまちたが、独立を求める人びとに敗北しました。フランスは、ホー・チミンの指導下にあるヴェトナム独立同盟が出した1945年の独立宣言に対抗し、国王バオダイを擁立してヴェトナム国を建国しました。インドシナ戦争に発展したこの争いはデイエンビエンフーでフランスが敗北し、ジュネーヴ休戦協定を結び、インドシナから撤退しました。
オランダも、スカルノのインドネシア独立宣言に対して派兵しましたが敗北しました。
国民党と共産党との内戦は日中戦争の末期から起きていました。米国などの支援もあって優勢だった国民党はひどい汚職などで民衆の支持を失っていきました。
一方、毛沢東らの共産党は地主制の廃止などを訴え、農民との結びつきを強めていきました。結局1949年共産党を中心とする勢力が内戦に勝利し、中華人民共和国が成立しました。
敗れた国民党は活路を求めて台湾に渡り、中華民国を維持しました。
朝鮮半島はソ連に占領された北部にはソ連の支援を受ける金日成が中心となって朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が、米軍が占領した南部には大韓民国(韓国)が建国され、米国から帰国した李勝晩が大統領になりました。
1950年6月、北朝鮮は朝鮮の統一を目指して南下を始め、朝鮮戦争が始まりました。一時は最南端にまで追いつめられた韓国でしたが、米軍を中心とする国連軍の支援によって、最北端まで北朝鮮は追いつめられて行きました。その後、中国軍の支援も得てもり返し、両国は北緯38度線で南北に二分される形で休戦状態になりました。