金本位制がとられていたこの時代は通貨と金が交換できました。経済が混乱したときは人びとは財産を守るために金と交換したがります。ですから世界恐慌のようなときは各国とも金と通貨の交換を停止してします。そのため、同じ通貨を使っている国の間でしか貿易がしにくくなり、さらに、輸入品に高い関税を課したため世界市場は著しく縮小してしまいました。
それでも、米国、イギリス、フランスは従属する国を持っていましたので、貿易の相手国を確保できましたが、ドイツ、イタリア、日本など植民地を多くは持たない国は長引く不況からの脱出口を見つけられないでいました。
「市場がなければ奪うしかない。」それは一つの論理です。ドイツは東ヨーロッパへ、イタイアはアフリカへ、日本は大陸へと市場を求めて動き出すしか道は残されていないかのようでした。日本は1931年満州へ、イタリアは1935年エチオピアへ侵略しました。
ドイツは事情が異なっていました。ドイツはヴェルサイユ条約によって軍備には大きな制約がかけられ、莫大な賠償金を背負っていました。日本やイタリアのようにふるまうには、ヴェルサイユ条約を吹っ飛ばすほどの強力な政治的エネルギーが必要でした。その役割をヒトラーが率いるナチ党が遂行したのでした。
国民のエネルギーを集中するために、社会主義への恐怖やユダヤ人への憎悪が利用されました。そして、追いつめられていたドイツ人はヒトラーが準備したストーリーに乗せられていったのでした。
米大統領フランクリン・ローズヴェルトが展開したニュー・ディール政策は基本的にはケインズの考えによって遂行されました。しかし、十分な効果をもたらすことはできませんでした。ヒトラーの諸政策にもF・ローズヴェルトのそれと類似する点が多くありました。二人とも同じ考えで政策を模索し遂行しました。決定的に違っていたのは、ヒトラーは侵略戦争を前提として計画し、排外的で独裁的な手法で、個人の権利を制約してまでそれを遂行することを辞さなかったのに対し、F・ローズヴェルトの手法は民主的で開放的で議会制民主主義の精神から逸脱することはありませんでした。
しかし、皮肉にも、ヒトラーとの戦争によってはじめて米国は長い不況の闇から脱出できたのでした。予算に裏付けられた軍需が有効需要となったのでした。