1929年10月24日米国ニューヨークのウオール街でおきた株の暴落は世界中を巻きこんでいきました。鉱工業生産が低落、銀行の倒産、失業者の急増、過剰な農産物の廃棄、この深刻な事態はどのように説明できるのでしょうか。原理的なことに限って言えば、次のようなことが考えられます。
要約すると、売れないから作らない、作らないから失業者が増える、失業者が増えるから購買力が低下する、購買力が低下するから売れない、売れないから・・・。この最悪の「負のスパイラル」に世界がとりつかれたらどうしたらいいのか。未体験の世界が広がっていました。
「市場に自由な競争が確保されれば、需要・供給のバランスは自動的に調整されて、価格が決まっていく。」18世紀イギリスの経済学者アダム・スミスの言葉は百年以上信じられてきましたが、1929年その信仰は崩れ去りました。市場は失敗したのです。その欠陥は早急に修復されなければなりませんでした。
そもそも巨大企業が市場を独占している状態では、市場の自由な競争が確保されているとは言えません。労働者は機械化によって賃金は下がり、雇用主とは対等に交渉できないでいます。政府が社会の経済活動に積極的に介入して、市場が再び機能するように働きかけるしかありません。これが近代経済学の父ケインズの結論でした。
彼の言葉で言えば「政府の力で、有効需要を創出せよ。」ということになります。有効需要とは支払い能力に裏付けられた需要、つまり「金を握った客」のことです。
1930年代、多くの先進国では国家の改造が進みました。世界恐慌によって、「国民の生命と財産を守るのが国家の役割だから、経済のことには干渉せず、市場での自由な競争に任せなさい。」という19世紀型の「夜警国家論」の限界がはっきりしてしまったのです。
新しい国家像は「福祉国家論」とも言われました。「国家は社会の調整役として、積極的に経済活動に干渉して、その成長を助けなさい。」と正反対の考え方に変わったのです。1930年代は国家の役割が大きく変貌していった時代でした。