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1910年〜1930年:3

(7)第一次世界大戦とロシア革命

第一次世界大戦は何をめぐって戦われましたか。
第一次世界大戦にはどんな特徴が見られましたか。
長期戦となった第一次世界大戦は何がきっかけとなって終わりましたか。

ヨーロッパの火薬庫

18世紀以来、ロシアとオーストリアはオスマン帝国の弱体化に乗じて、バルカン半島への進出の機会をうかがい続けていました。19世紀に入り、バルカン半島で独立の動きが相継ぐようになると、民族の問題が複雑にからみ、バルカン半島は緊張度を増していき、「ヨーロッパの火薬庫」と言われました。

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第一次世界大戦

1907年、領内にセルビア人が多く住むボスニア・ヘルツエゴビナをオーストリアが併合すると、隣国のセルビアとオーストリアとの対立はますます激しくなりました。そのオーストリアの次期皇位継承者夫妻がサライエヴォで暗殺され、両国の対立は深刻なものとなっていきました。

セルビアと同じスラブ人国家のロシアが戦争準備の態勢にはいると、ドイツは三国同盟を理由にロシアに宣戦し、ロシアと同盟や協商を結んでいたフランス・イギリスを巻きこんで第一次世界大戦が始まりました。

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総力戦だった第一次世界大戦

ドイツは早期に戦争の結着をつけるつもりで敢えて対露・対仏の二正面作戦を辞さなかったのですが、結着はつかず戦争は長引きました。戦況は、塹壕を堀り、相手陣地を相互に奪い合う形の消耗戦となって、多くの兵士の命が奪われ、次々と兵士として戦地に送られていく男達の穴を埋めるべく、女性達が職場に出て軍需生産も担当しました。

また、毒ガス・機関銃・戦車・飛行機・潜水艦と最新の技術を利用して作られた新兵器が使用されたことも第一次世界大戦の大きな特色でした。各国政府は戦争に勝つことを最優先させ、総動員体制で臨みました。それに耐えられない国から倒れて行きました。

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ロシア革命

戦争の発端となったロシアで革命が起きました。革命は「戦争反対・食糧よこせ」から始まりました。「無賠償・無併合・即時停戦(=金も土地もいらないから、すぐに戦争を止めよう。)」これがロシアの戦争からの撤退の仕方でした。ロシア革命は反戦の革命だったのです。

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米国の参戦

孤立政策により、第一次世界大戦には参戦してこなかった米国も、ロシアが協商側から抜けたことに危機感をもち、長期化する第一次世界大戦に参戦しました。東部戦線の負担がなくなれば、戦況はドイツに有利になりますし、ロシア革命の影響が他の国々にも広がることをおそれたのです。

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ドイツ革命の失敗

ドイツで兵士たちの反乱が起き、敗戦国になったドイツでも、1918年、革命がおきました。しかし、それは失敗しました。以後、先進国では革命は一つも成功していません。社会主義革命は途上国でしかおきていないのはなぜでしょう。

20世紀の時点で先進国はすべて身分制社会を終わらせ、資本主義社会になっていました。国王・貴族・僧侶などの特権階級を自分たちで倒すだけの力を資本家や市民が備えていた国では市民革命が成功して資本主義社会を目指すことができたのです。

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社会主義は20世紀の夢

「大衆が立ちあがり社会主義政権を樹立した。そこでは貧富の差のない平等な理想社会が実現されようとしている。」このようなメッセージが、大衆の力がどんどん強くなろうとしている時代に広まったら、それは大きな力を持つであろうことは明白です。それはキリスト教やイスラームより大きな力を生んだことでしょう。だからこそ、資本主義の国々はこのロシア革命を目の敵にし続けたのです。

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途上国型の社会主義

ロシアや中国のように資本主義経済が十分成長していなかった国では、皇帝・国王などの旧勢力を倒すだけの力を、資本家達が持っていませんでした。そういう国では一部の知識人が農民や労働者と手を組んで、特権階級(皇帝など旧勢力)を倒し、社会主義体制のもとで近代化(=工業化)を進めようとしました。そして一部の知識人は独裁者になり、農民の犠牲によって、工業化が図られました。先進国でも社会主義国でも近代化の過程で農民が犠牲となったことは同じです。まさにそういうことがロシアで世界で初めておきたのでした。

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