西洋音楽史 〜「クラシック」の黄昏〜
岡田暁生著
中公新書 2005 ix, 243p.
ISBN4-12-101816-8 \780(税別)
■はじめに■
西洋音楽史の通史が新書本1冊にまとまったことに興味を覚えて、刊行されてまもない時期に私は本書を買っておいたのでした。実際に読んだのは今年に入ってからですが、西洋中世から今日に至る約1000年にわたる西洋音楽の歴史がコンパクトに、そして明快に記述されていました。まずは目次からご紹介しましょう。

■目次■


まえがき i-ix
第1章 謎めいた中世音楽 1-29
芸術音楽とは何か? 初めにグレゴリオ聖歌ありき 西洋音楽の成立について 『ムジカ・エンキリアディス』ーー前へ進みはじめた歴史 オルガヌム芸術の展開 ノートルダム楽派とゴシックの世紀 鳴り響く数の秩序 アルス・ノヴァと中世の黄昏
第2章 ルネサンスと「音楽」の始まり 31-58
「美」になった音楽 フランドル楽派の15世紀 定旋律のこと 「作曲家」の誕生 膨張する音楽史空間と16世紀 フランドル楽派からイタリアへ 「サウンド」と不協和音の発見ーーバロックへ
第3章 バロック- - 規視感と違和感」 59-93
バロック音楽の分かりやすさと分かりにくさ 絶対王政時代の音楽 オペラの誕生ーードラマになった音楽 モノディと通奏低音 協奏曲の原理 プロテスタント・独逸の音楽文化ーーバッハの問題 バッハの「偉大さ」について私見
第4章 ウィーン古典派と啓蒙のユートピア 95-130
近代市民のための音楽、ここに始まる ウィーン古典派への路 古典派音楽作曲技法 音楽における公共空間の成立 シンフォニックな音楽と新しい共同体の誕生 ソナタ形式と弁論の精神 モーツァルトとオペラ・ブッファ ベートーヴェンと「啓蒙音楽」のゆくえ
第5章 ロマン派音楽の偉大さと矛盾 131-174
19世紀音楽ーー「個性」の百花繚乱 批評、音楽学校、名作 ハッタリと物量作戦 グランド・オペラとサロン音楽とーーパリの音楽生活 乙女の祈り 器楽音楽崇拝と傾聴の音楽文化ーードイツの場合 無言歌、標題音楽、絶対音楽 音楽における「感動」の誕生
第6章 熟覧と崩壊- - 世紀転換期から第一次世界大戦へ 175-201
西洋音楽史の最後の輝きか?ーーポスト・ワーグナーの時代 フランス音楽の再生 エキゾチズムの新しいチャンス リヒャルト・シュトラウスとマンモス・オーケストラ 神なき時代の宗教音楽ーーマーラーの交響曲 越境か破局かーー第一次世界大戦前夜
第7章 20世紀に何が起きたのか 203-230
第一次世界大戦の終わりとロマン派からの訣別 オリジナリティ神話の否定ーー新古典主義時代のストラヴィンスキー 荒野に叫ぶ預言者ーーシェーンベルクの一二音技法 「型」の再建という難題 「現代音楽の歴史」は可能か?ーー第二次世界大戦後への一瞥 前衛音楽、巨匠の名演、ポピュラー音楽 ロマン派の福音と呪縛
あとがき 231-237
文献ガイド 238-241

■内容■
第1章の冒頭に、本書は「西洋芸術音楽の」歴史であると書かれています。「芸術音楽」には注釈めいた説明があるのですが、それは数ある音楽の「ありよう」の中の一モードにすぎないこと、さらに端的に言えば「楽譜として設計された音楽」のことだと述べられています。その「芸術音楽」は、紙を所有し字が読める西洋社会の知的エリート階級によって支えられてきたものであることも、あわせて述べられています。さいしょの3つの章は、どこか受身になりながら読んだのですが、私の場合は割合からいえば古典派以降の音楽に馴染みがより深いことと関係してるのでしょう。

単旋律で歌われたグレゴリオ聖歌は、のちの西洋音楽の重要なルーツの一つとなり、そのグレゴリオ聖歌の旋律に別の声部を加えた「オルガヌム」は、西洋の音楽の中に初めて「垂直」の思考をもたらしました。いずれも宗教から生まれた音楽でしたが、中世の後半には、宗教と音楽の乖離を告げるモテットが誕生(ルネサンス時代のそれとは異なります)。これはグレゴリオ聖歌を低音部に置いてラテン語の歌詞をつけ、その上に自由に考案された旋律を置いてフランス語の歌詞をつけるというもので、世俗のパロディ的な内容をもつものとなります。このジャンルでもう一つ注目すべき点は、それまでの宗教曲は三位一体をあらわす「3」拍子系だったというのですが、芸術上の欲求から「2」拍子系があったっていいじゃん、という発想が生まれてきました。そして、そのことが教会の逆鱗に触れたというのです(現代からみれば、ちょっと可笑しいくらいの話ですが)。ルネサンス時代になっても宗教合唱曲が代表的なジャンルとなりますが、15世紀には大らかな旋律の流れと暖かい響きを特徴とするようになります。16世紀になっても、このジャンルはイタリアのパレストリーナなどによって引き継がれますが、この世紀は器楽曲が大量に作られたり世俗合唱曲の「マドリガーレ」というジャンルが大流行したりしています。はじめの2章では、教会がパトロンとなって芸術音楽が生まれ発展し、その一方でだんだんと富裕な貴族の楽しみになっていくさまが描かれています。

「絶対王政」の時代と重なる音楽のバロック時代は、ああ、こういう時代だったんだなと改めてびっくりしました。オペラの誕生とともに始まったのが音楽のバロックだというのですが、そこには通奏低音の伴奏の上に、ただ一人の劇的な歌唱をのせるモノディと呼ばれる手法が登場します。「絶対王政」のはじまりとモノディ様式の登場とは無関係でなかろうという著者の推論には説得力がありました。この時代には、自分の富と権威を誇示するために王侯貴族が競って建てた宮殿で、毎日のように祝祭の催しが行われ、バレエやオペラも「王の祝祭のための音楽」としてその一環を担うようにり、その以外にも音楽の多くがこうした祝祭のBGMとして作られたといいます。その祝祭とは、たった一人の王の栄光を称えるために国中の富を注ぎ込んで一晩で消費すること。理解することは、けっして容易ではありません。この時代のコンチェルトや器楽曲などをBGM的に聴くことはありますし、それなりに心地よく聴けてしまうものですから、ついつい時代背景に思いをめぐらすことには疎くなっていました。ただ一方、プロテスタント圏であるドイツ語で音楽文化が勃興しはじめ、こちらでは音楽は神への捧げものとしての音楽という考え方が強かったと指摘しています。なるほど。

18世紀と19世紀は、芸術音楽のパトロンが貴族階級からブルジョワ階級に移行し、公開のコンサートや楽譜出版が盛んになったために、市民がその気になれば(お金を出して切符を買ったり楽譜を買ったりすれば)芸術音楽をたしなむことができるようになった時代と位置づけられています。モーツァルトやハイドンと比較した時のベートーヴェンの決定的な違いを、彼の音楽が18世紀までの貴族世界と決定的に縁を切っている点にあるとして、交響曲の3楽章の性格について論じている箇所など興味深かったです。音楽批評や音楽学校など19世紀の産物ですが、この世紀は過去の音楽に目を向けることとなりました。そしてロマン派音楽が栄えた19世紀は同時に、産業革命、科学の発達、実証主義、資本家の時代といえる様相を呈していて「どんどん無味乾燥になっていく時代だったからこそ」ロマンチックな音楽が生まれたという著者の指摘には、つい、そうだったのかと納得してしまいました。

ワーグナーの歿後あたりから第一次世界大戦勃発あたりまでの30年ほどの期間は、マーラー、R.シュトラウス、ドビュッシーの世代からストラヴィンスキーやシェーンベルクらの作曲家までが活躍した特異な時期。特に後者の世代は、「調性の破壊」(シェーンベルクによる)、「拍子の一定性の破壊」(ストラヴィンスキーの《春の祭典》)、それに「楽音の破壊」がなされたことを挙げて、西洋音楽史を支えてきたもの、その社会的文化的基盤が吹き飛ばされた状況にいたったことを述べています。そしてさいごに、音楽史にとって20世紀に何が起きたかを検証しています。ことに20世紀後半の音楽史風景を「3つの道の並走」として眺め、前衛音楽の系譜、巨匠によるクラシック・レパートリーの演奏、そしてアングロサクソン系の娯楽音楽産業を挙げています。演奏はもとより、現代音楽の作曲家たちもまた、現在でも五線譜を使って「作品」を書き、コンサートホールで上演し、ポピュラー音楽の多くも伝統的な和声で伴奏され、旋律をエスプレシーヴォで歌い上げて人々を感動に誘っていると著者は分析して、現在のわれわれがいまだに19世紀ロマン派からけっして自由になっていないことを明らかにしています。この最後の部分、読み終わったあとで一番印象に残りました。

【2006年3月6日】


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