第205回: 地人会第102回公演「フィガロの離婚」(紀伊國屋サザンシアター)
7月17日(月/祝)は、標記公演の千秋楽を観に久しぶりに紀伊國屋サザンシアターへ行きました。この公演のタイトルはフィガロの結婚ではなくて「離婚」です、間違えて入力したわけではありませんよ。まずは主なキャストとスタッフからご紹介。
●キャスト
羽場裕一・・・・・フィガロ
古村比呂・・・・・スザンナ
立川三貴・・・・・アルマヴィーヴァ伯爵
金沢 碧・・・・・アルマヴィーヴァ伯爵夫人
●スタッフ
作・・・・・・・・ホルヴァート
台本・演出・・・・鵜山 仁
翻訳・・・・・・・新野守弘
作者のホルヴァートは1901年、現在のクロアチアに生まれました。ミュンヘン大学で学びましたが、在学中、すでにワイマール共和国の時代になっていました。第一次大戦後の混乱したドイツ社会の状況を書くことが根本のモチーフにあるそうで、1931〜32年にブレイクしたといいます。本作品はナチの台頭以降に書かれるようになった「人間の喜劇」に当たる作品のひとつで、1936年の作です。面白く書かれているので、笑いながら見ることができました。とはいえ、革命を軸に、革命派対保守派と単純に色分けすることなく、かなり古い制度の特権的な階級に属して生きてきた人たちに対しても暖かい眼差しが注がれています。ずしりと来るのは、革命にせよ反革命にせよ、ひとつの事象をどちらから見るかで「正しい」か「正しくない」かの評価は違ってくるというホルヴァートのメッセージでした。どちらつかずでいるのがマズイとすれば(当然マズイですよね)、どちらかに単純に与してあたりさわりのない生き方をしてしまえという向きもあるかもしれません。でも、一人ひとりの人間が主体的にものごとをしっかり見つめて考えることなしに、単純な色分けですべての善悪をそこに押し込め、他人の判断をあたかも自分の判断のような顔をして(もっと悪い場合には、自分で判断していると幻想をもってしまって)、実は判断停止の状態で付和雷同しているだけ。そうなっては元も子もないぞと言われているような気になりながら、舞台の進行を見守っていました。
実は、開演時間に10分ほど遅刻してしまったのですが、全3幕のあらすじは次のようなものでした。第1幕。フィガロとスザンナが結婚して6年ほど経ったころ、フランス革命が勃発しました。二人はアルマヴィーヴァ伯爵夫妻とともに隣国に亡命します。伯爵は革命など成就しないと強がりをいいますが、そんなことは起こりません。業を煮やしたフィガロは、スザンナを連れて伯爵夫妻もとから独立して、散髪屋として市民生活を営むことになりました。第2幕は田舎町に散髪屋(いや今回の公演では「カットサロン」と今ふうに表現されていました)を営むフィガロ夫妻の様子が描かれます。仕事(金)に熱中するフィガロは子どもを欲しがるスザンナの話に耳を傾けません。村の助産婦の助言を入れて、スザンナはある日、フィガロに「妊娠した」と嘘をつきます。ビックリしたフィガロは父親は誰だと尋ねる始末。これまでもモヤモヤした鬱憤がたまっていた二人は、これで離婚が決定的になりました。一方、伯爵夫妻も財産を食いつぶし、その日の食べ物にも不自由する生活を送っていました。そして、離婚したフィガロは散髪屋を廃業。如才なく立ち回って隣国から故国へ戻り、なんと伯爵が所有していた城の館長にちゃっかりと納まりました。そしてスザンナに手紙を送ってよりを戻そうとしているのでした。第3幕。ケルビーノがすっかり出世し、クラブを経営しています。スザンナはその店を手伝っていますが、就労ビザが切れてしまいました。伯爵は夫人をなくしています。この二人も故国へ戻ろうとします。国境付近で伯爵は自分の死に場所をみつけて、スザンナと別れますが、国境警備隊の兵隊にみつかり身柄を確保されてしまいます。元伯爵が身柄を確保されたということになると、銃殺も想定しなければなりません。しかし、そこは新しい城の館長であるフィガロの取り計らい(命令)で、死刑にはせず身柄を自由にします。そして、これが革命の成就だと結んだのです。それから、フィガロとスザンナも、どうやらもとの鞘に戻る気配で大団円。
今回は幕間をとらずに一気に上演されました。とてもテンポがよく、見ている側も緊張の糸が切れずに良かったです。舞台はシンプルなつくりで、その舞台の上に中くらいの四角い台のようなものが置かれていました。場が進展すると、そこに椅子が置かれたり、店の応接間のような場になったり、散髪屋の室内になったりと、変幻自在に(というとちょっとオーバーですが)使われていて、場と場の転換が簡便に運んでいたように思えました。羽場裕一の軽妙な台詞回しとゆたかな表情、立川三貴のしみじみとした台詞や動作の運び方などを味わいながら、終演後の余韻まで浸ることができたような気がします。
「フィガロの離婚」にはギゼラ・クレーベという現代作曲家の手によるオペラがあるのだそうです。当日購入したプログラムに、指揮者の若杉弘さんが書いていらっしゃいました。そういえば、今回演出を担当した鵜山仁さんは、東京室内歌劇場ともさいきんは関わりをもたれています。鵜山さんが演出を担当して、このオペラを見せてくれれば言うことなしなのですが、話が脱線しちゃいましたね。今回はこのへんで・・・。
【2006年7月18日】
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