第204回: 身辺雑記 〜8年目を迎えた拙HP〜 (2006年6月2日)

怠け者の私が子どものころからマメに行っているところがあります。それは散髪屋。子どものころは1箇月に1回がメド、近年は5〜6週間に1度といったところでした。それがさいきん、ついつい延び延びになりがちなのです。昔よりずっと怠け者になったのかといえば、けっしてそんなことはありません。つねに一定した状態の怠け者といえると自負していますので・・・。

その理由を考えてみると、この4〜5年のあいだに、プライベートな時間を使って行なう雑務の類がだいぶ増えたことが原因です。それは土曜日の午後か夜がかなり潰れるという結果をもたらし、日曜日は家で何をするでもなく過ごすという生活になりつつあるのです。休養は当然必要ですが、それにしても、あまり良い休日の過ごし方とはいえないような気がしてきます。

こうした雑務の増加は、拙HPにも若干の影響を与えるようになりました。拙HPは7年前の1999年6月1日にスタートしたのですが、読みに来てくださる方をがっかりさせないようにというアドヴァイスをいただいたこともあり、当初はできるだけ頻繁にサイトアップすることを心がけました。それが少しずつ間があくようになり、さいきんは3日から4日の間隔があく、いや時にはもっとということも起こるようになりました。

この7年の間に、拙HPでは、昭和戦中期の音楽雑誌『音楽公論』『音楽之友』『音楽文化』の3誌の記事一覧とさいしょの2誌についての記事の要約をつくってきました。7年という時間を考えると記事一覧が3誌だけというのは、われながらちょっと寂しいと思っています(怠け者の割には、言うことが欲張りでしょうか?)。とはいえ、これらは拙HPのささやかな成果といえるのでしょう。検索エンジンで調べ物をしていて辿りついたよといった、嬉しいお知らせをいただくこともあります。

こうなってくると、もっと調べたいという欲求にかられることもありました。たとえば、『音楽之友』に登場した堀内敬三は健筆を振るったといえば聞こえはいいのですが、もっとわかりやすく言えば、戦時下の読者をずいぶん煽ったのです。元来、そういう人物だったのだろうかという疑問が拭いきれず、戦前の若い頃からの著作を、それも雑誌記事として掲載されたものを読んでみたいという気持ちをもったのでした。昨年の今ごろから戦前の音楽雑誌の目次に堀内敬三の名前が出てこないかリストアップし始め、それらをコピーし、読み、今年の2月に洋楽文化史研究会で報告させてもらいました。比較的短めの記事も含んで400ほどみつけ、実際に読めたのは380ほどでした。調べたのは、太平洋戦争が始まるまでの25年ほどですが、やはりそれ相当の時間的な変遷をたどってこないと、一人の人物の評価などできるものではないということです。戦時下の煽りが悪いといえば、確かにそういえるのでしょうが、なぜそういう態度をとるようになっていったのという点について突っ込んで考えることこそ大事なのだと痛感しました。なお、さいきん鹽入亀輔の年譜をサイトアップしましたが、あれはその調査の副産物です。ときどきは、こうした調べものをしながらHPを続けていかないと、中身の薄いものになってしまうなと感じたしだいです。

rupeさて、久しぶりに取り込んだ写真は、その調べものをしていた過程で購入したルーペ。明るく、手振れもないスグレモノでずいぶん助けられましたよ。その前は、文具店で買ってもっていた某文具メーカーの極薄で名刺サイズのそれ。暗めの喫茶店などで読むときには、ちょっときつく感じられ、眼も疲れました。それ以来、スグレモノしか使わなくなってしまったので、あの某文具メーカーのは、どこかに行ってしまいました・・・。

こんなとことを書き連ねたのも、1999年6月1日にスタートした拙HPがいよいよ8年目に突入したからです。いつも、あいまいに「マイペースで」と書いている私ですが、雑務と自分の調べたいことがらを調べる時間をとることと、このHPの三者をバランスをとりながら続けていきたいと思います。











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