第183回:篆刻アートワーク 熊野心象風景展(2004年6月19日)

6月12日(土)の夕方、私はミュージカル(← こちらへどうぞ)を観た初台から地下鉄で移動し、銀座にいました。ギャラリーおかりやを会場にして、「熊野心象風景」という垣内光さんの第2回篆刻作品展を見るのが目的でした。小関にそんな趣味があろうとは知らなかった、という声が聞こえてきそうですね。まさにその通りで、個展を開いた作家は大学の同期生。こうしたことがなかったら、篆刻のアート作品を見る機会はなかったかもしれません。

垣内さんは、二十年ほど前に篆刻家をこころざし、菅家塩小路流篆刻道でその道の基礎を修め、5年前に初の個展「古代の印影 アートワーク」を開催したのでした。菅原道真らの詩歌を篆刻にしたアート作品が多く見られたその個展で、私は興味深い分野があるのだなと初めて知ったのでした。もちろん、その気になって探せば、篆刻はさまざまな技法があり(ということは流派もたくさんあるのでしょうね)、もっといろいろな機会をみつけることもできたのでしょうが、そこは生来怠け者の私です(←自慢しちゃあいけないけれど)、そのうちまた機会があるといいな、くらいに呑気に構えているうちに5年が過ぎていました。そんなとき、垣内さんから個展の案内をいただき、よしまた見られるぞというノリで出かけたのです。

さて、かくして第2回の作品展を見たわけですが、残念ながら心得はまったくありません(←自慢しちゃあいけないけれど)。でも、どんなところに着眼して楽しんでいったのか自分なりに振り返ってみると、およそ次のようにまとめることができるでしょう。ひとつは、漢字一文字一文字を見て楽しむことです。もうひとつは、詩全体を見て(読んで)楽しむことですね。

漢字一文字を見て楽しむとは、こんな感じです。たとえば「草」という字。人差し指・中指・薬指の3本をサンの字のように開いて上向きに開いた形を、横に二つ並べるイメージなのです。異体字があるかもしれませんが、両の手を使って、想像してみてください。なんとわかりやすいことか。「踏」という字には、こんなかたちがありました。偏は「足」とわかります。旁の上部が「日」で下に「水」にあたるのであろう文字が見て取れます。「花」にしてもクサカンムリなんてものの無い漢字をみつけました。上部と下部に分かれているように見えますが、上部は土の上に出た茎と葉っぱ、それに花の部分は土からまっすぐに伸びた茎の先端がクッと右に曲がっています。下部は土の下の根っこが描かれているように見えます。どうですか? わざわざクサカンムリをつける必要などないですね。このように一つ一つの文字を見ていくと、かたちの面白さや自然との結びつきの強さなどを感じることができます。このように楽しんでしまうのが、もっとも単純な方法ではあるように思います。

しかし、これだけでは「ちょっとな」と思えてくる瞬間があるのです。今回の作品展は、作家が昨年の夏に紀州熊野を旅して、「深い山ひだから湧く霧の中で神と仏が融合する特別な地である」(図録より)と理解し、それが動機で作品展のテーマが決まったというのです。やはり、セレクトされた詩歌が、木や石にどのように刻まれ作品となっているのか、詩全体を見て(読んで)楽しみたいと思うのです。

たとえば「空山木葉飛」という良寛の作を見たときです。陶印に句が刻まれたのですが、もともとの陶印のかたちが、木の葉に似ています。そこに右から左に5つの文字が並んでいます。もちろん四角い印に何行か詩が刻まれたものもあります。「酒為忘憂盃有数」という菅原道真の詩など、この範疇に入る例です。さらに欲張れば、深いところまで意味がわかればもっと言うことがないのですが、自力では無理。「出門即是草漫漫」という良寛の詩。<寺の門を出るとそこはまた草が果てしなく茂っているわけで。>と口語訳が添えられていました。これなど、あるがままを詩にしたようで、先ほど挙げた「草」という文字の面白さを除けば、何を言いたいのだろうと思っていました。ちょうど垣内さんがやってきて(さりげなく私に「お腹出たね」などと言いながら・・・涙、でも事実・・・)、教えてくれました。ここでいう「草」は世俗を表すコトバなのだそうです。修行をして寺の門を出ると、世俗(あるいは俗事といってもいいでしょう)とすぐに向き合うことになるわけです。そのことを詠んでいるのですね。こうやって逐一解説を加えていくと、それこそキリがなくなるみたいですけれど、こうして教えてもらえて嬉しかったです。作品展全体を通してみると、会場で見られる漢字は、丸みを帯びていて優しく、現代の漢字と異なる文字を見ていると、より自然をダイレクトにかたちにしているようで、見飽きることがありませんでした。また、時には作家のオリジナルの文字かなと思いたくなる瞬間もあったのですが、勝手に文字を改変したり作ったりしてはいけない規則があるようなので、そうした独創性は、むしろ日本のいにしえの人々の知恵と理解しておきましょう。

ところで、会場に入ると「尋章摘句老雕虫」という句がかけてありました。李賀という人の作で<ことばを探して詩をつくったり篆刻をしながら老いていくのだ>という意味だそうです。作家の現在の心境を作品にしたのでしょう。個展全体のプレリュードの役割を果たしていました。でも、まだ本当に老いてしまったわけではありませんから、いつかまた機会を捉えて個展を開いてほしいと思っています。書きそびれるところでした。本展は6月14日をもってすでに終了しています m(__)m


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