第116回 : こまつ座公演『闇に咲く花』(紀伊國屋ホール)

こまつ座第163回公演『闇に咲く花』(井上ひさし作 栗山民也演出)を観てきました。1999年に次ぐ再演に当たるそうで、紀伊國屋ホールでは8月26日(日)まで。以後、10月23日(火)までのあいだに、この芝居を持って山形、宮城、大阪、京都、神戸、横浜、埼玉、北海道、名古屋、東京(北区)、鎌倉と回っていくようです。

『闇に咲く花』。ときは1947(昭和22)年夏、ところは東京都千代田区神田猿楽町愛敬稲荷神社です。登場人物は
登場人物 配役 登場人物 配役
牛木公麿(52)  神主 名古屋章 小山民子(21)  戦争未亡人 島田桃子
その一人息子・健太郎(27) 千葉哲也 子守の少女 四本あや
稲垣善治(27)  健太郎の親友 茅野イサム 神田警察署猿楽町交番・鈴木巡査 小市慢太郎
遠藤繁子(35)  戦争未亡人 増子倭文江 神田警察署猿楽町交番・吉田巡査 木下政治
田中藤子(33)  戦争未亡人 梅沢昌代 GHQ法務局主任雇員・諏訪三郎 たかお鷹
中村勢子(29)  戦争未亡人 日下由美 ギター弾きの加藤さん 水村直也
久松加代(25)  戦争未亡人 那須佐代子
場割も書いておきましょう。
  第1幕
    第1場 御賽銭箱
    第2場 御神籤
    第3場 神鈴[すず
  第2幕
    第4場 種銭
    第5場 御守
    第6場 太鼓
以上です。

1947(昭和22)年といえば、日本国憲法が施行されたり、教育の分野では教育基本法や学校教育法(6・3・3・4制男女共学を規定)が実施されたりしています。愛敬稲荷神社の立地条件は、神田明神からも靖国神社からも近くにある、しかし小さいお稲荷さんです。神主の公麿と5人の戦争未亡人たちは、縁日で売られるお面作りで生計をたてていますが、とてもこれだけでは追いつかず、闇米にも手を出しています。このあたり、ユーモアたっぷりに描かれて、強く明るい(ように見える・・・)生きる意志が舞台から放射されて、それが、ついつい「生存権」というコトバに命を吹き込むようにすら感じられました。

そこへ神主の息子の親友・稲垣が復員します。公麿が「痩せたな」と声をかるくだりがありましたが、ふと5月に見た『占領下の子ども文化<1945-1949>』で知った戦中・戦後の身長と体重の減少を思い出してしまいました。大人なら、身長はどうかわかりませんが、体重は激減して帰ってくるのが自然だったのでしょうね。栄養状態がきわめて悪い中で戦ってきたわけですから。でも、生きて帰ってこられて、公麿も周囲も大喜びで迎えます。やがて、戦死したと知らされていた、公麿の息子・健太郎が帰ってきて(こういうことは、実際にあったとききます)、再び大喜び。しかし、健太郎を追ってGHQ法務局主任雇員・諏訪が訪ねてきます・・・。

公麿と協力し合って生きている5人の戦争未亡人たちは、戦時中、公麿から「お国のために死んで来い」という内容の言葉をもらって、夫たちを戦地に送り出した経験があります。公麿と健太郎の台詞のやりとりで、神社の、あるいは神道の戦争責任について論をたたかわせるくだりがあります。神道の教えは、古来、清く明るいもので、もっぱら生にかかわり、死にかかわる葬儀などを執り行わなかった。それが戦中、多くの人に「死んで来い」と薦め、死体置き場にまでなったとしたのなら、それは神道が死んだことを意味するのではないか、とまあ、私はこう理解しました(細かく議論をなさる方ならば、いや、神道だって葬儀にあたるものはあるよと仰る向きもあろうかと思いますますが)。まず、ここが一つの見所、考え所でした。

もう一つは、やや神道の戦争責任論の影に隠れた感じもありますが、健太郎が捕虜となった外地で、人を怪我させ、それがもとでC級戦犯に問われ、外地に再度送還されて裁判を受け、命を落とします。B級・C級戦犯の場合、なぜ、これで命を落とさなければならないの、といったケースが多く見られるらしく、きっとそのことを言いたかったのだろうな、と思いました。

役者さんでは、名古屋章、増子倭文江、梅沢昌代、それに鈴木巡査役の小市慢太郎が全体を通してよかったと思います。千葉哲也、茅野イサムも健闘していて、第2幕第5場「御守」で、記憶を亡くした健太郎(千葉)に、神田中学時代の野球部部員の一人一人の名前を言い聞かせ、その記憶を呼び戻す稲垣(茅野)の二人のやりとりは、迫力もあり、感動もしました。9人いたレギュラーのうち、生き残ったのは、けっきょく健太郎と稲垣二人だけだった、というのも考えさせられましたし。そう、それから音楽は生ギター1本で、この人がどういう人かも芝居の最後のほうでわかる仕掛けになっていました。音楽も、全体的にはしっとりと聞こえましたが、時に烈しくといった具合で、よかったですね。

8月13日に小泉首相が靖国神社を参拝した後で、こうした芝居を見ると、また違う価値観があるのだということを、強い説得力をもって教えられたような気がします。
【2001年8月24日】


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