第112回 : 小朝の夏のスペシャル独演会「未来への扉」(2001年7月30日)

7月29日(日)。私は参議院議員選挙の投票を済ませて、有楽町へ向かいました。駅付近ではサマー・ジャンボ宝くじのPRが盛んでしたね。私も実は、その一日前に購入したばかりで、抽選日までの間、たっぷり夢を見ようと思っています。そうこうするうちに、マリオン11階にある有楽町朝日ホールに到着しました。標記の独演会が行なわれる会場です。

今回の独演会は、小朝師匠が3つの噺を披露するというので楽しみにして出かけました。ゲストはギター漫談のペペ桜井さんでした。演目は
あんまの信心 春風亭小朝
ギター漫談 ペペ桜井
宿屋の富 春風亭小朝
死神 春風亭小朝
開口一番もありません。幕が開くと小朝師匠はすでに噺の主人公として振舞っています。「あんまの信心」は、上方の森乃福郎が「滑稽清水」というタイトルで演じていた噺で、現在はほとんど演じられる機会がないとか。主人公は盲人、その妻が間男の新吉と組んで亭主の暗殺までたくらむという噺(おかみさんはマクベス夫人の遠縁かと思ったほど)で、やはり間男が登場する「紙入れ」という噺に、もうひとひねり利かせた内容となっていました。珍しい噺を発掘して、脚本家の金子成人さんに手を入れてもらっているのです。

ギター漫談のペペ桜井さん、ギターを鳴らしながら(演歌、フラメンコ、クラシックなどなど)喋る。圧巻は《禁じられた遊び》をギターで弾きながら、マイクに向かって演歌を歌うなどという、とんでもない芸当を披露してくれました。話は、ひょうひょうとした味があって面白かったです。今回初めて聞かせていただきましたが、もし寄席の入り口でこの人の名前を見かけたら、一度聞いてみると良いでしょう。

休憩後、お楽しみとして演題が伏せられていた噺が始まりました。小朝師匠がめったに演らないという「宿屋の富」です。私は、今回、これが一番面白かったです。この噺では、金がないのに宿屋に泊まった男が、田舎の大金持ちを装い、これを軽く信じた宿屋の主人から富札(現代で言えば、宝くじ)を一枚買わされます。これがなんと一等の千両が当るという内容。サマー・ジャンボなどでもそうですが、どうせ大金など当たりやしないさ、と思いながら買うのではないでしょうか。だから買った当初は知り合いと大きな口を叩きあうこともあります。この噺でも同様で、男は宿屋の主人に、もしも一等が当たったら半分の五百両をやろうと口約束します(どうせ当たりゃしないんだから、と思っていればこれも当然か・・・)。当たり札の発表の日、男は当たっている自分の富札を、はじめのうち外れているものと思い込んで「なんで、こんな少しの違いなんだ」なんてこぼします。私は、こんな大金ではありませんが、大学の同窓会のくじ引きで、どうせ上の等級なんか当たりっこないんだからと、下の等級だけ見て「やっぱり外れてる」と思って帰ってきたことがあります。その翌日、同窓会事務局から特等のキーボードが当たっていたのに、どうして帰っちゃったんですか? と言われて返事に窮したことがありますから、この辺りの気持ちは理解できます。これが千両(いまなら1億円とか2億円の賞金になるのでしょう)当たったら、どんな気持ちになるか、そこまではちょっと想像がつきません。噺の中で男は、息せき切って宿屋へ帰り、寒気がするからと布団をかぶって寝てしまうのです。宿屋の主人もしっかりした男で、何番の富札を誰に売ったか控えていますので、少し後で結果を見て息せき切って宿屋へ戻り、男の部屋に馳せ参じます。イメージ的に再現すると、
  主人「お客さん、きのうの約束覚えてますか?」
  男  「何だっけ?」
  主人「ほら、当たったらお金を下さるという・・・」
  男  「ああ、好きなだけ、3両でも5両でも持って行きな」
  主人「旦那、きのうのお約束では半分の五百両を下さると・・・」
人間の欲がよ〜く出たやりとりで、興味深く聞きました。ふと主人の足元に目を止めた男の口から出た言葉は、いくら慌てたといっても人の座敷に下駄を履いたまま上がってくる奴があるものか。ところが、布団をはがしてみると、男は草履を履いたまま寝ていたというお粗末。この辺りにも、人が持ちつけない大金をもてるとわかった時の心理の綾が、端的に表現されているようで、単なる駄洒落の羅列ではない古典落語の真髄に触れたような気がしました。

さて最後は有名な「死神」。・・・なのですが、今回の「死神」は京極夏彦さんの脚本によるもので、なんと最後のほうで話の筋が変更されています。もともと、明日を生きる力をもなくし首をくくろうとした男が死神に会い、金儲けの術を教わります。儲かって調子にのった男は、運に見放され、禁じ手を使って金儲けをしてしまいます。怒った死神がやってきて、やりとりがあって、最後は男も絶命する。そんな噺でした。こうやって上っつらを書いてしまうと面白い噺には思えないかもしれませんが、運・不運の総量は誰しも一定量らしいという考えが底にあって、欲をかくと良くないという教訓めいたものがそこに加わると思っていいのでしょう。面白い噺には違いない(私、好きな噺です、ハイ)のですが、今回の京極ヴァージョンでは、最後のほうで男が、このままでは悔いを残したまま死ぬことになるので、地獄行きになる。そんなのいやだ、どうにかならないか、と考えて始めたことが誰のためでもない自分の欲得を考えずに他人のために我を忘れて働いたと死神から誉められ、なんとなんと、寿命を延ばしてもらいます。サゲも工夫されていますが、生きる力を取り戻した男に、BGMは《明日があるさ》(吉本ヴァージョン)。

小朝師匠が昨年出版した『苦悩する落語』(KAPPA BOOKS)でも、古典落語には、そのまま演じたほうがいいものと、かなり手を加えたほうがいいものがある、と指摘しています。「死神」は、まさしく後者の実践例となるのでしょうが、これだけ有名な噺に手を加えることは、やはり勇気がいることに違いありません。まあ、今後さらに改良を加えるかもしれないですけれど、一味違う今回の「死神」、やはり聞けてよかったです。

次は、どんな試みをみせてくれるのか、楽しみですね。


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