第82回 : 通勤時の大雨(2000年9月12日)

2000年9月10日(日)
神楽この日は蒸し暑い一日でした。午後になって近所をぶらぶらしていたら、子ども御輿とすれ違いました。「ああ、もうそんな季節か」と思いながら神社を覗いてみると、やっていたのがこの神楽。すごくのんびりしたペースで進むのですが、もちろんゆっくりと見ている人たちも。しかし私はついていけず、短時間で切り上げて、別の場所へ移動しました。そして思ったのは、こういう芸能は、やはりデジカメよりもビデオ向きだなということでした。

いずれにせよ、この時は雨が降らなかったから、良かったのです。雨降りだと観客がつらいですよね。でも、天気予報では下り坂に向かっている模様でした。あ〜あ。

2000年9月11日(月)
台風、秋雨前線、太平洋高気圧の3つが重なって、東京も雨。ひどい雨になるのかと気を揉みましたが、まあ、なんとか切り抜けました。しかし帰宅して知ったのは、名古屋の洪水でした。名古屋にお住まいの同業の皆さん、どうしているのだろうと気になりましたが、コンビニの店内を商品のカップ麺がプカプカ浮いているのをニュースで見て、いまメールを差し上げるのはかえって迷惑かもしれないと思い直し、自重しました。

2000年9月12日(火)
いよいよ、きょうです。私は朝、ラジオでニュースを中心とした情報番組を聞くのが常ですが、昨夜の7時半ごろから新幹線がストップし、名古屋に帰れず東京駅のホームで夜明かししたサラリーマンのインタビューなどを聞いたり、巨人軍の一部の選手が新幹線の車中から動けなくなったこと、名古屋ドームで浸水があり12日のゲームが早々に中止となったことなどが伝わってきます。ひどいとは思っていましたが、予想以上に深刻です。

7時35分、いつものように家を出ました。雨は上がっていますし、この調子で推移してくれるといいなと思いながら歩き始めたわけです。西武池袋線の江古田駅で乗車、石神井公園で乗り換え、このあたりまでは別に変ったことはありません。しかし所沢に近づくにつれ、空には真っ黒な雲が現れ、不安な気持ちにさせられました。所沢−東村山と乗り継いで、西武拝島線の小川駅で電車待ちをしていたのが8時35分頃。ザーザー降りになってきたじゃあありませんか! いやー、すごいスコールです。

8時43分、玉川上水駅に到着。改札を出たのはいいのですが、人の列がいつものようにスムースに進みません。それもそのはず、いつも通る線路沿いの通路は車道が「川」の状態になっていて、歩道も冠水しています。なお悪いことに、けっこう車が通り、そのたびに歩道は波打ち際状態、いや、もうちょっと厳しい状況でまともに歩けません。この通路を「表」の通路とすれば、いわば「裏道」があり、こういう日は「裏」を歩いたほうが被害が少なくて済むのです。

というわけで、いつもとは別の道を歩き始めたのですが、水が流れる量が予想を上回っているのです。少し歩くと、こちらの道も「川」状態であることがわかりました。でも、もう引き返せません。あ、車が来やがった(失礼! いらっしゃった〜??)。次々に何台も通るんですよね。一台ひどいのがいて、スピードを上げて通ろうとするので、私たち罪もない歩行者は、あっというまにに水浸しに。
けっきょく大学のキャンパスに入るときに歩道から車道に降りるのですが、ここがけっこう深い。感触的には膝のあたりまで水に浸かりながら、職場へ。

職場に着いて、はじめに私がしたこと。それは靴を脱いで水を抜き(といっても、皮はしっかり水を吸ってしまいました)、靴下を脱いで絞りました。「ジュルルル・・・・、ジュルルル・・・」と、水が、ごみ箱の中に滴り落ちていきました(この話を、あるパートさんに披露したら、やけに受けてしまいました。どうして??)。その後、雨は小振りになり、靴の湿り気を気にしながらも、なんとか一日の仕事をこなし帰宅して、ほっと一息つきました。

さて、最後に気に入らなかったことを一つだけ。12日の朝日新聞の「天声人語」は、このところの雨を、特に水不足に頭を痛めていた京阪神地方には恵みの雨で、秋雨は災害ももたらすけれど、日本列島の秋から冬にかけての生活用水をまかなうものだといいます。しかも締めくくりは、アメアメ フレフレ カアサンガという歌もあったなといいます。今回ご披露した私のようなケースに対してならば、まことにもっともな内容で、さすがは朝日新聞と誉めてあげたくなります。
でも、名古屋のことを思えば、よくこんなことが書けたものです。


トップページへ
コーヒーブレイクへ
前のページへ
次のページへ