第63回 : 洋楽文化史研究会のスタート(2000年2月13日)

2月12日(土)の夜、私は渋谷の中華料理屋さんで10人ほどの仲間に加わって、楽しいひと時を過ごしていました。実は生来の怠け者である私が、人からのお誘いを受けて、新しく立ち上がった研究会に参加し、その参加者の皆さんと会食をしていたのでした。
今回は、その研究会をとりあげます。

スタートした研究会は「洋楽文化史研究会」といいます。
研究会では、主として1910年から1940年代にかけての、いわゆる洋楽の創作や受容にかかわる研究を行ないます。研究者だけに門戸を狭めず、関心のある人々への参加も呼びかけていましたので、私も参加してみる気になりました。
呼びかけ人は、長木誠司さん戸ノ下達也さんのお二人でした。
戸ノ下さんをご存知ない方もいらっしゃるかもしれませんが、『文化とファシズム ― 戦時期日本における文化の光芒』(赤澤史朗・北河賢三編 日本経済評論社 1993)に収められた「戦時体制期の音楽界 ― 日本音楽文化協会の設立まで」という論文を皮切りに、以後、戦前・戦中の音楽界について研究を続けている方です。お二人が去年話し合って、この研究会を立ち上げる準備を進めてこられたということです。

12日の第1回例会では、会の運営にかかわることを決めました。例会は、隔月(偶数月)で開くこととなりました。日曜日が研究会に当てられることになるようです。会場は、12日もそうだったのですが、今後も東大駒場の部屋をお借りすることになりそうです。
休憩を挟んで、記念すべき初の報告に移りました。

清瀬保二資料にみる音楽新体制運動というテーマで、戸ノ下達也さんが報告をなさいました。日本近代音楽館清瀬保二文庫がありますが、その中にある多数の自筆メモを「清瀬保二資料」と呼び、さらにその中の綴りの一つに「4・楽壇新体制促進同盟・日本音楽文化協会」があるといいます。この中から1940年11月13日付「連盟懇談会」から1941年9月4日付「経過報告」までのメモをとりあげての資料紹介でした。

清瀬のメモは、楽壇新体制促進同盟設立まで、そしてそれ以後の楽壇新体制促進同盟の動向について、運動の担い手による臨場感あふれる記録となっていること、主観的意見をはさまずに事実の記録に徹した資料にとなっていることに特徴があり、当時の事情を知るには欠かせない資料であることが述べられました。

このあとの質疑が白熱してすごかったですねぇ。
参加者の皆さんは、音楽学の皆さんと日本近・現代史や政治史を専攻している皆さんとに大別できます。それだけに切り口が豊富で、基本的な質問から異なる視点の提示まで、かなり時間オーバーをしたようです。
これから先、それぞれの視点をクロスオーバーさせながら、議論が発展していくような予感をもって帰ってきました。


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