60回 : 玉三郎を観た!! (2000年1月5日)
私は、どちらかといえば歌舞伎が苦手です。そのわけは、
1.ことばがわかりにくい(昔の言葉で意味が掴みずらいことと、発音の聞き取りにくさの両方)
2.約束事がわかりにくい(リアリズム演劇のように自然に見ていればすむとは限りません)
3.一つの演目の一部(幕)を上演する習慣が、どうも馴染めない
な〜んて言いながら、1月4日、私は歌舞伎座に向かっていました。
2年ぶりになります。この日の夜の部では三つの演目が上演されましたが、中に「阿古屋」というのがあって、玉三郎が三種類の楽器を劇中で実際に演奏してみせるというのです。今回見に行きたいと思った直接の動機です。
苦手とはいいながら、こんなふうにたまに歌舞伎を見に行くわけは、
1.   ことばはわかりにくくとも、イヤホン・ガイドなどで補って筋を追うことができる
2.   意外と駄洒落や現代の芸能ネタを取り入れて笑わせる演目もある
3. ときどき、とても印象に残る演目がある
といったところでしょうか。
1月4日夜の部の演目は
一、    双蝶々曲輪日記 ? 角力場 (濡髪長五郎=中村吉右衛門、放駒長吉=中村富十郎)
一、 京鹿子娘道成寺 (白拍子花子=中村勘九郎)
一、 壇浦兜軍記 ? 阿古屋 (遊君阿古屋=坂東玉三郎、秩父庄司重忠=中村勘九郎)
『双蝶々曲輪日記 ? 角力場』は、本当は米屋、引窓、橋本と場は続いていくようです。そのうち、はじめの角力場だけをやりました。全部やると長いらしいですね。それと、ぱっと華やかな印象を与えるのがこの角力場だそうです。そう言われれば仕方ないのですが、芝居のまとまりという点を考えれば、私にはどうしても中途半端だなと思えてしまいます(苦手な理由=その3に該当)。
『京鹿子娘道成寺』。鐘供養をする紀州の寺が舞台です。はじめに登場した僧侶たちがにこやかに語り合い、供養のお経が長いのはかなわないと言って、酒は持ってくる、肴も用意するといった調子で、温かみのあるナマクラ坊主といった具合で好感が持てました。花子の勘九郎が登場すると「どこかで見たことのある顔ではないか」「そうだ、去年の紅白の司会をした人に似ている」といった僧侶同士の会話がつづき、駄洒落なども多用して、会場を和ませてくれます。そのあとは花子の独壇場です。この演目などは、見に行く理由=その2が含まれていて、よかったですねぇ。
『壇浦兜軍記 ? 阿古屋』。今回、一番の目当ての演目です。平家の残党詮議に厳しい京都堀川の評定所が舞台で、残党の大物・平景清の行方を、その子を宿した遊女・阿古屋を捕らえて調べます。重忠は、阿古屋の性格を知って、琴、三味線、胡弓を弾かせ、心の乱れがないかどうかを確かめ、阿古屋が言うように本当に景清の行方を知らぬかどうかを判断します。ここに、岩永という重忠の助役が「手ぬるい」とか「阿古屋とできているのだろう」とか言って責め立てるのですが、これが人形ぶりで演じるので、全体としてはおとなしい、この演目に笑いを誘います。見所は、やはり阿古屋の玉三郎が、一人で琴、三味線、胡弓の三種類の楽器を重忠に命じられて弾いていくのです。どれも上手で、びっくりしました。こう言ってはナンですが、たとえばオペラの登場人物が、ハープ、ギター、ヴァイオリンを一人で実際に演奏してみせるようなものでしょう。琴と三味線の演奏の時には、唄もうたいます。その詞をじっくり重忠は聴いているのです。評定のあいだの重忠の姿勢が、聞き耳を立てるときの決まった型らしく、これなどは、私の苦手な理由=その2にあたる部分でちょっとわかりにくかったのですが、遊君阿古屋のあでやかさと演奏の見事さで、見に行く理由=その3に該当するとても良い印象をもって帰ってきました(三等席B=2520円、料金も\(^o^)/)。

忘れるところでしたが、一月の寿初春大歌舞伎(歌舞伎座)は、1月26日(水)までやっています。


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