第52回 : 落語の『紀州』から連想すること(1999年11月17日)

今年は、紀尾井ホールによく行きました。
職場から行くときは、西武新宿線の高田馬場でJRに乗り換え、新宿から四谷へと乗り継ぎ、あとは上智大学の側の道を歩いて行くコースを取ります。
さいきん、あることが頭に浮かびました。

紀尾井ホールの手前に福田屋ビルディングというのがあります。ここは、尾張名古屋藩旧江戸屋敷跡だと書いてあります。さて、ここから近いところに迎賓館がありますが、実はここが紀州藩旧江戸屋敷跡。このほかに近江彦根藩井伊氏の旧江戸中屋敷もこの近くにあったということで…、そうです、紀尾井町という明治になってからの町名は、この三つの屋敷から一字(紀+尾+井)ずつ貰って付けられた地名なのです。

落語の『紀州』とはこんな噺です。
八代将軍を決める日の朝、尾州公には鍛冶屋の槌音(「トンテンカーン、トンテンカーン」)が「天下取る」と聞こえてしまうのです。ところが大評定では、ライバル紀州公に将軍が決まってしまいます。あきらめきれない尾州公は帰り道、一度受けた紀州公が「まだ若年ゆえ尾州公に」と使者をよこすに違いないと希望的観測を抱きます。ちょうど先ほどの鍛冶屋の前を通ったときに、鍛冶屋の親方、真っ赤に焼けた鉄を水につけたからたまりません。「きしゅーッ!」

さいきん頭に浮かんだこととは、尾張名古屋藩旧江戸屋敷跡と紀州藩旧江戸屋敷跡が、いわば目と鼻の先といえるくらい近い場所にあることが一つです。もう一つは、この落語が鍛冶屋がポイントを握ることです(史実とは別ですヨ)。でも、大名屋敷が立ち並ぶ箇所に鍛冶屋が一軒あるとは想像できませんね。

時代は移って、今、大名屋敷跡の一角に紀尾井ホールがあるわけですが、このホールは新日鐵文化財団が運営しているホールで、新日鐵が親会社であることは広く知られていますね。落語に出てきた鍛冶屋は鉄を打っていろいろな機器を作る仕事。まあ現代に移して考えれば、製鉄会社は、さしずめ鍛冶の仕事も含んだものかな、と私の頭には勝手な連想が生まれます。
紀尾井ホールへ行くたびに、どうして、このホールはここに建っているのだろうと思ってしまうこのごろです。

落語の尾州公は「トンテンカーン」でしくじったわけですが、今回の私の文章は「トンチンカン」な与太話といったところ・・・
皆さん、風邪などひかないようにね。


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