第25回 : 久しぶりに行った国立国会図書館(1999年8月4日)

「私の読書ノート」で戦時中の音楽雑誌のノートを少しずつ書いていますが、20年ほどの間には、いくつか問題の周辺にある事柄を知り得ました。ところが、長い間に記録が一部散逸してしまって、今回あらためて調べなおしたいことが出てきたのです(トホホ…)。きょうの午後、およそ3年ぶりに国立国会図書館へ行きました。
目的は2つ。日本音楽文化協会の発会式日時に関することと、情報局という組織の呼称について。さいきんの論文では、どちらも正しく書かれているようですが、少し前のものになると、けっこう記述がまちまちなのです。3点の資料を確認して、満足して帰ってきました。結果は、ちかぢか書きたいと思っています。

ところで国会図書館に足を運ぶとき、私はかなり以前から、ノート型のワープロかパソコンを持参するようにしていました。国会図書館内のすべての場所でこうしたマシーンを使えるわけではないのですが、可能な場所で入力をして帰宅し、据置き型のマシーンにデータを移せば、あとの処理はぐんとやりやすくなるからです。前回までは、入館する際に「ノート・パソコンを持ち込みたいんですけどぉ…」と申し出て書類を作ってもらい、バッジをつける約束事がありました。3年の月日は、このシステムを変えていました。そしてマシーンを利用できる場所も格段に広がったようです。

余談ですが、富士通のオアシス・ポケットという小型のワープロ専用機は、アルカリ単3の乾電池2本で、カタログ上は10時間作動する機械でしたから、上着のポケットに予備の乾電池2本を入れて入館すれば、どんな時でもバッテリーの駆動に関する心配はありませんでした。その後、エクセルも使えるようにしたいと思って買い換えたリブレットは標準のバッテリーしか積まなかったものですから、1時間動いてくれるかどうかというところで、物足りなさが残りました(大容量のものも用意しておけばよかったかな?)。今回は、またしても代替わりしてヴァイオ。容量の大きいバッテリーを搭載して、ひとまず駆動時間の心配はなくなり、使い心地もまずまずでした。

国会図書館の内部も、3年前と比べてOPACの台数が増え、それぞれの台の前に利用者が座って、自分のほしい資料を探しています。以前は立って使う台が主流だったように記憶していますから、それも変化があったようです。OPACの内容も、和書の明治時代をはじめ、扱う年代がずいぶん広がりました。以前は、それぞれの年代でカード目録の場所が違うばかりか、目録の記載の仕方に違いがあるように思いましたし、古いものは手書きのカード目録があったように思いますから、OPACで探せるように標準化が進んでいることは、利用者の目から見るとありがたく思います。

何年も前のこと。休暇を取って国会図書館へ行き、新館1階の喫茶室でサンドイッチを2人前とって昼食をとっていた私の隣りに、偶然ギョーカイの大先輩がお座りになりました。少し話を聞かせていただきました。
その中にこんな話があったのです。
戦後まだ日が浅いころ、この方は目録を作るお仕事に従事なさっていたそうです。国会図書館は全国書誌を作る役割を負っていますから、わかりにくいデータをそのままにしないで調べるのに苦労なさったことや、そうしたお仕事の際にふと目にした童謡の詩(だったと思うのですが)が、あまりにかわいく、思わず涙がこぼれたといったお話を伺ったことがあります。
戦時中は、心情をまっすぐに表現した童謡の詩がどの程度あったのか(いくらもなかったのかもしれませんし)わかりませんが、戦後、自由になった世の中で先のような詩歌が生まれ、図書館の目録作成者も仕事のかたわら心を動かされたのかもしれません。
私たちの生きる今の時代、こうした仕事と書物との関係は希薄になっているのかもしれませんね。いずれにせよ歴史を感じさせるお話でした。
こんなエピソードも忘れないでいたいと思います。


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