第18回 : 脳死と臓器移植[下](1999年7月2日)

6月27日、私はインターネットと睨めっこしていました。「脳死」「臓器移植」について調べるためです。数え切れないほどのサイトがみつかるのですが、今回の参考に、2つのホームページを紹介します。

「臓器の移植に関する法律」
「生命のゆくえ 検証・脳死移植」(全28回)〔『高知新聞』ホームページより〕

さて、仮に私が不慮の事故などに遭い、脳死にいたるということを想定して考えてゆくことにしましょう。

1.病院で、最善を尽くした救命治療を受けたい
私の第一の希望です。 「生命のゆくえ 検証・脳死移植」第1回〜第4回などで触れられているとおり、救命治療に最善が尽くされかどうかが、医師のあいだでも疑問視された例があるという現状は、あまりにもお寒いと思うのです。
2.脳死判定は正確に、きちんとした手順で
高知でのできごと(法廷基準より低い感度の脳波計使用、決められた手順を誤って行なったテスト)が繰り返されるようでは、脳死判定そのものの信頼度が低くなります。また、この時のドナーは、臓器摘出手術がはじまってから、血圧が120から150くらいに上昇したといいます。言いかえれば、脳死と言いきれなかったのではないかという疑問が残るようです。
脳そのものについての研究も、もっと進んでほしいです。 「生命のゆくえ 検証・脳死移植」第6回〜第12回 参照)
3.脳死=移植の図式で捕らえることへの疑問
私に、正確できちんとした脳死判定が下ったとします。
その時点で、私は生きているのでしょうか?
もし私に、日本で脳死判定が下れば「=臓器移植」をするかどうかが問題になり、それが「死」にあたるかどうかは、先送りされています(とはいえ、「臓器の移植に関する法律」を素人の私がすなおに読めば、「脳死=死」と読めるのですが)。
もし私に、アメリカで脳死判定が下されば「=死」であり、家族には医師から”死亡宣告”がなされます。
自分の命を粗末に考えるつもりはありませんが、どうも「脳死=臓器移植」という枠組みで脳死を捕らえることに慣れていくよりも、脳死は新しい死と言いうる可能性をもつものではないのか? というスタンスで、問題を考えていくほうが良いように思います。もちろん、簡単に断定しきれない要素がたくさんあることはわかりますが。
いまの日本のやり方だと、脳死判定が下った私は生きていることになるのではないですか? 「臓器提供の意思」がドナーカードで確認でき、家族の承認が得られた場合(なぜ、本人の意思が尊重されないのでしょう?)、生きている人間から心臓を含めた臓器を摘出することになりませんか? 私の理解力が足りないのかもしれませんが、どうも納得がいきません。
脳死は従来の死と比べて、不確かな要素がまだまだあるように思えます。でも、脳細胞が死に、臓器がいくら生きていても、脳を蘇生させることができないならば、人は死にます。これが正しいならば、私自身は新しい死の存在を認めることが、あながち乱暴なことだとは言いきれないと思っています。
4.臓器移植ネットについて
私の臓器が摘出される手術が行なわれた際に、血圧が急上昇したと仮定します(高知では、こうした事実がありました)。
記者会見で質問が出されると、コーディネーター(臓器移植ネットの)が「事実はない」と即座に否定し、主治医が「いや、あった」というやりとりをしたと仮定しましょう。また、私の脳死判定の際、無呼吸テストの順番が間違って行なわれたとします。コーディネーターは「手順の問題で、医学的問題ではない」と言いきったとしましょう。
こうした事実があったかどうかは、連載を読んでいただきたいと思います 「生命のゆくえ 検証・脳死移植」第13回〜第14回 参照)。私はこの団体が、こうした強弁をやめ、信頼を取り戻すべきだと考えます。
5.メディアについて
臓器移植も第1例から第4例まで、短期間のあいだに進んでくるうちに、だんだんニュースに慣れてきたように思われます。第1例のときのように、各マス・メディアがどっと押し寄せ、患者の家族に接触をはかったり、臓器摘出手術の撮影を多数のメディアが要求したり、やはりメディアは、ひとの臓器も命も商品に過ぎないのだなと感じさせられます。いくら、ニュース・キャスターが格好をつけて「マス・コミも考えましょう」と言っても、外交要員のキャスターとテレビ局の真の意向がずれていれば、キャスターの言うことなど大した重みはありませんね 「生命のゆくえ 検証・脳死移植」第15回〜第19回 参照)

このほか、もちろん国の責任なども考えなければいけないでしょうが、今回は省きます。

6.私は臓器提供をするか?
決定的な結論は出せませんが、現状では、ドナーカードに臓器提供の意思を示すつもりはありません。私は新しい「死」まで概念を広げて考えうるところにいることは、自分自身で確認できましたが、それもまだ、断定していうことはできません。
それ以上に、脳死状態に陥った患者に対する「病院」「臓器移植ネット」「メディア」などの対応がお粗末すぎる現状を考えてのことです。
ですから将来、状況に変化が認められれば、ドナーカードに臓器提供の意思を示す可能性は、充分にあります。





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