第5回 : 私のインターネット事始め(第3回)[1999年6月13日]
さて、大学図書館どうしの所蔵調査ひとつとっても、「電話」か「郵便」から「NACSIS−ILL」という学術情報センターが用意したシステムへと移り、そのシステムに移行できない職場でも「ファックス」が中心となりました。もっというと、所蔵調査に電話を使うのは止めにしようと申し合わせた図書館ネットワークすらあるのです。こうした変化は複写依頼や図書館間貸出しにも変化を与えました。はじめはWWWではありませんでしたが、世の趨勢で、あっという間にインターネットのWeb上で見られるようになったように思います。こうして、ここ数年のあいだに、インターネットが図書館のレファレンス業務にとって、なくてはならないものになりつつあります。
たとえば4,5年前までならば海外の図書館への所蔵調査は、少なくとも私の図書館にとってはほとんどできませんでした。でも、業務でインターネットが使えるようになってからは、海外の図書館に接続して簡単に調べることができるようになりましたから、短時間でいくつかの海外の図書館の蔵書情報を調べることができます。洋書や洋楽譜など、NACSIS-Webcatを調べてわからないときは、すぐさま海外の図書館に接続して書誌情報をチェックし、もう一度国内で所蔵していそうな図書館にファックスを送り調べてもらう手続きをとったりします。
インターネットで調べられる情報は玉石混合といわれ、事実そうなのでしょうが、図書館の蔵書情報がインターネットで調べられるのは「玉」の集合と呼びたくなるほどで、とても画期的な変化だと思います。
日本の大学図書館でも、近い将来、ホームページをもっていない図書館など時代遅れというか、アンフェアだというそしりをまぬがれなくなると危惧しているのは私一人だけかどうか? どうもそうでないような気がしてなりませんが、まぁ、いまのところ主観の域を出ません。
話を戻しましょう。私が1996年から使い始めたのが、ニューヨーク・パブリック・ライブラリー。その後、ドイツのバイエルン・シュタッツビブリオテークを中心とした図書館ネットワークのサイトをよく使うようになりました(TelnetからWebに移行し、使いやすくなったので)。さらに同僚から教わったカリフォルニア大学リヴァーサイド校の図書館(Melvylというすぐれた蔵書検索のシステムが公開されています)も使うというように、徐々にレパートリーを広げてきました。もちろん、リンク集などもありますから、ほかにもいろいろ調べることが可能になりました。

インターネットは私が書いた以外にも、多くの可能性を秘めています。名古屋でもそうした類の話を聞くことができました。
その一方で図書館は昔からの伝統的な仕事、つまり利用者の皆さんからの申し込みを受けて資料を貸出したり、返却を受け付けたりという業務等がありますから、すべてがコンピュータやロボットによって代替できるような組織ではありません。
でも、以前と違って、利用者の皆さんが家からインターネットにつないでかなりの数の図書館の蔵書情報その他を知ることができるようになりましたから、どんなときでも、まず図書館に行かなければ情報が得られないということが減りつつある。そんな入り口に利用者、図書館員ともども立っているように思います。


(補足)[1999年6月14日]
冒頭で触れた、学術情報センターの「NACSIS-ILL」については、補足をしましょう。
大学図書館の相互協力を強力に支援するシステムで、従来より使い勝手がよくなったせいか、当初、多くの図書館で文献複写や図書館間貸出の件数が2〜3倍に、それが数年後には4〜5倍に増えた、と他館の方々から聞きました。手書きで書類を作っていた時代とは違って、コンピュータを使うからこそ、ここまでこなせるのでしょうが、それにしてもコピーにしても貸出図書を梱包するのもコンピュータがやってくれるわけではありません。そうした現場の皆さんが、忙しくなったことは認めつつも、依頼を出すときだって楽になったんですよ、とか、より多くの図書館が参加しててこそ意味がある、という考え方を共通に示したときには正直言ってびっくりしました。


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