第41回 : 古賀春江 創作の原点 〜 作品と資料でさぐる (ブリヂストン美術館)

ブリヂストン美術館に行ってきました。今回は、美術館全体を使った企画展ではなく、2つの展示室を用いた特集展示でしたが、私にとっては、古賀春江という画家に親しむとてもいい機会になりました。これまでこの画家の作品といえば、私は『海』(1929 東京国立近代美術館蔵)と『窓外の化粧』(1930 神奈川県立近代美術館)の2作品くらいしか知りませんでした。どちらもシュールレアリズムの作品で、印象に強く残る絵画でした。この人、なんでこういう絵を描くようになったんだろう? と思いつつも、とりたてて調べたことはありませんでした。そんなわけで、この特集展示を知ったときには好機到来と思い、足を運んだわけです。

順序が前後しましたが、7月1日(日)までの会期で、毎週月曜日が休館日です。入場料は700円(一般)となっています。特集展示という比較的小さい規模の企画ではあったのですが、全体は何と9章に分けられていました。
第1章 若き日の古賀春江
第2章 松田諦晶との交流
第3章 宗教的テーマから群像表現へ
第4章 同時代美術への関心
第5章 大衆の時代
第6章 科学の時代
第7章 精神病者の絵画への関心
第8章 既成のイメージからの創作
第9章 詩と絵画
古賀春江、本名・亀雄(よしお)。1895年、福岡県久留米市に生まれました。こうした事情も手伝ってか、ブリヂストン美術館の姉妹館である石橋美術館(久留米市)には、古賀の作品やスケッチブック、ノート、下絵、デッサンなどが保管されているといいます。今回は、それらを多く使っての展示でした。さて1912年、古賀は上京し、太平洋画学会研究所に入りました。その後、久留米に戻ったり再び上京したりするのですが、このあたりの事情は郷里でいっしょに絵を学んでいた松田諦晶が几帳面な人だったそうで、詳細な日記を残したり、古賀から来た手紙類をしっかり保存してあったりして、正確な日時等がわかるのだそうです(偉い!!)。1921年、生まれてくるはずの子どもが死産。私は、今回このことを初めて知りましたが、会場の第3章「宗教的テーマから群像表現へ」が不幸のあった後の作品群です。ここは前半のハイライトといってよいでしょう。やがて、商業美術へと幅を広げ(第5章)、科学の時代ともつきあっていきます(有名な『窓外の化粧』は、第6章に分類されていました)。

古賀は、子どもの不幸に遭遇し、人間の不思議さと神秘、生きていることと死ぬことの神秘を目の当たりにして太刀打ちできないものがあることを知ったといいます。ですから、しばらくは宗教的テーマをもった作品を描いていたのですが、徐々にそこから離れ、「出タラメの画」とみなされるシュールレアリズムまで行き着いたというのですね。

こうしたことを、実際の作品と手紙その他のドキュメントから追っていける今回の展示は、よく考えられた企画といえるでしょう。
【2001年5月30日】


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