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日付内容
2012/3/27(火)  昨年の本庄ラウンドが終わってから、というより、正確にはその前からなんですが、いろんな事象が重なり正直結構つらかった冬の終わりが、春の訪れとともに見えつつあります。
 自分をとりまくいくつかの事象もぼちぼちと片付き始め、ようやく余計なことを考えられるようになってきました。
 新たに頭の痛いネタが降り注いできているようですが、桜が咲くまでは忘れさせてください。
 折角手に入れたランサーを半年間放置しておくのもどうかと思われるかと思いますが、私もそう思います。
 そんなわけで、時間に少しずつ余裕ができるといろんなことを考え始める訳で、このままでは冬が終わってしまう!ということで、慌ただしく活動を開始しました。

 何年振りでしょうか、スキー場って。
 きゅうきょ、前夜にレンタルCDショップへ走り、ユーミンやら広瀬香美やらを借りて、一人勝手に盛り上がりながら現地へ。
 昼はスキー、夜はカジノ遊びが楽しめる某国のお気に入りのリゾート地以来かと思ってましたが、実はその後も行ってたみたいで、スキー場のレストハウスで今更ながら思い出しました。
 とは言え、スキー場は7〜8年振りで、この冬はパソコンより重いものをもったことが無いような生活でしたので、今スキーやったら絶対けがするからダメだと言い聞かせて、雪遊びレベルで今回は我慢しましたが、ちょっとやりたくなっちゃいました、スキー。
 少し体力をつけて来年はスキー場に行きたいなという思いを馳せつつ、四駆のファミリーカー探しをしていたのはご愛敬ということで。

 え?ジムカーナ?
 とりあえず、開幕戦にはエントリーしました。
 全日本は既に開幕しちゃったみたいなので、地区戦のね。
 正真正銘、本庄ラウンド以来半年間全く走っていないので、第二戦からくらいじゃないとどうしようもないかな、とも思ってましたが、さるくらからってのも何なので・・・。
 前日走ったくらいでどうにかなるもんじゃないとは思いますが、とにかく、1年ぶりに地区戦の皆さんにお会いできるのを楽しみにしています。

 昨年度の参戦記等はおいおいということで(^^;;
2012/3/28(水)  今回のスキー旅行でふと思い出しましたが、昨年は、ジムカーナを始めてから初めて胎内に行けませんでした。
 ま、それより遙かに遠い会場を行き来していましたので、もはや胎内も日帰り圏内と思えるほどに成長(麻痺?)している自分が恐ろしいところですが、思い立って立ち寄った某所で、おきまりの一枚。


 しっかりと胸に刻んで1年間がんばってみたいと思います。


 思い出した、という記事を書きつつ、今思い出したのは、そー言えばランサーノーメンテだったってこと・・・。
 だいじょぶかな・・・。
2012/5/8(火)  いよいよ、我が家にとっての今シーズンが開幕しました。
 今シーズンに対する思いは別途書き連ねようと思っていますが、今年はJAF関東ジムカーナ選手権PN3クラスをメインに走る予定です。
 とは言ったものの、3月末まで全く時間が作れず、少し前に開幕した全日本選手権本庄ラウンドの土日もずっとお仕事・・・。昨年10月の全日本最終戦から全く走らずして3月を迎え、さすがに焦りましたが致し方ありません。
 少し走ってから、第2戦もしくは第3戦からの参戦というパターンも考えましたが、開幕戦の土日は時間が作れそうでしたし、折角関東に設定されたPN3クラスのためにも、しっかりと参戦して盛り上げるのが自分の役目の一つではないかと考え、開幕戦からの参戦を決意しました。
 決勝当日は4月とは思えない寒さの中、何とか2位に入ることが出来ましたが、トップからは秒殺され、手放しでは喜べない結果に。
 とは言え、久しぶりのジムカーナはやっぱり楽しかった。
 浦島太郎状態となっていたタイヤ事情に驚きを隠せませんが、精一杯やっていきますので、今年1年よろしくお願い致します。
2012/5/9(水)  そして、もう聞き飽きた台詞ですが、ランサーを1mmも動かすことなく迎えた第2戦。結果は3位。
 まぁ、全く走ってないのですから当然ですが、開幕戦よりトップとの差は開いてしまっています。もう、時間が無いから走れないとか言ってられなくなってます。
 自分としては運ちゃんの問題が大きいと思っているのですが、その一方で「タイヤもらってる訳じゃないんだし、もう十分頑張ったからタイヤ変えなよ」と何人かの方に言われました。そこでN4クラスのタイヤシェアを調べてみたところ、なんとヨコハマユーザは0台(@_@)。タイヤ事情は想像以上に深刻のようです。
 技術面、道具面ともに今後どうしていくか、悩まされる1戦になりました。
2012/5/10(木)  タイヤ云々言う前に、まずは運ちゃんの状態を改善しないと、ということで、タイミング良く迎えたGWは起死回生のチャンスと意気込んでいましたが、これまで時間が取れなかったツケを払ったら、あっと言う間に1週間が終わってしまいました。

 連休開始早々は、この秋から冬にかけて各自の本業以外で連携し、苦楽をともにした仲間と熱海温泉旅行。毎日24時を過ぎてからが連携業務の時間という、長い6ヶ月間が終わり、鬱憤(?)を晴らすべく集まって、明け方まで会社の将来を議論して、一睡もせずそのまま始発で社に戻った方々も・・・。みんな、体だけは気をつけようね・・・。

 翌日は、長いこと相手が出来なかったこかんとくの思いを果たすべく、多摩動物公園へ。さすがにパンダは居ませんが、かなり充実した動物園ですね。オランウータンの綱渡りは迫力モノでした。

 その翌日は、体力を使い果たしたこかんとくのもう一つの願い、シャボン玉大合戦へ。巨大シャボン玉を作るべくツールとシャボン玉溶液をいろいろ準備して公園へ。数十分後には子供達が群がる大騒ぎになっていました。

 そろそろ走りたいと思った翌日でしたが、どうにも予定がつかず、手持ちの財産を最大限に生かすべく、タイヤの組み替えを実行。このため、ランサーから荷物を出したら、びしょびしょ・・・。そう、さるくらから車を開けていなかったことを思い出しました(T_T)。

 そして、かねてから予定していたかんとく慰安のための伊東温泉旅行に出かけます。こかんとくが卓球温泉に夢中になる中、伊豆地方は激しい雨で陸の孤島に(^^;;。翌日は昼前まで随所で道路が閉鎖となっていましたが、午後には回復して無事帰宅できました。

 また、昨年の10月から何も触っていなかったランサーの油脂類を一通り交換。ま、走ってないので距離はたいしたことないのですが、結構時間が経っていたので念のため。

 さらにはこかんとくがうわごとのようにつぶやいていたディズニーランドに初参戦。ディズニーランドなんて世界は存在しないんだよ、というセリフもいよいよ疑われ、そろそろ限界と判断。次週は地区戦で時間が取れないため、連休中の混雑がピークになると予想された日にきゅうきょ行くことを決意。長時間は体力が持たないこと、乗り物は殆ど乗れないこと、いくつかのパレードとショーが見られれば良いこと、などを考慮して予定を検討し、9時過ぎに自宅を出発、18時過ぎに現地を出発、という予定を組んだところ、奇跡のように渋滞にもはまらず、予定していたショーやパレードも観覧できました。

 とどめは好天のスキをついて実行したバーベキュー。やっぱり焼き肉は七輪に限りますね。

 結局、ジムカーナはおろか、宿題として自分に課した5冊の教科書も読破できずに、気がついてみれば連休もあっと言う間に終わりを迎え、起死回生のチャンスを逸してしまいましたが、こかんとくはご機嫌でしたので、まぁ、良しとしましょう。

 と言うわけで、ジムカーナは4戦目以降に期待して下さい(^^;;

2012/5/15(火)  そして迎えた関東地区戦第三戦。結果は2位。
 今回は思わぬ伏兵にやられました。その名はFushiana。手強いです。20300円を寄付する財力はありませんので、もう私の前に現れてくれないことを切に願うばかりです。

 ま、それを負けた理由にするつもりはありませんので現実を直視すると、開幕からの2戦、秒殺されていたOさん+ダンロップに迫るタイムが出せた点は、もう少しアドバンで頑張ろうかな、と思わせる材料になったのは確かですが、内容的には全く勝負になっていないことが判明。
 いろいろあったにせよ、それを覆すだけのタイムを出せないのが実力と言うこと。
 その差を埋められるのは、やはり練習しかありませんね。

 やはり、浅間台を1年半も走っていないというのもちと問題。遠くないのだからエボ10+AD08で1度くらい走っておくべきだったと反省しています。
2012/5/18(金)  ちょっとここで振り返り。
 
 全く時間が取れなかったシーズンオフが終わり、一段落と思っていましたが、ここにだけは首を突っ込むことを避けたかった分野に4月から取り組むことが決まり、いよいよ行く末が心配になってきました。この1ヶ月程はまだその入口を垣間見たに過ぎませんが、プロジェクトメンバー含め、精神的に耐えられるか心配しているところです。こういう環境だからこそ趣味を続けるべきだと強く訴えてくれるメンバーも居ますので、出来るところまでジムカーナを継続していきたいと思っています。

 今のところ土日の制約はそれほどきつくないので、今の内に昨年の状況を振り返り、今年の狙いを整理してみます。

 昨年の「時たま思うこと」を振り返ると、9月8日を最後に止まっているようですね・・・。
 9/18の九州おおむたラウンドの前ですかね。確かおおむたラウンド本番当日に出勤要請が入ったのですが、無理を言ってプロジェクトメンバーに代理をして頂くことでなんとか九州ラウンドに行くことが出来ました。
 結果は5台中5位と、はっきり言えばビリですが、内容的には短期間でそこそこ走ったという実感は持てたイベントでした。ただ、あと0.5秒稼げれば違った展開が見えるはずなのに、それが出せないところが大きな課題。0.5秒稼いだとしても上位には大きく及びませんが、いずれにしても根本的なレベルアップが必須であることを痛感したイベントでもありました。
 コースは難しかったですが、とても楽しいコースでした。北海道ラウンドに続き、今回も往復飛行機移動と贅沢をさせていただきましたので、また来年、と気軽に言える会場ではありませんが、またチャンスがあれば是非走ってみたいコースですね。
2012/5/19(土)  九州ラウンドが終わった頃からでしたでしょうか、10月から3月までの時限プロジェクトの打診を受け、まぁ、シーズンオフだし、サラリーマンですからと、快諾をしたのがこの冬を苦しめた要因の一つになりました。それとは別に、近年に無い大被害を及ぼした関東直撃の台風の日を境に、自分を取り巻く事情が大きく変化し、もはやジムカーナ所ではないというのが正直なところでした。
 全日本選手権は最終の本庄を残すのみでしたが、2dayイベントとなる本庄ラウンドの土曜日午前中に、やっぱり外せない案件が。散々悩みましたが、昼に神奈川を出ればぎりぎり受付に間に合う可能性があることが分かり、ここまで来てフル参戦を諦めるのも悔しいので、とにかくエントリーすることに決定。
 結局、土曜日の案件は何とか回避できましたが、事前の練習は全くできぬまま当日が近づき、さらにこの所の無理がたたってか体調を崩して発熱状態かつしゃべるのがおっくうなほどののどの痛み。様々な状況から、常識的に考えたらジムカーナなんぞやってる場合じゃない、と一喝されてもおかしくない、いや、誰かにそう言ってもらいたいのではないかと思えるほどの弱気な状況でた。

 そこまでして会場に行く意味があるのかと、不参加という選択肢を真剣に考え始めていましたが、現地へ向かうことを決めた理由は、出走台数が120台と限定された本庄ラウンドであること。そう、この最終戦は会場の都合もあるようですが、受理台数に制限があり、かなりの申込者が不受理となるという狭き門なのです。幸い、ここまでポイントを重ねてきた私は受理されましたので、自分の都合で出走しないというのは不受理になった方に申し訳ないという気持ちで一杯になり、家族の後押しもあって、とにかく一年のしめくくりに、会場には行こうと決断した訳でした。

 で、結局結果は8台中6位と、今期最悪の結果に。そりゃそうですね。もう、運ちゃんの状態も1年間使い続けたタイヤの状態も、戦える状態ではないことは一目瞭然。終わってからは我に返り、自己嫌悪に陥りながら帰宅したのを覚えています。
2012/5/20(日)  そんな形で最終戦を終え、この3月までランサーを動かすことのない6ヶ月間を迎えたというのが、昨年の終盤戦でした。
 シリーズ的には、皆勤賞のご褒美ということでしょう。2011年全日本ジムカーナ選手権PN3クラスシリーズ4位という位置で1年間を終えることになりました。内容的には全く褒められたモノではありませんが、形にはならない何か大きなモノが得られたのではないかと思っています。

 1年間を振り返ると、自分なりのこだわりをもって、普通のサラリーマンなりに全日本選手権を追ってみるということをテーマに、以下の点をポイントに頑張ってみた1年でした。
  ・休暇は一切取らない、というか取れない
  ・従って、参戦は当然土日のみ、金曜日からは入らない、というか入れない
  ・従来からサポート頂いているリジット様以外からはサポートを受けず自腹で
  ・当然タイヤも自腹
 結局、一度も休暇を取ることなく、自走で往復したタカタの翌日も通常通り出勤しましたので、仕事面では影響を与えずに、いや、翌月曜日の効率は悪かったと思いますが(^^;;、業務に対する言い訳を一切せずに全日本ジムカーナ選手権をフル参戦することに成功しました。タイヤもたぶん辛かったと今更ながらに思いますが、本番用1セットを1年間使い続け、全7戦分のタイヤマーキングを1セットのタイヤに頂くことに成功しました(なんか違う?)。
 ま、よくわかりませんが、いろんな制約があるサラリーマンが全日本選手権を追えるのかという疑問を一つの形で体現してみた1年でした。
 そんな甘いやり方で、とお叱りを受けることは必至かとは思いますし、もちろん、こんなやり方では不十分であることは自分自身が一番よくわかっていますが、自分の置かれた環境の中で、最大限できることはやったつもりです。こういった点を踏まえて、翌年の参戦計画は検討したいと思っています。

 シリーズ入賞したおかげで、11月末にはJAFの全日本表彰式なるものに招待されましたが、なんと平日の昼間・・・。そりゃ無理でしょ(T_T)。おまけに、子供は同行出来ないって話も聞いて、出席はやめました。また、無理矢理仕事休んだりしたら、翌日土曜日に予定されている関東ジムカーナ四駆忘年会に出られなくなるのは確実だったので、どちらを取るか考えた末、四駆忘年会を取ることにしました。
 そんな経緯で、きっと一生で一回、最初で最後の全日本表彰式には出席出来ませんでした。
 とても残念ではありますが、別に表彰式に出ることが目的でやってた訳ではありませんし、実力的に相応の結果とも思えませんから、潔くあきらめることにしました。
2012/8/1(水)  土日に至っても徹夜しないと間に合わないような、無茶な仕事に振り回されている間に、2ヶ月間止まってしまっていたようです。その間地区戦も進んだのですが、前の記事を見ると、昨年の全日本戦を振り返っているようなので、もう少し続けて・・・。
 
 シーズンオフの間は全く車には乗れませんでしたが、1年間の全日本フル参戦を振り返りつつ、つらつらと12年度の予定は考えていました。
 とりとめもなく考えていたのはこんな感じのこと。
  ・正直、全日本は楽しかった
  ・お金と、休みと、腕があればこんな楽しいモノはない
  ・もう一年くらい全日本を追ったら力が付きそう
  ・全日本を戦うには力不足は否めない
  ・やるならもう少し地力を付けて全日本を戦いたい
  ・経験のないコースを土日だけで戦うのはきつい
  ・やるなら金曜日から入りたい
  ・平日は休める保証が無い、というか狙い通り休めない
  ・土日すら確実に休めない
  ・走ってる本人は楽しいが、見ている側はどうだろう
  ・カートコースでタイムが出てもあまりうれしくない。出ないけど(^^;;
  ・パイロンコースでタイムが出た方がうれしい。出ないけど(^^;;
  ・出来ればパイロンコースで競いたい
  ・1年間くっついて回ったけど、岡野さんの凄さは言葉では表現できない
  ・微妙なバランスを保っている不思議な世界
  ・あまり長くいると感覚がおかしくなりそう
  ・家族には結構迷惑をかけた
  ・タイヤを自腹で買ってる身にはつらい
  ・PN3クラスを全戦成立させるという目的には貢献した
  ・12年度全日本開幕戦本庄ラウンドは仕事
  ・12年度は関東地区戦にもPN3クラスが設定される
 他にもいろいろ思ったことはあるけど、こんな感じかな。
 どこが決め手という訳ではないけど、何より力不足であることと、やっぱりパイロンコースを走りたいこと、関東に12年度はPN3が出来ること、全日本をしっかり追う体制が作れないこと、など、いくつかの点から、今年度は地区戦メインで走ることに決めました。
 開幕戦の本庄ラウンドがスケジュール的に走れるたのならまた考えも変わったかのもしれませんけどね。実力や財力、スケジューリング能力からして背伸びしていたのは間違いありませんので、今年はしっかりと地区戦を追う事にしました。
 全日本は近場で気が向いたらスポットでと思っていましたが、いろんな事情もあって、心を鬼にして地区戦に集中する方向を今は考えています。
2012/8/2(木)  そしては地区戦は第四戦に。結果は3位。
 今回は、戦うことの難しさを痛感し、自分の弱さが露呈された1戦となりました。
 帰り道の長かったこと・・・。
 寒い時期、とても勝負になる気がしなかったOさん+ダンロップに、第三戦の感触から、もしかすると暖かくなれば戦えるかも、というい欲が出てきたあたりから既におかしかったのかもしれませんね。
 たぶん集中してしっかりと思うところに車を動かせていれば、優勝争いには絡めたはず。修行がたりません。
 この所、睡眠時間を削って深夜早朝問わず仕事をしていたせいか、風邪をこじらせて微熱状態だったのもタイミングが悪かったところです。新潟移動前に医者で薬をもらってなんとか凌いでいたのですが、日曜日は正直ちょっと辛かった。ま、戦う環境作りも含めて負けは負け、体調管理も戦う上での重要なファクターですからね。次こそは・・・。
2012/8/3(金)  もう後には引けないという思いで、渾身の力を注いで迎えようとしていた地区戦第五戦は、スタートラインに立てず不出走。
 心が折れました。
 平日を計画的に休むことが年々難しくなっている中、奇跡的に本番前々日の金曜日に、ぽっかりと会議や〆切設定が無いことが判明。そこからは予定を死守し、いざ練習会へ。
 エアセットなどを試しながら、ネオバってこんな感じで使うと意外といいのかもしれないなと、今更ながらに何かを掴んだような気がした周回でなんと車両トラブル発生。
 日曜日の出走は断念することにしました。
 折角やる気になっていたんですけどね。残念です。

 ということで、ここで勝負しなくてどこで勝負する、という第五戦もてぎラウンドは欠場となりました。
2012/8/23(木)  何とか車両の修理も完了し、臨んだ地区戦第六戦。結果は6位と惨敗でした。
 車両状態の管理と言う意味でも少し油断がありましたが、なにぶん、時間が取れなくて・・・。
 条件的には十分勝負になったはずの大事な1戦を落とした感じです。
2012/8/24(金)  そして地区戦第七戦。結果は優勝。
 内容的には全く褒められたものではありませんが、50度オーバーの路面温度、息が切れる程のロングコース設定、これでもかという連続ターン、など、サバイバルレースの様相を呈した闘いの中、私を含め誰もがミスを連発する中、ロスを最小限に抑えられたということでしょう。
 エボ]乗り換え後初優勝ですので、素直にうれしいです。
 シーズンが始まり、結構悩んだ時期もありましたが、少し気持ちが楽になりました。
 また、PN1のO脇君がすばらしい走りでPN1を制しました。もはやアドバン勢は、PN1はO脇君のみ、PN3も今回は私のみと、寂しい限りになってしまい、今回こそは今回こそはと、毎戦毎戦お互い励まし合って戦ってきたのですが、そのO脇君と共に優勝できたことがものすごく嬉しいです。高いレベルの走りで観客を魅了したO脇君とミスしている自分とを一緒にするのは申し訳ありませんが、残りも一緒に頑張っていきたいですね。

 とは言ったものの、冷静に解析をしてみると、とても勝てるイベントではなかったことが伺えますので、高望みはせず、ただただ自分の出来ることを目一杯やりきることを目指して、残りの2戦も精一杯Oさん+ダンロップに挑みたいと思います。
 ランキング的にはここ2戦を落とした関係で2位争いからは脱落しかけていましたが、この1勝で何とか首の皮一枚踏みとどまったように思えます。2位じゃだめなんですけど、もうチャンプは決まってしまったので、せめて最後まで精一杯頑張ろうと思います。
2012/9/17(月)  そして地区戦第八戦。
 結果は第七戦に続く連続優勝。
 数日前まで灼熱の闘いとなると誰もが予想していた夏の本庄ラウンド。天気予報が直前に大きく変わり、まさかの大雨でもはや勝機はゼロと思われましたが、高速コースのウェット路面にライバル達が足下をすくわれる中、諦めずに最後まで集中して出来る限りのことをやろうともがいた結果が優勝に繋がったのかなと思っています。
 まともに走られたら勝負にならなかったと思いますが、僅かコンマ1秒でもトップタイムを抜き返し、ほんの僅かかもしれませんがプレッシャーを与えられた事がこの結果に繋がったのかもしれません。ホントの所は皆さん全く僕のタイムなんぞ気にしてなかったかもしれませんが・・・。
 手持ちのタイヤの中で最もコンディションのよいタイヤを裏組して投入し(?)、前日から当日まで最大限のタイヤ準備を進め、コース攻略においてもめげずに出来る限りの事をやり通した点で、今回は自分を褒めてあげたい気持ちで一杯です。
 ただね、ギリギリまで攻められたというレベルにはほど遠いので、達成感は今ひとつですね。仮想タイムにはほど遠い感じです。
 第6戦終了時点でシリーズ優勝を逃し、シリーズ2位からも大きく水を開けられていましたが、第7戦でなんとか持ち直し、この思わぬ一勝で一気にシリーズ2位が確定となった模様です。ほんとは2位じゃダメなんですけどね。もはや30台近いエントリーを集めるN4クラスではアドバンユーザが0台まで落ち込むほど、圧倒的不利と言われていたアドバンで、Oさん+ダンロップに食らいついたというところで勘弁していただければと思います。
今年は茶そば食べに行けそうです。
2012/10/5(月)  今期の地区戦最終戦となる、第九戦は6位惨敗。
 ろくに練習しないくせに、タイムが出ないとすぐに車の状態を疑い始めるという弱いハートが全ての原因です。走行中に考えても仕方がないのに、車の状態を考えながら外周のコーナリングを抜けたら、頭が真っ白になりました。情けないったらありゃしません。
 ま、たらればでも優勝タイムには及ばなかったようなので、どうしようもありませんが、せめてきちんと走っていたら2番手には食い込めたはずなので、反省しています。

 今回の戦いで2012年度の地区戦チャレンジが終わりました。結果、シリーズ順位は2位で終了しましたが、トップのOさん+ダンロップにはぶっちぎられてますので、喜べませんね。その一方で、今シーズンから四駆に殴り込みをかけてきたYくん+ブリヂストンとの三つ巴の闘いはなかなか楽しかったです。私はヨコハマ、ということで、車は同じでも三者三様のタイヤを選択し、コンディションによって一喜一憂したあっと言う間の1年間でした。残念ながらYくんは一旦日本を離れるためエボ]を降りるそうですが、またいつか闘えるのを楽しみにしています。

 一応JAF CUP参戦権なるものがもらえることは分かっていましたが、11月の低温路面に昨年ロットの中古アドバンタイヤで勝負になるはずがなく、実は参戦には前向きではありませんでした。ですが、皆さんの言葉もあり、このまま終わるのも寂しいので、参戦することを決めました。
 となると、新品タイヤを投入してくる全日本のサポートドラやOさんらと闘うためにも新品タイヤを、と思いたくなるのは当然の成り行きですが、まぁ、冷静に考えたらあり得ない行動ですので、サポートをもらわない一般ユーザーの一人として、中古タイヤでどれだけやれるか、闘いザマをお見せしますので乞うご期待!
2012/12/24(月)  JAF CUP参戦が終了しました。結果は5位。
 まだ行けたはず、と思うと納得がいきませんが、タイヤや車のコンディションを考えたら上出来という気がしています。
 とは言え、思ったよりも悔しさばかりが残っており、このやりきれない気持ちをどうしてくれようか、珍しく悩みを募らせる一戦となりました。
 例年ですと、最終戦が終わるとすっかりその気ではなくなるのですが、このJAF CUPの帰り道はモンモンといろんな事を考えてしまいました。まだ考えはまとまりませんが、今の自分の腕ではJAF CUPを狙えるレベルにないことだけははっきりと認識しました。さらに、今の取り組みを続けていてはそのポジションを狙う所までたどり着けないことが分かってしまったのです。どうすればそこを打破できるのか、そもそもそこを打破するところまで頑張るのか、いくつかの想定できる選択肢や手段などがグルグルと頭を巡って大渋滞の中帰宅しましたが、いずれにしても今シーズンはこれで終わり。来年のことはゆっくり考えたいと思います。
2012/12/27(木)  かなり早いタイミングの11月某日、関東四駆乗りを中心とした忘年会が開催されました。2年連続30名オーバーの33名が参加。
 0次会はボーリング大会でしたが、関東チャンプの彗星さんが3ゲームトータルスコアでベストをマークし、何やっても凄いところを見せつけてました。
 本番の一次会は魔術師様の乾杯のご挨拶を皮切りに、あっという間の3時間でしたね。
 その後、二次会、三次会、四次会へと続き、久しぶりに始発まで皆さんとご一緒しましたが、最後のカラオケボックスで力尽き、座って目を閉じたらカラオケボックスを出る時間になりました(^^;;
 幹事団を始め、皆さんお元気で、四駆忘年会は当分安泰だなと再認識しました。来年以降もよろしくお願い致します。
 その一方で、四駆忘年会の最大の関心事である来年度以降の皆さんの動向ですが、各所でその動きが見て取れる通り、予想以上に動きが活発化しそうですね。もちろん2年前のように、突如N4クラスが不成立ということは無いと思いますが、彗星さんを筆頭に上位陣の大半がPNクラスへの移籍を表明しているのですから今後の動向には注意が必要ですね。
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last modified 27/Dec/12
yasu@e.email.ne.jp