棋王戦
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共同通信が地方各紙に配信する棋戦は、「日本最強者決定戦」と「古豪新鋭戦」の二つがあった。前者は13年、後者は17年続いた。 この両棋戦を発展的解消させ、より内容の充実した新規戦に格上げしては、という話が持ち上がったのは昭和48年10月のこと、地方各紙と 将棋連盟の賛成を得て、12月下旬には将棋連盟と契約が成立するとともに、対局開始の運びにこぎつけた。 新棋戦は『棋王戦』と名付けられた。中原誠名人、大山康晴十段をはじめ現役の全棋士が参加する大型棋戦で、来年からは名人戦、王将戦、十段戦、王位戦、棋聖戦に次ぐ6番目の公式タイトル戦に昇格することが約束されている。 大きな特徴としては、将棋界初の配車復活方式の採用が挙げられる。 また第1次予選を別の『名棋戦』として独立させたのもユニークな方法である。 棋戦の仕組みを紹介すると、B級2組17人、C級1組17人、C級2組18人、計52人により第1次予選トーナメントを行い、4人が最終(第2次)予選に進む。この第1次予選は『名棋戦』の名称で、さらに準決勝、決勝まで行い、 優勝者を決める。つまり、第1次予選でベスト4に勝ち進めば、『棋王戦』と『名棋戦』の両棋戦に優勝の可能性があるわけだ。 『棋王戦』 の最終予選は、A級10人、B級1組14人に、第1次予選通過者4人の計28人で争われ、その勝者14人がシードされている中原名人、大山十段の待つ本戦に進出する。 本戦から敗者復活戦が設けられ、2敗して初めて失格となる。そして勝者組と敗者組をそれぞれ勝ち抜いた者同士が、最後の優勝決定戦で三番勝負を行い、第1回のチャンピオンが誕生することになっている。 (将棋世界昭和49年4月号より抜粋) |
第1回棋王戦 |
内藤國雄九段[35]−関根茂八段[45] (1日制・持時間各5時間) |
第1局
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第2局
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第3局
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九段
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○
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●
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○
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2勝 | |
八段
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●
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○
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●
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1勝 |
第1回棋王優勝決定三番勝負 |
内藤國雄九段
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関根茂八段
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先後
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消費時間
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勝負
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消費時間
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先後
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手数
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第1局 | 昭和49年12月10日 | 東京・将棋会館「特別対局室」 |
後手
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4時間24分
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○
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●
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4時間45分
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先手
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134
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第2局 | 昭和49年12月17日 | 大阪・将棋連盟関西本部「錦旗の間」 |
先手
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2時間44分
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●
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○
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2時間48分
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後手
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98
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第3局 | 昭和50年1月9日 | 東京・将棋会館「特別対局室」 |
後手
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4時間14分
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○
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●
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4時間07分
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先手
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102
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第1次予選兼第1期名棋戦(S48.12.21-S49.9.26)