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猫と琥珀と毒草園

引っかかれたら、お兄さん、死ぬよ?
「人体に有害につき立入禁止」
佐伯毒草園の看板にはそう記されていた。そこで飼われている猫に噛まれた者は毒で死んでしまうという。
ふとしたことからその猫に怪我を負わされた神庭旭春は、毒草園に足を踏み入れる。身のまわりに忍びよる毒にも気づかないままに。
シリーズ第1弾 (読み切り) B6size/72page/400円






 街を歩いていると、ときおり奇妙な看板を見かけることがある。
 看板というものは人の目につかなくては意味がない。デザインや文体に趣向を凝らしたものも多いが、なかには書かれた内容自体が奇妙なものもある。
 神庭旭春を立ち止まらせたのは、あきらかに後者に属する看板だった。
 瓦を葺いた腕木門の親柱に掲げられたそれは、看板というより大きめの表札と呼ぶべきだろうか。
 佐伯毒草園
 そっけない長方形をした木製の看板、あるいは表札にはそう記されていた。おまけに墨で、「人体に有害につき立入禁止」という人を食った注意書きまでつけ足されている。
 門の扉は閉ざされており、瓦葺きの屋根を持つ木塀も背が高く、内部をのぞくことはできない。古びた外見は昭和初期の雰囲気を漂わせているが、看板さえなければ普通の民家にしか見えない造りだ。注意書きは、かえって物好きな人間の興味を惹きつけてしまうのではないか。
 吐く息が白く染まる二月の早朝。出勤途中だということも忘れて、旭春は毒草園の前に立ちつくした。
 おそらくは非公開の毒草園。立入禁止となっているのは、近所の人たちとの交流を避けるためのものか。だとすれば、毒草園の主人は気むずかしい性格の持ち主なのだろう。旭春の脳裏にうかんだのは偏屈な白髪の爺さんの姿だ。
 旭春が昨日入居したアパートは毒草園に隣接している。そして部屋の窓からは、毒草園全体を見渡すことができたはず。相手から見れば、旭春の存在は煩わしいものでしかないだろう。
 ……なるべく関わりを持たないようにしよう。
 そんなことを考えていると、門の隙間から白い毛糸玉が転がってきた。つられて視線を足元に落とす。毛糸玉の正体は猫だった。
 猫もまた、旭春に気づいて動きを止めた。華奢な体つきは、大人になりきっていない証拠だろうか。猫は澄んだ蜂蜜色の双眼で旭春を見上げている。首輪はしていないが、艶のある毛並みは飼い猫のそれだ。
「このあたりは君の縄張りなのかい?」
 旭春は膝をかがめて猫に問いかけた。警戒させないための行動だったが、猫には通用しなかった。逃げるようにきびすを返して、地面を蹴る。猫の姿は一瞬で門の内側へと消えてしまった。
 バカなことをしたかもしれない。
 そう思いながら旭春は立ちあがった。しゃがみこんで見知らぬ猫に話しかける。それは、二十三歳にもなる男がとるべき行動ではないと気づいたのだ。
 誰かに見咎められる前にこの場から逃げだそうと、体のむきを変える。だが旭春の進路は、ジャージ姿の少年によって阻まれていた。
「お兄さん。昨日、隣のアパートに引っ越してきた人だよね」
 コンビニエンス・ストアの袋を手に提げる少年は小学校五、六年生だろうか。利発そうな顔立ちには、旭春に対する不審の念がありありとうかんでいる。
「猫が好きなの?」
「いや、特別好きってわけでもないけど」
「好きでもないのに話しかけるんだ」
 話しかけたのは事実だから誤魔化しようがない。答えられずにいると、少年は値踏みするような視線を旭春にむけた。
「いまの、ウチの猫なんだ。放し飼いにしているから、また見かけるだろうけど。あいつには気をつけてね」
「気をつけるって、なにを?」
「そりゃあ毒草園の猫だもん。ちょっと変わった体質をしているから、ぜったいに触らないで。それにプライドの高い奴だから、さっきみたいにバカなことやってると、次は引っかかれるかもしれない。引っかかれたら、お兄さん、死ぬよ?」
「え……」
 ずいぶんと物騒な言葉を聞いたような気がして、旭春は己の耳を疑った。無言のまま詳しい説明を求めたが、返ってきたのはいかにも子供らしいと思わせる無邪気な笑顔。
「じゃあ忠告はしたから」
 それさえ告げれば用はない。そんな態度で顔をそらすと、少年は毒草園の門に手をかけた。きしんだ音を響かせて、扉を開く。そして扉は閉ざされた。

<中略>

「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
 猫に噛まれた傷を治療するからと招き入れられた毒草園。客間に姿を見せた主人は、そう言って旭春に茶を勧めてくれた。
 佐伯七生と名乗った毒草園の主人は、旭春の予想に反して若かった。見た目は旭春よりもやや上だろうか。だが物腰は落ち着いているから、三十代前半ぐらいだろうと旭春は思う。
 鋭角的な顔立ちは理系の雰囲気を漂わせているが、おだやかな表情がそれを軟らかいものに変えている。すくなくとも、毒草園の主人という肩書きには似あわない男だ。
「それにしても神庭さん。琥珀に噛みつかれるなんて、一体なにをやったのさ?」
 傷に消毒薬を塗りながら問いかけてきた少年は小泉蓮。七生の弟子として毒草園で暮らしているのだという。琥珀というのは猫の名前だ。
「それがよく分からないんだ。急に怒りだしたように見えたんだけど」
 首をかしげながら、旭春は客間の隅に視線を投げた。そこには檻に入れられて、なおも旭春に敵意をむける琥珀がいる。うなり声をあげられて、旭春は琥珀から目をそらした。
「おそらく、これのせいでしょう」
 七生が指さしたのは、テーブルに置かれた旭春の携帯電話だ。
「本体ではなくて、ストラップのほうです。その石、琥珀ですね。あの猫は、この石をとても嫌っているんです」
 その説明で、なにをどう納得すればいいのか。理解できずに旭春は湯飲み茶碗に手を伸ばした。だいたい、猫に石の種類が区別できるかどうかも怪しいところだ。
「信じていませんね。ですが神庭さん、あなたはここが毒草園だということを忘れていますよ。毒草を主食として百年以上も生きている猫が、ふつうの猫とおなじであるはずはありません」
 旭春の態度を非難しながらも、七生はうかべた笑みを消そうとしない。ホラを吹いているのだろうと旭春は思う。七生の表情がその証拠だ。



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