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迷蝶飛来

有毒の蝶は、あなたでしょう?
二十年前の火事で亡くなった親の仇を探す男、降矢。彼が旭春に見せた敵のスケッチは、毒草園の主に酷似していた。
毒草園に送りつけられる蝶、現代によみがえる蘇生薬の神話、三日月を戴く〈鳩の女王〉。業火に焼かれる蝶が数々の因縁を、そして佐伯七生の謎を浮かびあがらせていく。
シリーズ第6弾 (読み切り) B6size/132page/600円





 霧雨が音もなく舞い落ちる夜。
 十一月も終わりに近づき、家路を急ぐ人々の息は白い。駅の周囲を彩っているのは、クリスマスを意識したイルミネーション。しかし突然の雨に襲われて、早足で歩く人々の目にその光は届かない。ビルの外壁に設置された液晶ビジョンに視線を投げる者もわずかだ。
 ニュースの放映時間なのだろう。画面に流れているのは、日中に起きた交通事故の映像だ。横転したトラックに進路を阻まれた乗用車が数台、原型を留めぬほどに大破している。字幕によれば五人が死亡し、乗用車に乗っていた赤ん坊が奇跡的に無傷で救出されたという。
 だが同乗していた両親は即死したようだから、子供の無事だけを安易に喜ぶことはできない。
 悲劇性の高い事件は、メディアに流れる確率も高い。とはいえ世間に報道されるのは事故が発生した数日のみ。事故や事件は毎日数え切れないほど起きていて、よほど特殊な事例でないかぎり、長く報道されることはない。交通事故のニュースなど、人々はすぐに忘れてしまう。
 だが残された家族は、違う。
 親を、子を。理不尽な理由で肉親を奪われた家族は、決してその出来事を忘れないだろう。そしてそれをきっかけに、彼らの生活は多少なりとも変化が生じてしまう。特に親に死なれた子供にとって、その変化は劇的だ。
 ……突然世界を崩された彼らは、その後の人生を幸せに暮らしてゆくことができるのだろうか?
 第三者がどんなに想像を巡らしても、それを知ることは難しい。幸、不幸の基準など人それぞれで、明確な基準があるわけでもない。
 それでも、考えずにはいられないのだ。
 あのとき。
 あの事件さえ起きなければ、自分は違う人生を生きていたはずだ。もしかしたらそれは、とてつもなく幸福なものであったかもしれない、と。
 分岐点は二十年も前にすぎており、いまさら別の人生を歩みなおすつもりはない。
 ただ、自分の運命を変えた事件の真相ぐらいは知りたいと思っていた。いまの自分が存在しているのは偶然なのか、あるいは誰かに仕組まれた結果なのか。そのぐらいは確かめておきたかった。
 たとえそれが、許されない行為だとしても。
 止む気配のない霧雨が少しずつ地面の色を変えていた。夜が更けるにつれ、雨は強くなってゆくのだろう。
 そんなことを考えながらも、自分は人目につかない街路樹の影に立ちつくしている。気配を殺したまま、来るかどうかも分からない男の姿を探していた。
 指定した時刻は十分後。駅から目的地までの移動距離を考えれば、すでにここを通りすぎなければ間にあわない時間である。
 自分の行動は無駄に終わったらしい。
 そう思いかけたとき、改札口から続く階段を降りてくる男を視界に捉えた。
 人の流れに逆らいながらも駅の敷地を抜けて、レンガ風に舗装された道を歩いてゆく。霧雨に気づいていないわけではないだろう。しかし傘をさすこともなく、男は目的地へと進み続ける。
 自分の前を通りすぎる男の横顔は無表情で、感情を読みとることはできなかった。もともと本心の見えにくい男だ。どこまで追いつめれば彼の口から事実を聞きだせるのかも分からない。
 だが男は動いた。賽は投げられたのだ。
 雑踏に消えてゆく男の後ろ姿を見送って、何気なく天を仰ぐ。
 雲に覆われた夜空には月も、星々の姿もない。しかし街灯を反射させる霧雨が、ガラスのように煌めくさまはなかなかに美しい。
 そんなことを考える自分自身に苦笑して、男の後を追いはじめた。
 自分が歩きだしたのは、決して後戻りできない道である。そしてかなりの確率で、己の破滅へと繋がる道なのだろう。だが自分の選択を悔いるつもりはない。
 華やかなイルミネーションに背をむけると、そこには漆黒よりも深い闇の世界が広がっていた。

(中略)

「まったく。あなたの人の良さには、本当に呆れてしまいますよ」
 佐伯毒草園の離れ。茶室を思わせる純和風の客間は、世界各国の調度品に埋め尽くされた奇妙な空間である。
「猫が鳥を襲うのは本能です。隙を見せた弱者が、強者の餌食になることも。放っておけば良かったのですよ。そうすれば、助けた鳥以上の怪我を負うこともなかったでしょう」
 毒草園の主人、佐伯七生の冷ややかな一瞥を受けて、旭春はロココ調のソファに座ったまま身を縮こまらせた。
 旭春が琥珀を抱きあげたのは、その牙が鳩の首に突き立てられる寸前。狩りを邪魔された琥珀は激怒し、旭春の手に容赦なく噛みついてきたのだ。
 難を逃れたはずの鳥も全身を痙攣させていて、瀕死の状態に見えた。だからこそ助けを求めて毒草園の門をくぐったのだが、七生にとっては旭春の行動こそが理解できないものであったようだ。
 檻に入れられた琥珀は母屋の縁側にいるはずだが、その咆哮は途絶えることなく、客間にまで響いてきている。鳥を両手で抱きかかえて毒草園まで運んだ美知留も、七生に鳥を引き渡すとすぐに帰っていった。客間にいるのは七生と旭春、そして琥珀によって傷を負わされた鳥のみ。
 白い鳥はよく見ると、シラコバトのようだった。銀鳩とも呼ばれる改良種で、マジックの小道具としても使われる鳩である。
「だけど、飼い主が探しているでしょうし」
 鳩が銀色の足輪をはめていることに気づいたのは客間に移ってからのことだから、鳩を助けた理由にはならないと知っている。しかしそれぐらいしか言い訳を思いつかなかったのだ。
「その鳩、助かりそうですか?」
 棘のある言葉を吐きながらも、七生はすぐに鳩の治療をはじめてくれた。だがぐったりとして動かない姿は旭春の不安をあおる。
「眺めていても、傷が良くなるわけもない。あなたは、ご自分の体のことを考えたらいかがです」
 螺鈿細工が施された漆黒のテーブルには、消毒液の瓶がふたつ置かれていた。そのうちのひとつは、旭春のために運ばれた薬であったらしい。
「確実に助かるとは保証できない状態です。とはいえ、私の許可もないまま園内に入りこんだ鳩ですからね。死んでも文句は言わせませんよ」
 だがさも当然のことのように言い切る七生の言葉に、旭春は動きを止めてしまう。
「……鳩には、文字は読めないと思いますが」
 毒草園の看板には、奇妙な注意書きがつけたされている。「人体に有害につき立入禁止」というそれは、人間だけが対象ではなかったらしい。
「しかし飼い主がそれを知らないはずがない。この鳩は、当然の報いを受けたにすぎないのですよ」
 つまり鳩の飼い主は、七生の顧客なのだろう。旭春は鳩の足輪に視線を移した。
 毒草園を名乗っているものの、七生の職業は薬種商なのだという。扱う商品も毒だけではなく、その解毒剤やさまざまな香料、さらには不老不死薬と多岐に渡っている。そんなものを求めて七生の元を訪れる顧客は、やはり少々変わった人間ばかり。
 旭春とも面識のある伯爵は四千年を生きた錬金術師だと胸を張ってみせたし、彼に勝るとも劣らない長寿を誇る女性の話も聞いたことがある。そして彼らはそれぞれに、己の印を持っているという。
 銀の足輪には血のように赤い石がはめこまれていた。石を守るように刻まれているのは三日月だろうか。夜の支配者たる天体を己の印とするのは、古代アッシリアを治めていたという女性のはずだ。
「我々の間では『鳩の女王』と呼ばれています。彼女に付き従う僕たちは、彼女の化身である銀鳩をそれは大切に扱っているそうです。しかし鳩の位も厳格に定まっていましてね。ピジョンブラッド……最高級のルビーを与えられているのは、女王の元で暮らす鳩だけだったはずです」
 ならばこの鳩は、主の命令を受けて毒草園にやって来たということになる。
「おおかた時間を持て余して、暇つぶしの玩具でも探させていたのでしょう。顧客とはいえ、利益の見込めない遊びにつきあう義理はありません。……他人事のような顔をしていますが、これはあなたにもお伝えしたいことですよ。後のことも考えず、軽率な行動に走るのはお控え願いたいものです」
 七生は人の良さそうに見える表情を崩さない。しかしその目が静かに旭春を責めていた。冷ややかな視線に射抜かれた旭春は、天敵と鉢合わせた小動物のように動けない。



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